「You are so sweet -secret-」
いたたまれない。 相当気まずい。 でも、これは自分の自業自得であって、アルヴィンが悪いわけではない。 「う……あ、れ……?」 「気がついた?」 眩しげに細められた顔に影を作るように覗き込む。 ぱちぱちとまばたきをくり返すところを見ると、今のところ危ない症状は出ていない。 健診をさっと済ませて、小さく息を吐く。 ノート版掌底破を顔面に綺麗に受けたアルヴィンは、あれからずいぶん気を失っていた。 仕事の疲労が溜まっている身体に、理不尽なまでに全力の技をよりにもよって顔面に受けたのだから、むしろ後遺症なく無事でいる方が奇跡に近い。 恐る恐るまだ赤味の残る頬を撫でてみるが、表情を歪めないのでこちらも大丈夫だろう。 「ごめん思いっきり打っちゃって……ちょっと気が動転してて。身体どこか痛くない?」 「あぁ、たぶん平気。どこも痛くねーよ」 「よかった……」 起き上がって身体を確かめるアルヴィンの言葉に、僕はやっとまともな呼吸ができた気がした。 ノートをクリティカルヒットさせた後、昏倒してしまったアルヴィンに僕は思考が吹き飛んでしまって、数秒冷静な判断ができなくなっていた。 自分の気持ちにてんやわんやしていたところへ、同居人の昏倒が重なれば、それはもうパニックにだってなるだろう。 ただ、旅で培った度胸が数秒後に帰って来れば、そこからの処置は早かった。 ミラとの旅は、僕にありとあらゆる力をくれているんだと実感する。 「なぁ……さっきの、訊かないほうがいいのか?」 「……そうしてくれると嬉しい」 「体調が悪いとかじゃねーよな?」 「それは大丈夫」 「俺としては問いただしたいところだが……まぁそんな顔されちゃぁな」 「え、な……何?」 「その可愛い顔に免じて許してやるよ」 流し目で眺められたため、自分の表情に不安を感じてぺたぺたと顔に触れていると、掠めるように軽くキスされた。 さっき僕はどんな顔をしていたんだろうか。 今は胡乱な目で彼を見つめているので、何となくわかるのだけれど。 してやったりと笑う彼に訊く気にもなれなくて、ひとつため息をつくと、僕はキッチンへ足を向けた。 追いすがって呼ぶ声を無視して冷蔵庫から一皿取り出し、またアルヴィンの元へ戻る。 「はい」 「ん、何これ?」 「何って夜食。食べるんでしょ?」 「そりゃそうだけど……え、でもこれ」 「文句は聞かないからね」 「いや、そうじゃなくて。だっておたく作れないって」 「あの時は作れなかったよ」 冷えた皿に盛られている夜食は、宣言どおりにサンドウィッチだ。 違いがあるとすれば、間に挟まれている食材から甘く芳醇な香りが漂うことか。 白いパンとクリームに包まれて色鮮やかに目を楽しませるのは、もちろん旬の果実。 「食べたいって言ったよね」 「あー、なるほど」 「わかったなら、黙って食べる」 「くくっ……はいはい、ありがたく戴きます」 押し付けられた皿を抱えて、納得したアルヴィンは嬉しそうに笑った。 その笑顔につい憎まれ口を叩いてしまうのは、いたたまれなさと申し訳なさと照れ隠し故。 きっとアルヴィンは全部判っているのだろう。 僕が一度外へ出たことも、そしてこのフルーツサンドが謝罪を示していることも。 だけど、居心地の悪さにふてくされてしまうのは仕方ないわけで。 「おいしい」とくり返しながら食べるアルヴィンから目を背けて、僕は彼が食べ終わるのをじっと待った。 こんなことで自分のしたことが許されるとは思っていないけど、これ以上謝罪をしたところで彼が困ってしまうだろう。 何だかんだでアルヴィンも甘い人だから、これでチャラにしてやる、なんて言って許してくれるに違いない。 まったく、僕らは互いに甘すぎる。 「そういえば、今日のお仕事大変だったの?」 一緒に食べろと寄こされたフルーツサンドを片手に、帰宅直後の状態を思い出して僕はアルヴィンに問いかけた。 彼は今、ユルゲンスさんと立ち上げた運搬関連の商売に勤しんでいる。 リーゼ・マクシアだけでなくエレンピオスまで独自の経路を形成しているので、幅広い利用者を獲得しているらしい。 リーゼ・マクシアではキタル族のワイバーンが大活躍し、エレンピオスまでは飛空艇を用いている。 アルヴィン経由で開拓したエレンピオス側のラインもあるらしく、立ち上げて間もないというのに商売は順調に進んでいるようだ。 さらに、運搬に関わる人間が武闘派勢ぞろいということで、積荷の護衛も他の競合商人より強化できて安心と評判らしい。 リーゼ・マクシア随一の経路と手段を持ち合わせている、と口コミで広まっているおかげで、利用客はうなぎのぼり。 それも相まって、シャン・ドゥでは忙殺される、と本人が零していた。 それでも、愚痴まがいに話すアルヴィンはどこか誇らしげなのだから、まんざらでもないのだろう。 