「World destruction」

 

 

 

信じられなかった。

信じたくなかった。

 

それは、俺にとって何よりの裏切りだった。

 

 

 

賑わう街の声がこんなにも煩わしいと感じたことなどなかった。
行き交う人波が、こんなにも腹立たしいと感じたこともなかった。
わき目も振らずに走り続けて、息も絶え絶えになりながら、それでも逸る気持ちが不穏な予感を囃し立てる。
不気味な空色が覆う港までたどり着き、探し回り、ようやく見つけた光景に、俺は悲鳴を上げた。

「うあぁぁあぁぁ―っ!!」
「ルドガー!?」

走り寄る勢いを削がず、自害しようとしている兄さんを飛びかかるように押さえ込んだ。
だが、兄さんのとっさの反応で力が拮抗する。
その僅かな反動に、揺らいだ剣の刃が首筋に触れた。

「っ……!」

恐怖にぎくりと凍りつく。
喉が引きつって、上手く呼吸ができない。
しかし、負けるものかと唇を噛んで必死で引き寄せれば、兄さんの腕からするりと力が抜けた。
ゆっくりと下げるように誘導すれば、促すままに腕は下ろされる。
だけど、それでも兄さんが剣を手放さないから不安が消えない。
叩き落してしまえればよかったが、震えた手を兄さんから引き離すだけで精一杯で、そんなことも気づけなく て。
ただ、信じられない光景を目の当たりにしたショックに、愕然とするばかりだった。

「結局、来たのか……ルドガー」
「……兄、さん……」

幾分硬い声音に名を呼ばれ、自然と呼び返した声さえ揺らぐ。
小刻みに震えたままの指先からは、徐々に熱が失われているようだ。

「……本当に、こんな方法しかないのか?」

きっと何かあるはずだ。
他に別の方法があるはずだ。
縋るような俺の甘い願望。
だけど、それをよりにもよって兄さん本人があっさりと否定する。
さらに、

「そんなに悩む必要はないさ」

なんでもない口調で、兄さんが、現実が、さらに俺に選択を迫る。
ヴィクトルに出会ってから、ずっと心の端で抱いてきた不安。
骸殻能力を使いすぎた代償。
エルがずっと俺の代わりに背負ってきたそれは、兄さんにも起こりうる可能性だとわかっていたし、不調の兆 しからなんとなく嫌な予感はしていた。
だけど、

「そんな……」

兄さんの左手に宿る、揺るがぬ事実を目の前に突きつけられれば、さすがに淡い願望すら抱けない。
時歪の因子化の侵食。
淡々と自分の死を確定させていく兄さんを、俺は呆然と見つめるしかできなかった。
いくら足掻いても、いくら否定しても、困ったような顔をしながら決して譲らない。
時歪の因子化に伴う苦痛にとうとう膝を折ってなお、兄さんは自分が犠牲になることを望み続ける。
僅かに残された時間で、意味のある最期を迎えたい。
そんな意地を張るわりに、抱きかかえるように支えた指先から、抑えきれない震えが伝わる。
荒くくり返される呼吸と眉根を寄せて耐え続ける表情を見れば、時歪の因子化に伴う苦痛がどれほどその身を 苛んでいるのか想像に容易い。
人の限界を知りながら、それでも力を使い続けてきた代償の証。
酷使し続けた力が何のために振るわれてきたのか、そんなもの、考えなくても身に沁みてわかっている。
何度も諭そうとしてくれた。
何度も引き返す道をくれた。
傷つく前に守ろうと、身を呈して庇ってくれた。
なのに、俺が耳を貸さなかったばっかりに、もう取り返しのつかないところまで来てしまった。
俺の、せいで。

「兄さんが死ぬなんて……嫌だ!」

腕に力を込めて抱きしめる。
こうでもしないと、繋ぎとめておけないような不安に、ただ必死にしがみつく。

「放してくれ……ルドガー。今やらねば……お前を犠牲にするしかなくなる……」

そう言って、弱々しく押し返してくる指先は、こんなときまで優しい。
その優しさに、より一層喉が締め上げられる。
認識の甘すぎた俺のために、こんなにもボロボロに傷ついた人を、どうして死に追いやれるというのか。
何処へも向けられぬ憤怒がちらついた矢先、背後に佇む人達の会話が耳を素通りする。
どうにかできないのか、何か方法はないのか。
そんな声に、もう時間がない、方法はないと答える声。
そして、

「……わかってやれよ。これがお前の兄貴の望みなんだ」
「そんな風に割りきれないよ!」

割りきれない?

