「Shall you love me? -confession-」
食後のデザートを完食した後、僕は再びキッチンのシンクに立っていた。 食べ終わった食器の片づけをせっせとしながら、たまにちらっとリビングへ視線を投げて、また戻す、をくり返している。 僕の視線の先には、リビングのソファに座るアルヴィン。 いい大人がワイン片手にほろ酔い気分で楽しいらしく、鼻歌交じりに飲みながらこちらを眺めてばかりだ。 ぼんやり見つめてふわふわと笑うアルヴィンの姿を見てしまうと、不安はないがどこか引っかかる。 先ほどのやり取りのせいか、はたまた今日一日様子がおかしかったせいか。 もやもやと悩みながらも、手についた水気を切ってタオルでふき取った後、グラスに水を注いでアルヴィンのところまで持って行く。 結構な量を飲んでるので多少心配はするのだが、こちらの心配を他所に本人いたってご機嫌だ。 「はい、アルヴィン。水飲んで」 「ん」 傍に寄ってグラスを差し出せば、ワイングラスをローテーブルに置いて受け取ってくれる。 完全に酔いつぶれていないのが救いか。 ゆっくり喉を潤す酔っ払いに、小さく苦笑が漏れてしまう。 完全にグラスが空になったのを確認して、僕は一息つくと切り出した。 「ねぇ、本当に今日はどうしたの?」 「料理のこと?」 「それもあるけど、今日のアルヴィンなんだか変だよ。何かあった?」 「……あったといえばあったし、なかったといえばなかった」 「もう、どっちなのさ」 「どっちもホント。嘘じゃねーよ」 くすぐったそうに笑いながら、やんわりと頭を撫でられる。 「今日は俺の目的がなくなった日。そして、『日常』が戻ってきた日。大きな変革はあったが、俺たちはもう日常の中だ。だから、あったといえばあったし、なかったといえばない、だろ?」 おどけたように笑う彼が言わんとしてることに行き当たって、僕は目を見開いた。 アルヴィンが言うように、彼の中の目的は、果たされてしまったことで失われている。 断界殻の消滅という目的が果たされた今、すぐに別の目的を持って動ける人間はきっと、僕とローエン、ガイアスくらいなものだろう。 ただ、目的を持たずとも、人は日常に帰っていく。 レイアは本来の仕事に戻ればいいし、エリーゼはこれから学校へ行く準備があるだろう。 アルヴィンだって傭兵稼業に戻ればいいと思っているに違いない。 だが、彼はそれで自分を許すほど甘い人じゃない。 故郷に帰る、そのためだけに生きて、故郷を生かすために抗い、最後の決戦に挑んだような人だ。 僕がミラの背中を追って確立したように、彼もまた自分の芯を持つ生き方を選んだ。 だから、目的を持たない自分だけが置き去りにされていると、彼自身が感じている。 そんなはずはないのに、僕がいることでこの人を追いつめている。 「……アルヴィン」 「そんな顔してくれるなよ」 僕の感情はそのまま顔に出ていたらしく、落ちた視線を救い上げるようにアルヴィンの手が頬を撫でる。 優しい指先に誘われるように面を上げれば、苦笑気味の瞳が僕を見つめる。 「これでいいんだ。望んだ世界で、いい結末で、これからの未来には可能性が山ほどある。それでいい。ただ、俺は……少し手放しがたかったんだ」 「何を?」 「お前を」 「……うん?」 しゅん、とした気分も、唐突に投下された発言に吹き飛んだ。 今、何を言われた? 思わずアルヴィンを見つめれば、僕の予想とは違って茶化すような気配は微塵もない。 どういうことだと小さな混乱を呼ぶ頭を必死に冷やしながら、目まぐるしく考えていると、神妙な面持ちでアルヴィンが言葉を継いだ。 「もうこっちの世界に俺の帰る場所なんてない。