変革の日、日常に還って来た彼が見せた心もとない不安そうな横顔は、もう見当たらない。 「んー、大変っつーか……面倒って言やいいのか?」 「面倒?」 「そ。クライアントが大層な金持ちでさ。やれ護衛の数が少ない、荷が心配だ、もっと護衛を増やせ、何時までに持って来いって、無茶振りばっかりしやがる」 「でも、アルヴィンはそのお客さん納得させたんでしょ?」 「まぁな」 「やっぱりアルヴィンはすごいね」 「もっと褒めて」 「もう……頑張ったね、偉い偉い」 ずいっと差し出された頭を苦笑交じりにやんわりと撫でれば、満足げな表情をした彼が擦り寄ってくる。 帰宅したアルヴィンは完全に甘えたモードだから、小さなことに心くすぐられて仕方ない。 本当にそのお客さんの相手は大変だったのだろう。 責任者であるユルゲンスさんが宥められない人は、全部アルヴィンに回ってくるようになっていると聞いている。 あの温和なオーラの持ち主であるユルゲンスさんが丸め込めない客といえば、我の強いひと癖もふた癖もある客ばかりだ。 そんな人達を相手に、スムーズに交渉して黒字を出すのだから、彼の努力は相当なものだろう。 これくらいの甘やかしで埋められる心労ではない。 それがわかるから、僕は彼が口にする要望には極力応えて返している。 それくらいしか、僕は彼の力になれないから。 「おたくはどうなんだよ?」 肩に寄せられた頭を撫で続けていると、ふとアルヴィンがそう問いかけた。 一瞬、身体がこわばったが、なんとか持ち直して再びゆっくりと髪を撫でる。 「どうって、研究のこと?」 「順調?」 「今は形になったところ。まだまだこれからだよ」 「でも目標には近づいてんだよな?」 「うん。目覚しいとは言いがたいけど、前進してるって信じてる」 「なら、人間関係か」 「え?」 ぽつりと零された言葉を咀嚼し切れなくて、ぽかんとしてしまう。 少しうろたえて頭の載せられた肩へ視線をやれば、見透かすような瞳がこちらを見つめていて息が止まる。 「何があった?」 低く問いただす声は柔らかく、しかし逃がしはしないと絡みつく。 僅かに引いた身体を引き止めるようにアルヴィンに腰を抱かれて、視線も逸らせないまま僕は逃げ場を失った。 この感覚はまずい。 逃げられない。 射抜くように僕を見つめ続ける瞳に、漠然と恐怖が湧き起こる。 その恐怖は、彼に対するものか。 それとも暴かれることに対するものか。 言葉を失い見つめ返すしかできなくなった僕に、アルヴィンはもう一度声を重ねる。 「ジュード、何があった?」 「な、にも?」 喉の奥に引っかかる声が、自分の声ではないように聞こえる。 絞り出すように返した僕へ、アルヴィンはことさら優しく微笑んで、さらに抉るように言葉を吐く。 「お前は嘘が下手だ」 「嘘なんて」 「じゃぁ隠してるって言やいいか?隠し事も下手だな」 声を、言葉を、重ねられれば重ねられるだけ、僕は逃げ道を失っていく。 まずいと思った時点で手遅れだった。 彼に見抜かれた時点でこの結末は決まっていた。 だけど、譲れないと心が叫ぶ。 彼が『隠している』と言った事柄は、僕が自分で答えを出さなければならない気がするのだ。 頼ってはいけない。 寄りかかってはいけない。 そうでなければ、僕は強くなれない。 ミラのように、自分の意思で答えを探さなくては、受け継いだ意思を貫けない。 そう、思っているのに。 「言えよ」 「っ……ダメ……」 「何で?」 小首を傾げて覗き込んでくるアルヴィンに、僕は頭を振って拒否を示すしかできなかった。 口を開けば弱音が全部出てしまいそうで、頑なに唇を噛み締める。 音にしたら最後、僕は一人で立っていられなくなる。 「くだらないこと考えてないで、言えよ」 「…………」 「なぁジュード……隠された方が気になるし、暴きたくなるもんなんだぜ?」 「……っ!」 「迷惑かけなくないだとか、心配かけたくないだとか、そんなのはどうでもいい。もし、自分一人で何とかできるなんて考えてるなら、それは傲慢だ。お前にその能力はない」 「アルヴィン……」 「人が一人で抱え込めるものは少ないんだ」 囁くような声音は力強く鼓膜を揺らし、熱い吐息が耳朶に触れる。 ダメだとわかっているのに、どうして僕は突き放せない。 傲慢だと思われてもいい、これは自分の問題だと、何故言い切れない。 言葉なく戸惑いに揺れていれば、トドメといわんばかりにアルヴィンは口を開く。 「溢れた分は俺に寄こせ」 ――――他の誰かじゃなくて、俺に 甘く溺死させるような彼の我儘は、僕の頑なな意思をいとも容易く破壊した。
* * * * 2011/12/26 (Man) 自分に余裕があるときは、やたら強気なアルヴィン。 聞きたくない言葉を浴びせて叱咤してくれる人って、実はすごく見てくれてる人なんだと思う。 *新月鏡* |