「melty kiss」

 

 

 

くつくつ、ことこと。
ゆっくりじっくり煮込まれる食材が、じわりじわりとスープに溶けていく。
今日のメインのミネストローネ。
レードルを操り、くるりと大きく円を描いた後、ゆっくりと引き上げる。
少量のスープをひっかけ、ふぅっと息を吹きかけてすすれば、舌の上で緻密な努力が今日の出来栄えを騒ぎ出す。
うん、いい感じ。
納得のいく仕上がりは、踊るような足捌きと満面の笑みを引き出す。
今日の俺はすこぶる機嫌がいい。
慣れた手つきで蓋を閉め、コンロの火を止めると、俺は笑みを湛えたまま後ろを振り返った。

「兄さん、できたぞー?」

そう、今日は久しぶりの兄と一緒の夕食だ。
敏腕エージェントとして日々働く兄は忙しい身のため、同じ食卓を囲む回数は自然と少なくなっている。
だいたい自分が先に食事を済ましてしまって、兄が帰宅したのに合わせて食事を温めなおし、兄が食べ終わるまでテーブルに座っていることが多い。
日を跨ぐ場合は先に寝ていろ、と事あるごとに言われるが、結局は寝ぼけ眼で同じ習慣をくり返す。
俺が一度決めてしまったことはそう簡単に曲げないとわかっているからか、兄も今では口先だけの注意を慣例的に口にするばかりとなっていた。
そんな仕事に追われる兄が、今日はリビングのカーペットの上で転がっている。
規則正しい小さな寝息が、調理の音が消えた部屋に微かに聞こえた。
ゆっくりとした足捌きで音を忍ばせて近寄れば、あまりにも気持ちよさそうな寝顔が現れる。
普段のきっちりした着こなしはどこへ行ったのか、Tシャツ一枚で転がる姿はおっさんのそれだ。
俺がそんなこと思っていると言えば、きっと傷ついた顔をして怒るんだろう。
そんな予測と共に、昨夜「無理やり休みをもぎ取ってきた」と誇らしげに話していた顔を思い出してこっそり笑う。
兄も、これで少し子供っぽいところがある。

「兄さん、起きて」

そっと声をかけながら、近寄って膝を折る。
上から覗き込むと、やや視界が翳ったことで僅かに兄の眉根が寄った。
ついでに寝息もぷつりと途切れる。

「気持ちよく寝てるとこ悪いけど、ご飯が冷めるから起きてくれ」
「……んー……」
「兄さん?」

少し顔を寄せて呼びかけてみても、兄は薄っぺらい反応を返して沈黙する。
ダメだ、これは呼んだだけじゃ起きないな。
口の中でもごもごと言葉になりそこなった返事を返す兄に、俺は小さくため息をついた。
仕事がある日は、呼べばすぐに起きるのに、休日となるとたまにこうなる。
休日の優雅な昼寝を全力で満喫する姿勢は素晴らしいが、さすがに夕飯時まで転がしておくほど俺の心は広くない。
何より、せっかくの料理が冷めてしまっては元も子もないのだ。
料理のために非情にならなければ。
ぐっと拳を握り締めて意を決した俺は、兄の耳元に手をつき、左頬を数回軽く叩く。
すると、

「っ、んー……」

むずがるように顔を背け、おもむろに持ち上がった兄の腕が俺を追い払いにかかる。
眠りの無意識下で振るわれる腕に容赦はない。
鍛え抜かれた太い腕が、アッパーカットを仕掛けるごとき鋭さで俺の顎を狙いに来る。
敏腕エージェントは、寝てても狙いが正確なのか。
だが、伊達に俺も鍛えちゃいない。
とっさに首を傾けて交わし、身体を腕の隙間に割り込ませると、今度は兄の両頬を掴んでがっちりホールドした。
ふっ、これで押し返すことはできまい。
肘で身体を支えてバランスを取り、兄に体重をかけないように気をつけながらもう一度呼びかける。

「にーさーん、いい加減起きてくれ!」

ややボリュームを上げて起床を促した。
これで起きなかったら、今度こそ頬を容赦なく引っ叩いてやろう。
そんな思惑を敏感に感じ取ったのか、兄はこれでもかと眉間に皺を寄せて呻いた。
数秒の時間をかけて、頑なに閉じていた目蓋がゆっくりと押し開かれる。
光を拒むようなしかめっ面も、徐々に視界が慣れてくれば溶けていく。
ぼんやりと見つめ返してくる青の瞳を、まじまじと観察する機会は少ない。
こうして兄の瞳を見つめ続けていると、自然と色んなものがそぎ落とされていく。
たとえば、迫る時間と本来の目的。
たとえば、見失った理性と荒れ狂う感情。
いつも俺を見守ってくれる優しい目。
絵本に出てくる透きとおった海に似た穏やかさに、意識全てを掻っ攫われて。
その瞳に引き寄せられるように身体が傾いだ。
薄く開いた唇と自分の唇が触れ合う。
その間際に目蓋が下りて、失った視界の代わりに唇に触れる感覚がやけに強くなる。
少しかさついてるのは、部屋の湿度が足りないせいか。
重ねた唇を確かめるようになぞったところで、ふと意識が舞い戻る。

あれ、俺……?