だから、仲間が全員ばらばらになったとき、怖くなった。何処に行けばいいのかわからなくて……無理やり理由つけておたくについてきたんだけど、特に用もないし。訊かれたときはどうしようかと焦ったんだぜ?」 「あー……だから僕の会話も受け流してばっかりだったんだね」 「悪いとは思ったけど、言い繕えば墓穴掘りそうだし、誤魔化したら怒るだろうし。そういうときは黙るのが一番いい」 あの気のない返事と、興味なさそうな受け答えは全部この理由から来ていたのか。 ようやく解明されたアルヴィンの違和感に、少し落ち着きを取り戻した僕は、改めて目の前の男に怒りを露にする。 「ひどいよアルヴィン!僕、すっごく心配したんだよ!?」 「悪かったって」 「死ぬほど反省して」 「反省してます、ホント悪かった!」 「次はないよ」 「はい、ごめんなさい」 拳を見せ付けるように握り締め、頭から叱りつけて釘を刺すと、ばつの悪そうな顔をしていたアルヴィンが素直に謝ってきた。 こういう姿を見ると、アルヴィンはだいぶ変わったんだな、と実感する。 きっと僕らが傷つけあう前の頃だったら、のらりくらりと言葉をかわされて、茶化された挙句、いつの間にか消えてしまっているはずだ。 僕の前では誤魔化さない、嘘をつかない、そういった意味合いも言葉尻から感じて取れて、僕は絆されるように許してしまう。 それくらい、向き合って大事にしようとしてくれてる証拠だから。 不器用なりに向けられる優しい気遣いと決意が、素直に嬉しい。 そんな気持ちに自然と微笑んでしまえば怒りも何処へやら。 もういいよ、とだけ囁いて今度は僕がアルヴィンの頭をゆっくり撫でる。 「はぁ……やっぱり、手放したくなくなるわ」 「アルヴィン?」 「居心地いいんだ、お前の傍って」 よしよしと頭を撫でられていたアルヴィンは、項垂れるようにこれ見よがしのため息をつくと、またしても僕の混乱を招く言葉を呟いた。 思い出される問題発言が再び舞い戻って、ぶり返した熱に頭の中がオーバーヒートしそうだ。 待って、これってどういう状況? 混乱に慌てふためきながら、表情は固まったまま訊いてみる。 「それ、どういう……」 「そのまんまの意味」 そのままの意味? 僕と一緒にいるのが居心地良くて、手放したくないって言葉のまま受け取ると、それってなんだか……。 「……ねぇ、アルヴィン」 「うん?」 「…………僕にしてほしいことって、料理作ることだけじゃないよね?」 撫でていた手をそっと下ろして、そう問いかけながらじっと見つめれば、アルヴィンはゆっくりと目を見開く。 驚いた、とぽそりと零した後、今度はいそいそと僕から離れ、手を伸ばしても届かないぎりぎりの絶妙な距離を取って目を逸らした。 何、この距離。 突如開いた空間を見ていると、言い澱む声と共に「あー」だとか「うー」だとかアルヴィンの唸り声が聞こえてきた。 「アルヴィン」 「……」 「言わないと嫌いになるけど、言っても嫌いにはならないよ」 「……っ!」 ぽそっと呟くようにそういえば、今までののっそりした動きが嘘のようなすばやさでこちらに顔を向けて凝視してくる。 僕の聞き間違いと勘違いでなければ、僕は相当な場面に居合わせ、なおかつ当事者になっている。 少し頭が重いが、真っ直ぐ向き合おうとする彼に応えると決めたからには、しっかり受け止めて応えなければならない。 そんな僕の思惑など知らないアルヴィンは、口を開けたり閉じたりと踏ん切りがつかないらしい。 言いづらそうなのはわかるけど、こればっかりははっきりしてもらわないと困る。 僕の憶測とアルヴィンの本音が同じだとはっきりわかれば、こんな中途半端な感情に彼が居場所を失うことはないのだ。 「…………」 「たぶん、大丈夫。