「そうだろうけど!……他にどうしろって……」

他にどうする?
声が、内に蠢く何かに触れていく。
嫌だ、嫌だと叫びながら、それでも自分の中に生まれた違和感が徐々に形を成していく。
これは、なんだ……?

「ここまできて目をそらすのか?いくつもの世界を破壊して、ここに立っているお前が」

強く諌める声が降り落ちる。
あぁそうだ、壊してきた。
ことごとく、跡形もなく、ミラの世界も、エルの世界も、皆に優しい世界も、何もかも。
だけど、その叱咤に違和感が膨れ上がる。
この現状と分史世界の破壊が同じ意味合いだとでも言うのか?
兄さんが死ぬことと、分史世界が消滅することが、同じ比重だと?
誰より傍にいてくれた俺のたった一人の家族と、存在すら知らなかった世界を破壊することが?

「ルドガー……」

引き離すように触れたジュードの手を払いのける。

違う……。

同じじゃない。
同じなものか。
ぞわりと腹の底で憤怒がざわめく。
あぁ、そうだ。
そうだったんだ。
兄さんが、遠ざけて守ろうとしてくれていたから、俺はこんなことにも気づかなかったのか。
きっと、兄さんが本当に遠ざけたかった過酷さは、今俺の胸に渦巻く絶望だったのだろう。
ようやく身に沁みて実感する消失の恐ろしさと、自分に課せられた行動の代償、その重さ。
俺は、今まで『他人事の悲劇』を観て、胸を痛めていたにすぎなかった。
きっと破壊される側は、今俺が感じる心境に酷似していたに違いない。
そう想えば、ミラには、ずいぶん酷いことをしてしまったと思う。
俺が出会った、最初のミラ。
意地っ張りのくせに寂しがりやな可愛い人。
俺が壊した世界の被害者。
完全に加害者の俺を、それでも折り合いをつけて受け入れようとしてくれた彼女には、きっと一生敵わない。
そんなミラの死は、身近な人の死だったが、共有した時間が短かったためにここまでの絶望は呼ばなかった。
エルが俺の分までミラの死を悼んでくれたから、というのもあるだろう。
きっと、分史世界を破壊し続けてこれたのも、どこかで他人事だと考えていたからだ。
仕方ない、どうしようもない、これは仕事なんだ、と。
痛める胸は本物だった。
湧き起こる怒りも本心だった。
だけど、ここにきて、それが壁一枚隔てた向こう側で感じていたことだとわかった。
初めて『正史世界の犠牲』を世界が求めてきたことで、俺はやっと目が覚めたのだ。
この身を揺さぶる感情の、その決定的な差異に。
あぁ、俺は本当に馬鹿だった。
こうなるまで気づかなかった。
悔やみきれず、押し殺すように兄さんの肩口に顔を埋めれば、察した兄さんがもう一度俺を押し返す。

「家に帰れ、ルドガー。やっぱりお前には無理だったんだ」
「兄さん……」
「けど、俺は、そんなお前が――……ぐあぁぁぁ!」
「っ、兄さん!」

想像の追いつかない苦痛と上がる悲鳴に、さらに力を込めて兄の背を掻き抱く。
少しでも痛みに寄り添いたくて、やわらげたくて、ただがむしゃらに縋りつくしかなかった。
だが、兄さんは俺を通り越して、俺の背後にそっと目配せをする。