何をしているのか、そんな疑問に首を傾げかけたとき、がちりと頭を押さえつけられる。
突然の拘束にとっさに目を開くが、その正体が兄の手だと気づけば一気に力が抜けた。
体重をかけてしまうという気遣いなど放棄して、至近距離にある兄の顔をぼんやり眺めていれば、やんわりと嬲るように唇を食まれる。
柔らかな感触の触れ合いに誘われて、再び目蓋が下りていく。
やわやわと遊ぶように弾力を確かめられたので、反撃としてかさついた唇をそっと舐め上げる。
舌先に少し引っかかる皮膚に、リップクリームなんてあったっけ?とあらぬ方向へ思考が飛んだ。
それでも、しっとり湿っていく唇に、徐々に熱が込み上げる。
混じる吐息ごと味わうようにゆっくりと重ねられ、僅かに離すたびに小さなリップ音が鳴った。
じれったくなるような動作で飽きもせず繰り返されるキスの応酬。
まどろみにも似た心地よさに夢中になって、熱を帯びた唇の感触だけを追い求める。
理由なんてない。
ただ、兄の存在を感じていたい。
子供遊びに似た感覚で唐突に始まったキスに、きっとそれ以上の意味などない。
世間的には倫理に外れた行動なのだろうけれど、不思議と兄の目を見た瞬間、無意識にそうしたいと思い、身体が従順に実行したにすぎない。
単純明快で純粋な動機だ。
全部預けるように身体を投げれば、包むように抱きしめられて。
当然のように応えて返される行動に、この上ない安心感を感じてしまって。
乱れた呼吸のタイミングに合わせてキスを中断し、兄の首筋に頬をすり寄せる。
追いかけてきた唇が目蓋にキスをくれて、睫毛に触れる感触が少しくすぐったい。
僅かに身をすくめてそれを示せば、柔らかい兄の笑い声が鼓膜を撫でた。

「いきなりどうした?」
「それは俺のセリフだ。何回やれば気が済むんだよ」
「お前の気の済むまで、だな」

照れ隠しの減らず口を叩けば、俺の行動理由などお見通しな兄が再び額に口づける。
親愛ばかりが注がれて、その温かさにゆるゆると唇が波打ってしまう。
正直、こうしてわかってもらえるのは嬉しくて、よしよしと髪を撫でられるのでさえ、今はとても心地よくてたまらない。

「で、済んだか?」
「…………まだ。あとちょっと」
「あ、おい、晩飯できてるんじゃないのか?」

そのために起こしに来たんだろう?と言われて、ちらりとキッチンへと目を向ける。
兄の指摘どおり、コンロの上にはスープ鍋が鎮座しており、オーブンの中には焼きたてのパンとミニグラタン、冷蔵庫の中にはトマトサラダとデザートが眠っている。
全て取り出せば、食卓に並ぶディナーはあっという間に完成する。
久しぶりにできたての食事を兄に食べてもらえる、そんな希少価値のある時間。
わかってはいる。
しかし、その夕食の時間と、このぬくもりを天秤にかけると、どうにも身体が動かない。
そういえば、こんな風に抱きしめられるのも一緒に食事をする以上に久しぶりだと気づけば、自然と視線はキッチンから外れ、背けた顔を兄の肩口にすり寄せていた。

「あとで温めなおせばいい」
「珍しいな。お前が料理を後回しにするなんて」
「そういう気分なんだ。たまにはいいだろ?」
「寂しがりの甘えため」
「うるさい」

気恥ずかしさに突っぱねるも、「俺としては嬉しいがな」なんて言われたらこれ以上憎まれ口すら叩けない。
甘えやすいように応えてくれる兄はずるい。
だけど、どれほど意地を張ったって、この腕の中から抜け出すには、まだあと数分の優しい時間が必要な気がした。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2013/03/02 (Fri)

甘すぎるくらい甘ったるいユリルドを書いてみたくて。
ユリルドの場合、キス程度なら兄弟間の愛情表現の一種で割り切って終わりな感じがする。
んでキスを仕掛けるのは、ルドガーさんからやりそうよね、と。
兄さんは自制してるだけなので、了承得られればいくらでもちゅーしてくれそう。
そんな話。


*新月鏡*