そんなことで離れたりしない」 「ジュード……」 「今、僕を信じなくてどうするの?」 誘うように首を傾げてみるも、アルヴィンは躊躇ったまま視線を彷徨わせる。 でも、僕の中には不思議と確信に似たものがあって、彼が切り出すのを静かに待っていられる。 たぶん、彼が恐れている『消失』も『拒絶』もおそらくない。 僕はきっと突っぱねたりしない。 そんな気がするから、極力言いやすい状況を作ろうと画策するものの、どうにもアルヴィンは口にできないらしい。 抗い続けた果てに『諦める』ということを覚えてしまったせいか、彼はやけに臆病になってしまった。 今まで自分を偽ってきた鎧がないために、ダイレクトに伝わる痛みを思うと恐ろしいのだろう。 だけど、ここまで自分に譲歩させておいて、動かないのも腹立たしい。 「そう、じゃぁいいよ」 「っ、ジュード!」 がたっと音を立てて勢いよく立ち上がり、ずかずかと大またで玄関を目指せば、背後で悲鳴のような制止が僕を呼ぶ。 次いで振り返る前に腕を掴まれ、引き寄せられた。 一歩の距離を開けて引き戻された先には、苦渋に満ちたアルヴィンの顔があって、僕は本当にどうしようもないほど困ってしまった。 迷いなく引き止めたわりに、詰まった言葉を持て余して泣きそうな顔で弱っているアルヴィン。 そんな彼を前にして、どうしてこの手を振りほどけるだろう。 自分の絆され加減に呆れつつ、はぁ、と大きくため息をついて、代わりに問いかける。 「ねぇ、どうしてほしい?」 できる限り優しく囁けば、僕を見つめる瞳が僅かに揺らぐ。 震える唇は、彼の躊躇い。 放さない指先は、彼の願い。 揺れる瞳は、彼の想い。 そっと促すように自由に動く方の手を彼の腕に添えれば、掻き消えそうな声が零れ落ちた。 「……傍に」 ただ一言。 「……離れないでくれ……独りに、しないで」 堰を切ったようにひとつ、ふたつと零れ出した声は徐々に大きく、訴えるように願われる。 掴んでいる僕の腕まで微かに震え始めるほど怯えた彼の手に、僕はそっと自分の手を重ねてみた。 ひどく冷たくなってしまった指先は、彼が振り絞った勇気の証明。 「俺を、……愛して」 ――――あぁ、やっぱり…… 胸を抉るような切なさで、彼は僕に唯一無二の感情を望んだ。 縋るように弱くなる瞳を見つめたまま、僕は静かに彼の名前を呼んで問いかける。 「僕で、いいの?」 「……お前がいい」 ――――『お前じゃなきゃダメだ』 そう苦しそうに囁かれたと思った瞬間、力強い腕が僕を離すまいと抱きしめる。 言葉の代わりに想いを伝えようとするように、ただ必死にぎゅうっと掻き抱かれて、僕は少し息苦しくなった。 熱を奪うような荒々しささえ感じて、それくらい熱望されてると実感する。 どうしてここまで執着されているのかはわからないけど、本当にアルヴィンは僕を選んだんだな、と思った。 この世でただ一人、自分と寄り添う絶対の相手を。 「アルヴィン……僕ね、アルヴィンのこと好きだよ?」 「……知ってる。だけど」 「うん、それじゃダメなんだよね」 アルヴィンが求めているのはただ一人に注がれる唯一の感情。 僕が彼に持ち合わせてる感情は、きっと彼の望むそれとは少し違う。 でも、近しくもあるような気がして、その差異だけ寂しい気持ちが生まれてしまう。 そしてまた、このどうしようもない差異が、今すぐ調整できるものではないのもよくわかる。 だから、 「ねぇ……だったら、もう少し一緒にいてみない?」 「……?」 「僕は今すぐアルヴィンに応えられるほどアルヴィンのこと知らない。僕たち、色々あったけど、結局お互いの本音がわかったのって最近でしょう?だから、もう少し一緒にいてもっと知っていけたらなって。