「Shall you love me? -Wish-」

 

 

 

大きなソファに沈むように座りながら、こくんと喉を鳴らして水を煽る。
冷たい水が心地いい。
ふぅ、と一息ついた頃、遅れてリビングへ戻ってきたアルヴィンが恨めしそうな視線で僕を見下ろした。

「もう大丈夫なの?」
「誰のせいだよ」
「アルヴィンのせいだよね」
「…………」

じぃっと穴が開くんじゃないかってほど凝視されて、僕はその視線に耐え切れずに肩を落とした。

「アルヴィン」
「なんだよ」

完全にふてくされてしまった長身を見上げて、こいこいと手をひらひらさせながら指示を出すと、渋々ながらアルヴィンは近寄ってくる。
その姿が本当に子供っぽくて、僕はなんだかおかしく思えた。
いつもは格好いい男の人なのに、食後の告白以降とんでもない変貌を遂げてしまったのだ。
僕が絶対に拒絶しないとわかったせいか。
完全に心許している証拠とはいえ、いささか激変しすぎじゃないだろうか。
油断すると苦笑してしまいそうになるのを押し隠し、アルヴィンの手を引いて隣へ座らせる。
何かと身構える彼の膝に片手を置いて少し身を乗り出し、先ほど大打撃を受けた顎へ指先を滑らせた。
多少赤くはなっているが、腫れるわけでもなさそうだ。
治癒する必要ないなと診断していると、アルヴィンの喉がごくりと鳴る。

「……今、何考えたの?」
「…………ジュード君からのご褒美」
「よし、どの武身技がいい?」
「調子に乗りました。不埒なこと考えててすみません」

輝かんばかりの笑顔で受け答えすると、アルヴィンの顔色がさっと青ざめた。
ディープキスから発展した護身術のコンボ技が相当トラウマになっているようだ。
だが、ハンデとしては妥当だと僕は思う。
アルヴィンには悪いが、根っからのタラシで女性を落とすことに手馴れてる人相手に、僕は自分の貞操を守らなければならないのである。
しかも全力で狙われているとわかってしまったのだから、防衛本能が反射的に発動するのは仕方ないことだと諦めてほしい。

「さてと、ちゃんと話してくれるんだよね?」
「あぁ、約束だからな。何から訊きたい?」

すっと意識を切り替えた後、アルヴィンは僕を促すように肩をすくめて問いかけた。
先ほどの甘えっぷりが嘘のように、こうして向き合うときの彼はすごく紳士的な目をする。
その何気ない動作に、彼は大人の男の人なんだということを改めて再認識させられて、僕は少し悔しくなった。

「……なんで、僕に料理させたいって思ったの?旅の間結構やってたし、今更な気がするんだよね。しかもこんな高い客室をわざわざ選んでまで。厨房借りるんじゃダメだって言ってたけど」
「あぁ、それね。だって、おたくの姿見えないだろ?」
「……うん?」

質問に返された返答に違和感を覚えて首を傾げる。
厨房だって、見ようと思えば見えるはずなので、ここまで徹底する絶対的な理由にはならない。
腑に落ちない表情が露骨に出ていたらしく、うぅんと悩む僕を見ていたアルヴィンが小さく笑った。

「俺さ、憧れてたんだわ」
「憧れ?」
「そ。自分のために料理作ってくれてる人の姿って憧れてたんだ。俺のためにしてくれるってだけで嬉しいし、それを俺だけが見ていられるってのもまたトクベツな感じがしていいわけ。だから、厨房じゃダメだって言ったんだ」

蕩けるような甘い微笑を浮かべて、嬉しそうにそう言うアルヴィンを見て、僕はたまらなく切なくなった。
彼が憧れるものの背景を思い出したせいかもしれない。
彼の求める『憧れ』は、ごくごく普通の家庭が持つ景色だ。
あたりまえで、とても尊い人の営み。
だけど、そんな温かな世界から引き離されてしまったせいで、彼の願いがこんなにもささやかで大切なものになってしまった。
もっと望んでいいはずなのに、彼は一般の人達がくり返す日常すら望まないと手に入らないと思ってる。

