「You are so sweet -how to get along in life-」
変革の日から3節ほど経った今も、世界はさして変わらない。 突如上空に出現した別世界に、当初リーゼ・マクシアの人達はさんざん騒いでいたが、ガイアスが混乱に陥る人々をあっさり宥めてしまった。 元から腰の座った人だから、言葉に重みがあるというか、どんなにありえないことでも本当にありえるんじゃないかって思えてしまうから不思議だ。 言葉の端に滲み出る統治者の威厳も相まって、僕が思うよりずっと早く人々の混乱は収拾した。 これは、ローエンの助力もあっての相乗効果だ。 事実上リーゼ・マクシア統一を果たしてしまったガイアスの隣に、ラ・シュガルの生きる伝説になっている指揮者の姿があれば、ラ・シュガル側の人間はずいぶん大人しくなったものだ。 もちろん反発する人もたくさんいたけど、ガイアスは言い分をちゃんと聞いて、ありとあらゆる手段で何度もくり返し説明して語り聞かせていた。 武力行使に挑んだ人もいたみたいだけど、もちろん返り討ちにしたらしい。 その話を聞いた時は、なんて命知らずな……と、僕は背筋が凍ってしばらく動けなかった。 本当に、よくあんな傑物に拳ひとつで突っ込んで行ったもんだと、がむしゃらだった自分を少し褒めてみる。 今、ガイアスから「勝負してみるか?」と誘われたら、僕は必死に頭を振って辞退するだろう。 長剣を風を切るように捌いて切り込んでくる人とタイマン勝負なんて、誰が好き好んで挑みたいと思うのだろうか。 とは言うものの、そんなガイアスの後ろ盾によって、僕は自分の定めた研究に着手し始めていたので、「勝負しろ」と強く願われれば突っぱねることはできない。 僕は今、源霊匣の研究をようやく形にしたところにいる。 理解者は少なく、贔屓されていると叩かれはするし、異質な研究だと批難されることもある。 年齢による侮辱もあれば、くだらないと一蹴されることもあった。 何より、エレンピオスの協力なしに成立するものではないので、他の研究に比べて莫大な資金も必要とするのも難点だった。 外界との接触など未知との遭遇に近い感覚を抱くリーゼ・マクシアの人達からしてみれば、僕の研究は相当イカレてぶっ飛んだ研究に見えることだろう。 実際、卒業論文を提出した後に、分野の全く違うものを研究すると公言したときはずいぶん驚かれたものだ。 技術職と言ってもいい分野はまだまだ知らないことが多くて、時間も惜しいとあちこち駆け回って専門の教授や同期に教えを請う毎日。 慌しく駆け回っていると、最近よく人から「変わったね」と言われることが多くなった。 特に自分自身が変わったと実感することはなかったが、思い当たる節はあるので小さく笑って「ありがとう」と返すことにしている。 その返事にたいてい驚かれてしまうのだけど、僕はただひたすら嬉しくて、その気持ちをくれたことに対して感謝したくなるのだ。 ミラと出会って変わろうとしている僕に、気づいてもらえるという嬉しさ。 誰かに僕の中で起こった変化を気づいてもらうたびに、彼女を思い出す。 胸元に揺れるペンダントにそっと触れて、何度も望む未来を確かめて、彼女に誇れる人間であろうと誓うのだ。 「……ミラ」 「それってジュードの彼女?」 「わっ!」 突如投げかけられた声に驚いて振り向けば、学生時分に同期だったノーヴェが後ろに立っていた。 カルテの束を持っているところを見ると、どうやら教授のおつかいでも頼まれたようだ。 「びっくりさせないでよ」 「ごめんごめん。でも、大人しいジュードがにやけながら女の名前を呟くもんだから、親友の俺としては訊かないわけにはいかないじゃん。それで?そのミラって人は彼女なのか?紹介しろよ〜」 「ミラと僕はそんなんじゃないよ」 「あー、なるほど片思いか……そうか……」 「え、ちょっ、何勘違いしてるの?」 「みなまで言うな。もちろん応援してやるって」 「ノーヴェ!」 くすくすと面白そうに笑う友人を見て、僕はからかわれたんだと気づいた。 同期とはいえ2歳ほど年の離れた友人は、性根はすごくいい人なのに、ときどきこうして僕をからかってくるのだ。 「もう、それより自分は上手くいってるの?」 「もっちろん!師匠のおかげで万事上手くいってる」 「えぇ!?あれが役に立ったの?」 「それがさ、面白いくらい教えてもらったとおりに進むんだ!この前やっと家に呼んで楽しいひと時を過ごさせてもらったぜ。今度俺の彼女紹介するな」 嬉しそうに笑うノーヴェは、僕のルームシェア相手を『師匠』と呼んで崇めている。 