そしたらアルヴィンにちゃんと応えてあげられる気がする」 ぎゅうぎゅうと抱きしめられながら、相手の背中をゆっくり撫でるように何度も軽く叩けば、アルヴィンも自然と落ち着いてきたらしく、少しずつ緩やかな抱擁に変わっていく。 お互いの温かさを分け合うような、優しい抱擁を交わしながら、僕はゆっくり語り聞かせるように提案してみた。 だって、いきなり「好きなんだ、だから俺を愛して」なんて言われて、驚きこそすれ、はいそうですかって応えられるはずがない。 それこそよくある返答で「まずお友達から」「ではお付き合いから」となるに決まっている。 だから、少しの期間を挟んで気持ちの確認ができたらなと甘く考えて提案したのだが、言葉を失っているアルヴィンを見上げて、ちょっと可哀想なことをしたかもしれない、と思った。 「……それって、生殺し?俺むちゃくちゃ頑張って告白したけど、今の何?無駄骨?」 「じゃぁアルヴィンは、僕が適当に返事していいの?」 「…………」 「心の整理つかないまま今すぐ突き飛ばして『お断りします。一生お友達でいましょうね』って言って出て行くかもしれないよ?」 「………………」 「嫌でしょ?」 「……確かに」 そんなことされたら一生立ち直れない、と項垂れる背中をあやすように数回優しく撫でる。 彼にしてみれば一世一代の告白をかわされた挙句、中途半端に待てと言われている状態なのだから、すんなり受け入れられる条件ではないだろう。 かなり酷い扱いだと自覚もしてる。 だけど、 「アルヴィンには酷なことかもしれないけれど、これからの僕たちの関係を深めたいと願うなら、この試行期間は必要な時間だと思う」 「…………」 「離れるわけじゃないでしょ?」 「……」 「今はこれで許してよ」 未だ解かれぬ腕の中で、もそもそとアルヴィンを見上げて首を傾げれば、アルヴィンはぐっと息の詰まった表情で固まった。 その情けない表情に、仕方ないな、と目を伏せて一呼吸。 「それに」 「それに?」 「これくらいできる程度には、僕はアルヴィンのこと好きだよ」 何のことかとつられて首を傾げたアルヴィンにそっと手を伸ばす。 足りない身長差を爪先立ちで補って。 右頬に手を添えて、左頬に唇で触れる。 ほんの僅かな戯れをけしかけ、まばたきひとつの間を空けて再び定位置に戻った。 左頬を無意識に押さえて呆然とするアルヴィンに甘く微笑み、最後の起爆剤を投下する。 「期待、した?」 いたずらっ子のごとく振舞ってみれば、からかわれたと気づいたアルヴィンは一気に赤面して言葉を失う。 あわあわとたじろぐ彼を見上げながら、何故かけしかけたはずの僕もつられて少し赤くなってしまった。 どうしよう、何でこんなに可愛く見えるんだろう。 自分よりずいぶん大人な彼が見せる動揺が、こんなに心くすぐるなんて思わないじゃないか。 慌てて俯き、逃しきれない熱を持て余していると、先に落ち着きを取り戻したアルヴィンが片手で顔を覆って項垂れた。 「はぁ…………あぁ、くそ!覚悟しとけよ。絶対落としてやるからな」 「そう簡単にはいかないと思うけど?」 「言ってろ」 軽やかでじゃれるような挑発を重ね、再び強く引き寄せられる。 抗う前に降ってきた唇に、僕は言葉を奪われた。
――――『愛してくれませんか?』 切なくなるような求愛にはまだ応えられない。 僕はそれほど大人じゃないから、もう少しだけ逃がしてほしい。 ただ、優しいくちづけを許すくらいには、僕は彼に絆されている。
* * * * 2011/12/06 (Tue) もうすでにアルジュですよね、何言ってんですかジュード君。 そんなツッコミが聞こえてきそうです。 *新月鏡* |