「……ごめん」
「何で謝んの?」
「ごめん、ね」
「ジュード?」

あぁ、どうしよう。
アルヴィンが望む世界を追えば、こんなにも切ない。
そんな風に思ってるなんて、考えもしなかった。
彼自身が気づけない、そのことにすら泣きたくなって、じわじわと目頭が熱くなる。

「っ……あー、ダメだ。アルヴィン、今こっち見ないで……」
「おい、ジュード……」
「……止めるから……ちょっとだけ、待って」

必死に言葉を紡いで押し留めようとするのだけれど、どうにもうまくいかない。
とん、と頭を軽く叩いて自分を叱咤しても、感情に連動した涙腺が言うことをきかなくて、狂ったままに溢れた涙が零れ落ちる。
彼が自然に望んでいるのだからこんなことで泣く必要はないんだと、何度も釘を刺してもまったく効力を発揮しない。
さすがにこれはまずいと片手で視界を遮って、アルヴィンの視線から隠すように俯くけれど、それは隙間から伸びてきた指で阻止されてしまった。
顎先に手を添えられ促されるまま面を上げれば、優しい顔をしたアルヴィンが嬉しそうに笑っていて。

「ホント……かわいーね、お前は」
「アル、」

僅かに逃げた身体を引き寄せられ、声を奪われる。
本日二度目になるキスは、手酷い線引きで学習したのかやたら甘ったるくて優しかった。
アルヴィンの唇が慰めるようにやんわりと触れて、また角度を変えて降りてくる。
甘くて柔らかい穏やかな気配に、自然と目蓋が下りて、その反動でまたひとつ涙が零れた。
包むように抱きしめてくる腕が、労わりに満ちているからたまらない。

「望めばいいのに」

濡れた頬を拭いもせず、ぽつりと吐息にまぎれるように僕は囁く。

「もっと、……アルヴィンは、もっとわがままになっていいんだ」
「ジュード?」
「もう自由なんだから、もっとたくさん欲しがっていいんだよ。誰もアルヴィンに言っちゃダメだなんて言わない。怖がらないで声に出して言って。アルヴィンはもっと望んでいいんだ」

ぎゅっと胸元のシャツを掴んで、訴えるように言葉を重ねる。
お願い、わかって。
そればかりが頭を占めて、祈るように必死に見つめるが、彼はまだ少し把握が追いついていないらしく困ったように眉根を寄せる。
その仕草に、やはり自分自身の望みさえよくわかっていないのだと確信して、今日の出来事に焦燥感が湧き起こった。

「……今、わかった」

今日、僕が選択をひとつでも間違えば、この絆は失われていたに違いない。

「アルヴィン……今日、僕がアルヴィンの気持ちに気づかなかったら、そのまま諦めて離れる気だったんだ」
「え……いや、それは……」
「そうだよね。告白すらあんなだったってことは、自分から言う勇気もなかったんだ。でも、離れられなかったから、ケジメのつもりで『お願い』してきたんだね?」
「あー……」
「馬鹿だな……いつからそんなに臆病になっちゃったの」

