「Farewell」

 

 

 

長らく住み続けてきた街並みを眼下に、焦がれ続けた故郷を仰ぎ見る。
疎み、煩わしいと思いながらも、イスラなりの贖罪がこの場所を選ばせたのかもしれない。
空と大地の間で静かに佇む墓標。
乾いた風に煽られた髪とコートが忙しなくはためくが、そんなことは少しも気にならなかった。
綺麗に彫られた名前をなぞって、ただ実感しきれないふわふわとした感情に揺らぐ。
もうずっと前にわかっていたはずだったのに、いざ目の前にすればなんだか違和感を拭えない。
ただ、もう本当にここにはいないのだと、そればかりが冷たい墓石をなぞるこの手に残る。

「今まで訪ねてこなくてごめん」

温かかった最愛の人は、遠い故郷を夢見て大地に眠る。
帰りたいと願いながら、母さんは目覚めない眠りに落ちていった。

傍で看病をしていたイスラのために。

そして、たぶん……足掻き続ける俺を自由にするために。

本当に優しい人だった。
気弱なくせに、傍に居る人のために笑う人だった。
本当はこんな場所じゃなくて、花のたくさん咲く場所で眠るはずの人だった。
母を思えば、この世界の理不尽さに懐かしい憎悪がちらつきすらする。
外の人間に優しくない世界で、夢と現に溺れながら生きてきた母が、どうして毒殺なんかで死ななきゃならなかったのか。
殴りつけたくなる気持ちはまだあるが、ぶつける相手もまた己を失ってしまったのだからどうしようもない。
行き場のない感情を持ちながら、それでも荒れずに墓前に立っていられるのは、手にした花束のおかげだろう。

「これ、母さんにって。綺麗だろ?」

墓前に供えるにはいささか華やかすぎるくらい大きな花束を、そっとプレートの前に丁寧に置く。
さわさわと風にコーラスする音は、耳に優しく届いた。
まるで返事をもらったような気がして、騒がしかった心のうちが自然と鎮まってくる。

「不枯の花って言うんだって。枯れても綺麗な姿のままだっていうんだから、母さんにきっとよく似合う」

小さく笑って花束を見つめれば、この花束を用意してくれたジュードを思い出した。
どのタイミングで俺が墓参りをすると知ったのかは知らないが、シャン・ドゥへ出かけようとした矢先に渡されたのだ。
しっかり俺の身支度まで整えてくれて、軽く背中を押して見送ってくれた。
今まで母の眠る場所へ足を運ぼうとしたことがなかったため、俺が少し躊躇っていたことをジュードは見抜いていたのかもしれない。
一緒についてこなかった辺り、たぶん間違いないだろう。
本当に配慮に長けた奴だ。
そんなことを考えた後、俺は墓の前で今まであった出来事を母さんに報告した。

 

叔父を討ったこと。

エレンピオスに行ったこと。

バランに再会したこと。

プレザが亡くなったこと。

イスラが病んだこと。

大事な仲間が見守ってくれること。

 

それから、


「好きな奴がいるんだ」


離れたくない、失いたくないと心から求める相手ができたこと。


「今はつき合いながらの返事待ち。むちゃくちゃ可愛いんだ。やたらお人好しな優等生なんだけど、そいつだけが……最初から『俺』を見ようとしてくれてて、わかろうとしてくれてた」

たくさん傷つけて裏切ってきたのに、孤独に立ちすくんでいた俺の腕を引っ張って連れ戻してくれた。
帰っておいでって居場所を空けてくれて。
俺が踏み出すのを、何も言わずにただ静かに待っててくれたんだ。

「俺はもう失わない。独りにならない」

約束だとジュードは言った。
返事がどんなものであっても、俺を独りにはしないと。

「だから母さん……俺のことは心配せず、ゆっくり休んでいてくれ」

もう一度墓石に刻まれた名前をなぞれば、ふわりと優しい風が頬を撫でた。
あまりにも穏やかな風の感触に、『親はいくつになっても子供の心配をするものよ』なんて聞こえてきそうで泣きたくなる。
本当に、ジュードがついてこなくてよかった。
こんなみっともない姿、見せられるはずがない。
もう全部バレてるけど、好きな奴の前では格好よくありたいと願うのは仕方ないことだ。

 

「そうだ、これ……」

伏せた視線の先にあったポケットから、しゃらしゃらと音を立てているものを見つけて思い出す。
そっとポケットから取り出して、今度はそれを墓前に供えられた花束に引っかけるようにして置いた。
降り注ぐ陽光を反射して眩しいくらいに輝くそれは、遠い記憶にある小さな幸運のしるし。
琥珀の中に閉じ込めた、光葉のクローバーのペンダント。
エレンピオスへ赴いたときに、バランとの賭けで見つかってしまった光葉のクローバーだ。
もうとっくに捨てているものと思っていたが、ジュードが押し花加工して後生大事に持ち歩いていたらしい。
この前引越ししてきたときにそれを偶然見つけて、その時に墓参りをすることを決めたのだ。
ジュードから一枚もらってきたものをペンダントにして、今度こそ母に光葉のクローバーを贈ろうと、リベンジに意気込んでいたのは記憶に新しい。


「いまさらだけど……今まで、守ってくれてありがとう」


絶望の淵に立たされてさえ、俺は母さんがいたから抗ってこれた。

どれだけ血を流そうと
どれだけ人を騙そうと
どれだけ切り捨ててこようと

それら全てを凌駕するほど貴女の存在は大きかった。
独りならとっくに俺は死んでいただろう。
無力な子供が独りで生きていくことは、故郷であっても相当難しい話だ。
それが全くの異世界だというなら、血反吐を吐くほどがむしゃらに生に執着しなければ生きてなどいけない。
そして、その反動で心が歪んで死んでいく。

大事な仲間に出会えるまで

居場所を見つけるまで

この命と心を繋ぎとめたのは間違いなく母の存在だ。

 

愛していた。

 

俺を見ることはなくても。

その存在が重すぎると投げ捨ててしまいたくなっても。

 

それでも俺は、確かに貴女を愛していた。

 

 

 

「……おやすみ」

 

穏やかな優しい世界で父と2人。

どうか幸せな夢を見ていてほしい。

 

さよならを告げるにはまだ実感を伴わなくて、俺は祈るように瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/12/17 (Sat)

試行期間編開始
アルヴィンの墓参り。
『母のために生きてきた』って話より、『母の存在に生かされてた』って話。
レティシャさんの亡くなったタイミングを考えるとそうとしか思えない。


*新月鏡*