今は幸せオーラにめいっぱい花を咲かせているが、実はちょっと前まで恋に悩んで沈んでいた思春期真っ只中な人物だ。 からからとした物言いが同居人とどことなく似ているせいか、前に引越しを手伝ってもらったときに意気投合してしまい、いつの間にか人生相談するような間柄になってしまっていた。 たびたび家にやってきては、『どうすれば彼女を落とせるか』と真剣に訊ねてくる彼に、アルヴィンは嬉々として応えていた。 だが、恋に悩むノーヴェに実践で教えよう言い出したアルヴィンが、僕を使って『口説き方指南』をしてきたときには、本当にどうしてやろうかと思ったものだ。 完全に本気で口説きにかかっているアルヴィンの熱視線を思い出すだけで、そわそわとしてしまう。 危機感に回避しようとと身構えたものの、ノーヴェを盾に取られて逃げ出すこともできなかった。 確信犯のやり口は、試行期間を設けたあの日からどんどん巧みになっていくばかりで、そろそろ完全回避も難しいかもしれない、と思い始める。 「ジュードは今日上がりか?」 「うん。資料をまとめるのは家でやろうと思って」 鞄をやや上げて友人にそう答えたとき、 「いいご身分だなー。さすがは王様贔屓の先生だ。もうお帰りになるらしい」 「どんなコネでのし上がったのか知りませんが、学問を甘く見ないでいただきたいですね」 「本当に。なんでこんな方がこの神聖な研究棟にいるのか甚だ疑問だよ」 三者三様に明らかな害意を持って侮蔑の言葉が浴びせかけられる。 ぎくりとしたものの平静を装って振り返ると、そこには白衣を着た学者三人組が立っていた。 口を開いた順から、ビリー、アラン、デヴィッド。 共同研究中なのか、たいていこの三人はよく一緒につるんでいる。 たまに同じ実験室を使わせてもらうこともあり、その度にこうした嫌味が飛んでくるので、もはや日常茶飯事だ。 最初はそれなりに反論していたものの、次第に時間の無駄だと割り切るようになってしまって、今では言われたい放題。 ミラだったら、「言わせておけ」と一蹴して眼中にないだろう。 そう、こんな侮蔑の言葉にいちいち時間を割いていては、約束を何一つ果たせない。 だから、僕はいつものように微笑んで、表面的な挨拶を交わすことに徹すればいい。 「みなさんは、まだお帰りにならないんですか?」 「えぇ、どこかの誰かさんとは違って、一秒でも時間が惜しいものですから」 「そうですか」 あはは、と高笑いを交えながらご機嫌に去っていく三人組を見送りながら、僕はどっと疲れたような気分になった。 うまく捌けただろうか。 下手に反感を買ってやりにくくなるのも面倒なので、ひたすらに笑って聞き流すことしか良策が思い浮かばない。 ミラなら、全く気にかけることすらないだろうに。 これだけのことに容易く揺らぐ自分が不甲斐ない。 こんなことではダメだ。 もっと、強くならなくては。 「なんだよあいつら!」 三人組が去っていった方向をじっと見ていると、隣にいたノーヴェがそこそこ大きな声で喚きだして、僕は驚きに目を見開く。 すばやく仰ぎ見た横顔には隠しきれない憤怒が見て取れて、僕はそんな親友の表情に、自分の中に渦巻くどろどろとしたものが溶けていくのを感じていた。 「いいんだよ、ノーヴェ」 「いいわけあるか!あいつらジュードを研究者じゃないみたいな言い方しやがって……!」 「言いたい人には言わせておけばいいんだよ。僕は気にしない」 「だけど……!」 「僕はこんなことで時間を割く気はないんだ」 ぐっと拳に力を込めて自分を叱咤する。 ――――そうだ、僕に与えられた時間は、自分のための時間じゃない 約束をした。 とても大切な人と、この世界を共に守り、造っていこうと。 ミラはこの瞬間でも守って支えてくれている。 ガイアスは寝る間も惜しんで、この世界の平定に勤めてくれている。 無駄ないざこざに立ち止まってる場合じゃない。 剣呑ささえ出始めた僕の気配に、ノーヴェはそれ以上言葉を重ねはしなかった。 「じゃぁ、僕はまだやることあるから先に帰るね」 「あ……あぁ」 「またね、ノーヴェ」 簡素な別れの挨拶を交わして遮断するように背を向ければ、心優しい友人は追いすがることもしなかった。 それでいい。 そして、僕もこれでいい。 僕に降りかかるものなどたいしたことではない。 そう、源霊匣の研究に滞りさえなければ、いささかも問題ない。 目まぐるしく考えながら、冷たい廊下を足早に歩いて家路を急ぐ。 無性に、この場に留まっていたくなかった。
* * * * 2011/12/20 (tue) 15歳で社会人になっちゃったジュード君の世界。 次アルヴィン出てくると思います、たぶん。 *新月鏡* |