こてん、とアルヴィンの肩口に頭を寄せて瞳を閉じる。
自分が心底望んでいることを捨てて、そんな薄っぺらな願いだけを求めるなんて。
当たり障りのない生き方を選んだときから、きっとたくさん捨ててきたんだろう。
僕が実際そうだった。
似て異なる生き方をしてきたから、アルヴィンが僕選んだ理由も何となくわかる。
僕だって、アルヴィンの傍は居心地が良かったりするのだ。
ミラとはまた違ったベクトルで、僕はアルヴィンも尊敬してる。
何も言わなくても察してくれて、ほしがっている言葉をあっさりくれる彼の存在は、少し疲れた時に酷く恋しくなるのだ。
どうしたって理不尽さに荒れる心もある。
その気持ちに寄り添ってもらえる嬉しさは、甘くて優しい慰めになり、荒れた自分を宥め、前を向くための糧にもなるのだ。
仲間の中で、彼が一番その能力に優れていた。
自分の心を守るために鍛え上げられた洞察力や話術が、得てして彼の長所にもなったのだろう。
僕はそれに救われ続けてきた。
ミラと考え方の違いに悩んでた時、僕が自分で答えを出せるように返答を先延ばしにしたり休憩してくれたりと、こまごまと時間を作ってくれて。
『成すべきこと』に迷う時だって、思ったことでいいんじゃないかって言ってくれて。
彼自身がつらいときだって、「お前がするべきことはそうじゃないだろ」って叱ってくれた。
形は違えど、全て僕の気持ちを酌んで背中を押してくれた言葉だ。
なのに、どうして彼自身が自分にその甘さを与えないのか。
望むことを、願うことを、何一つ許されなかった環境が、彼をこんな風に臆病にさせてしまった。
誰かひとりでも、許しを与える人が彼の傍にいればよかったのに、彼を取り巻く世界はそれすら許さなかった。

「……望んで、いいのか?」

喉がひりつくように、かすれた声が弱々しく問う。
怯えを孕んだ眼差しが、あまりにも悲しい。

「望めばいいよ」
「……許される、かな?」
「僕が許すよ」

揺れた声につられて見上げれば、またあの情けない顔があって、もう本当にどうしようもないほど切なくなる。
今まで誰も許さなかったのなら、僕が許そう。
それを世界が許さないなら、共に抗おう。
それで彼が彼らしくいられるなら、それが一番いいことだ。
怯えなくていいと示したくて、躊躇いを見せるアルヴィンにそっと手を伸ばす。
だが、僕の指先はあっという間に捕らえられ、腰に回された大きな手のひらが身体のラインをなぞるように這う。
うん?ちょっと待って。

「じゃぁ、お言葉に甘えて。いただきま」
「それは別」

瞬間的に掴まれた手を抜いて逆に捕らえ、胸倉を掴んだままくるりと反転し勢い任せに投げつける。
軽く飛んだ長身は、ずどんと重々しい音を立ててソファから叩き落された。
あぁ、びっくりした。
あの雰囲気でそれを望むのか、この人は。
どれだけ欲望に忠実な願いしかないんだ、と甘やかそうとした思考を一気に切り替える。
アルヴィンのためにと砕いた心が、なんだか空しくなってくるから不思議だ。

「いっっっ…痛ぇ!だからなんでいい雰囲気なのにこんな目に遭うんだよ!」
「僕に関しては試行期間設けるって言ったでしょう?」
「許すって、今おたく許すって言ったのに、それ嘘だったの!?」
「嘘じゃないよ。だけど、望めば必ず叶うなんて言ってない」
「さ、詐欺だ」
「アルヴィンが言う?」

詐欺まがいに騙し続けてきたのは、どっちかというと彼の方だろうに。
完全にもとの空気に戻ってしまったので、ものすごく残念そうなやる気のない目が僕を見上げて訴える。
恨みがましく、また恋しがっているような瞳に、僕はひとつため息をついて決心した。

「ちゃんとルールで縛っとかないと自分の身が危ないっていうのは、よーくわかった」
「え、ちょ、ジュード君?」
「試行期間中、不埒な行為は一切認めません。ことに及んだ場合、全力で反撃にかかります」
「は……?」
「アルヴィン、いつまでなら耐えられる?」

にっこり笑って優しく問いかける僕に、真っ青になった彼は「悪魔だ……」と零した。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/12/10 (Sat)

甘々なのか、ギャグなのか。
精神的にアル<<<<<ジュなので仕方ない。
クロスカウンター前のジュード君ならすぐに陥落できたのにな、可哀想にアルヴィン。


*新月鏡*