※『World destruction』の続きにあたる話
「Fortunate insanity」
会いたかった。 ひと目だけでも、面と向かって、会いたかった。
それは最後のわがままだった。 せめてと願い、自分に許した甘い欲。 それが最悪の事態を招くことになるなんて、思いもしなかった。 本当にルドガーを想うなら、俺は黙って死を選べばよかったのだ。 全ての事を終えてから、場所を指定し、呼び出せばよかったのだ。 だが、 「お前は……俺なんかのために、全てを捨てたのか」 血に沈む複数の亡骸を前に、悠然と佇む後姿。 それはいっそ絵画のように実感なく、だが瞬きを忘れるほど魅入られる光景だった。 最も血なまぐさい場所から遠かったはずの弟が、当然のようにその場にいる。 その得体の知れない違和感に視界が揺らいだ。 バランスを崩しそうになって、忘れ果てた身体を動かした瞬間、沈黙に潜んでいた激痛が、思い出したように暴れまわる。 「うっ……ぐ、あぁぁぁぁっ!!」 「、っ!」 急速に進む侵食に耐え切れず崩れ落ちれば、向かいから聞こえる息を呑む音。 うずくまって必死に痛みを押さえ込んでいると、僅かに働いた聴覚が、遠くで響く金属音を拾い上げる。 透きとおる音は滑るように数回跳ね返った後、しんと静まる細波へ溶けた。 それと同時に、慌しい足音が駆け寄ってきて膝を折る。 戸惑いに揺れる声が耳に囁いて、触れていいものかと悩むように、武器を持たぬ白い手がふらりと空を彷徨う。 数秒ふらついた末、そっと壊れ物にでも触れるような労わりに満ちた指先が肩を掴めば、じわりと熱が溶けてくる。 癒すような心地よさにゆるりと視線を流し身を委ねようとした矢先、その先にあった現実に凍りついた。 その甲に、柔らかな雰囲気を裏切る紅の跡。 本来、弟にあるはずのない血塗れた指先。 消し去りようのない、無惨な真実。 「兄さん」 飛沫のように紅の走る指先を愕然と見つめていると、不意に頭上から声がした。 そろりと見上げる先、ぎゅっと眉根を寄せたまま、ひたと見つめる翡翠の瞳。 「兄さんは、まだ、死にたい?」 真意を探るように問いかける声。 俺の中に潜む、死を望む片鱗を見逃すまいとしているのか。 逸らされることがない双眸が、俺の内側を暴きにかかる。 「時歪の因子化の痛みに苦しむくらいなら、死にたい……そう願うなら、俺は、止められない。これ以上、兄さんを苦しめたくない」 「……ルドガー……」 「だから、兄さんが望むなら……俺の手で、ひと思いに殺してやる」 吐露される想いは本心。 その優しい殺意の裏に垣間見える悲嘆は、きっと膨れ上がるばかりなのだろう。 このまま俺が死を望めば、ルドガーもまた、嘆きに呑まれて死を選びかねない。 それほどまでに、思いつめた瞳が切々と訴える。 沁み込む声は、涙を押し殺すように震えて。 肩を掴む指先が食い込むほど、力加減を忘れたルドガーは苦しげに想いを吐き出す。 望むなら、殺してやると。 お前の幸せを願う俺に向かって、俺を想うお前が悲しみを受け入れてでも、殺してやると。 あぁ……なんてことだ。 「ルドガー……」 「だけど、俺はっ!」 「もういい」 「っ、……」 決定的な本音を叫ぶ前に遮れば、ルドガーは小さく唇を噛んで黙った。 叱られた子供みたいに、泣きそうな顔で必死で耐えている。 きっと、どうにもならないのかとか、そんなこと本当はしたくないとか、理不尽に降りかかるだろう現実を予測しながらも、俺が遮った荒れ狂う本音を心の内側で叫んでいるのだろう。 お前は思ったことがよく顔に出るからな。 堪えきれず息を吐くように小さく笑えば、響いた痛みが突き上げる。 あぁ、だが、どうにもおかしなことに、それすら心地いい。 「もういい……よく、わかった」 そっと右手をルドガーの肩に置き、少しの距離をとれば、いよいよルドガーの表情がくしゃりと歪んだ。 だが、それでも折れそうになる心を叱咤して、懸命に唇を引き結んで笑みすら見せようとする。 そんな笑みを見せられて、どうしてこれ以上の殺傷を望めるだろう。 想うゆえに笑みを返す健気さを、どうして愛しまずにいられるだろう。 そして、慈しみ、愛しむ分だけ、嘆かせるわけにもいかなくなる。 「ルドガー……」 死を覚悟したはずなのに、こうまで言外に願われれば選べるはずがない。 お前が必要としない俺の死など、何の意味も成さない。 だが、それ以上に。 「これも俺が望んだ世界……か」 そっと身を委ねるように、その肩に寄り添う。 弟のために死ねるなら、それは兄として誇らしい最期なのは間違いない。 ルドガーの幸せを願うことも、嘘偽りない俺の願い。 しかし同時に、許されるならと望んでいたものだって確かにあるのだ。 俺がいて、お前がいて、そうして隣に立っていられる日常を。 一族の宿命と因果ゆえ、尊く眩しいものになってしまった平穏な日々を。 それを、今、世界は俺にくれるらしい。 捻じ曲がり、歪さを増したものの、最後の最後で俺の願いを叶えてやると。 払った代償は大きいが、それでも望み叶ったことで得る幸福感は計り知れない。 くくっと喉を震わせて笑えば、幾分不安げな瞳でルドガーが小首をかしげる。 「にいさ」 「俺と、生きてくれ……ルドガー」 そう囁いた瞬間、ひっ、と喉の引きつるような悲鳴と共に息を呑んだルドガーが、一拍の間を置いて俺の背中へ腕を回してきた。 安堵からか、悲嘆からか、しがみつくように痛いほど抱きしめられる。 もうずいぶん劣化した感覚から、じんわりと伝わる温かな熱が確かな証拠。 世界に望まれなかったこの命を、世界の理を覆して望まれる幸福。 この先の命がたとえ極僅かで限られたものであろうとも、今この時より、俺はこの世で最も幸せな人間として生きていけるのだ。 多くの屍の上に築かれた城で、夢のように優しい時間を、誰より傍にと望んだ人と共に過ごす。 それは、なんて幸せなことだろうか。 「うちに帰ろう、兄さん」 当然のように示される帰り道。 このときのルドガーの歪んだ微笑みを、俺は一生忘れない。 血塗れてなお、心優しい弟。 お前を狂わせたのは、俺の罪。
だが、この微笑も悪くないと思える俺は、罪すら心地いいと感じるほど、とうに壊れていたのだろう。
* * * * 2012/12/23 (Sun) ルドガーさんが苦しむとわかっていながら呼び出した理由。 死を覚悟する代わりに、自分に許した最後のわがまま。 ルドガーさんが「望むなら殺してやる」って言ったのは、『兄の死を望む全ては、俺の手で破壊する』という意思から。 *新月鏡* |