「すまん……手を煩わせることになった」
「……わかった」
「俺がやる」

迷いなく返された応答と、背後に突きつけられる剣先。
淡々と成立する会話に背筋が凍った。
どうして……?
どうして、そんな真似ができるんだ?
背後に立つ人たちから隠すように、腕の中の身体を抱え込んで声を張り上げる。

「やめてくれ!お願いだっ!」
「許しは請わん。俺たちは、この世界のためにカナンの地へ辿り着かねばならないのだ」

硬い、押し通すようなガイアスの声。
その一歩も譲らぬ意思の声に、俺はようやく答えを知った。


――――……あぁ、違和感の正体は、これか……


何故、仲間に感じる違和感にすぐ気づかなかったのか。
わかっていたはずなのに。
知っていたはずなのに。
割りきれないと動揺を口にしながら、それでも確定している事実。

何のために。

誰を。

どうする気なのか。

 

この場にいる全員の、その最大の目的を。

 

「あ……あぁ……」

悲しかった。
信じられなかった。
信じたくなかった。
それは俺にとって何よりの裏切りだった。
だけど、同時に、俺はわかっていた。
どうしようもない心の隔たりがあるのだと。
俺と仲間の間にある差異は、俺にとっての『兄さんと分史世界の比重の差』と同じだけ存在するのだと。
あぁ……本当に、なんて酷い現実だ。
深く目を瞑り、俺を支えてくれ、と願うように兄さんの身体を掻き抱く。


――――『大切なら守りぬけ、何に代えても』


ごめんな、エル……

 

 

「うあぁぁぁ――――っ!!」

喉をほとばしる絶叫。
吹き上がる潮風に混ざって響き渡り、身のうちにわだかまる感情が音になって吐き出される。
全部、この咆哮に乗せて切り捨ててしまおう。
世界の危機も。
共に戦ってきた仲間も。
兄さんと対峙してでも守ろうとした少女も、全て!

「ルドガー……!?」

戸惑いに揺れるジュードの声も、ずいぶん遠い。
抱え込んでいた兄さんの身体をゆっくりと支え起こし、確定した意思に目を閉じる。
兄さんが、俺のために自分の命を捧げることを望んでいるのはよくわかった。
自分の存在意義のために心底望んでいるなら、俺は兄さんを止めることはできない。
それも、わかっている。
だけどその死を、兄さんを殺すことを、世界に望まれているのだと思えば許せなかった。
そして、それを仕方がないと割り切ってしまえる人たちも。
兄さんが望むだけの死なら、俺だってここまで怒りを覚えることもなかっただろう。
だが、世界の理不尽さが。
現実の不条理さが。
そして、戸惑いながらも諦めろと促す、優しくて残酷な人たちが兄の死を望む。
こんなこと、あっていいはずがない。
こんなにも残酷な要求が許されてたまるものか。

 

たった一人の大切な兄が、誰にも生きろと望まれない。

そんな現実など、

 

「……俺が、壊してやる!」
「お前……!」

時歪の因子の兆しに侵食された手が僅かに引き止めるが、それも振り切る。
優しい指先を振りほどくと同時に、兄さんの懐から銀色の時計を抜き取った。
向き合った瞬間、まさか、とたじろぐ人たちに向かって、そのまま何の躊躇いもなく二つの時計を合わせて掲げる。
きっと、ジュードたちが港へ足を踏み入れたときから、こうなることは決まってたんだ。
もはや、誰も俺を止められない。
止めることなど許さない。

 

兄の死を望む全ては、俺の手で破壊する。

 

 

簡単なことだ。


そうだろう、兄さん?

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/12/19 (Wed)

ルドガーさんが、『本当の意味』で破壊の痛みや覚悟を知るのは、ユリウスを手にかけた時だと思って。

私の初見プレイ時の心情的にもこんなだった。
港に来る前にやれよ、このやりとりをさぁぁぁ!!
殺す気で来ておいて今更ぬるい戯言言ってんじゃねぇよ!となったのは言うまでもない。


*新月鏡*