「solar midnight -Drown-」
世界はいつだって綺麗なままそこにある。 差し伸べられる優しさなんてなかった。 ただひとりを除いては。
涼やかに頬を撫でる風が心地いい。 喧騒から程遠い、自然が生み出した綺麗な景色。 隆起した岩の間を駆け回る風が水面を追いたて、水に突っ込んだ素足を撫でるように細波が寄せて返す。 あまりに平穏でのどかな景色に、逃げるようにハ・ミルを後にしてからずいぶん経ったような錯覚さえ覚えた。 実際は、たった数時間前の話だ。 とっさにあの場所から逃げ出したものの行く当てもなく、気づけば俺はキジル海瀑にたどり着いていた。 がむしゃらに駆けてきたが、こんな情けない面を他所様に晒すわけにもいかなかったので、人っ子一人いないこの場所はむしろ都合が良かった。 歩き続けて中ほどまで来たとき、もういいかと腰を下ろしたのが今の場所だ。 心がぐちゃぐちゃな上、頭の中まで混乱した状態で、かれこれ2時間は軽くこの場にい続けている。 わけもわからず競りあがる嗚咽をこらえて、身体を丸くして耐え続けて。 ようやく落ち着き始めた頭でぼんやり思い出せば、懐かしい記憶がささくれ立った心を撫でる。 そういや前もこの場所で休憩したんだっけ。 あの時は、ミラがプレザに捕まって、ジュードが機転を利かせて助けたんだ。 わざわざ巨大魔物と大バトルを繰り広げた奴なんて、後にも先にもあいつだけだろう。 記憶の温かさに、自然と小さく笑みが零れる。 だが、すぐに現状を思い出して再び情けなさに心が冷めた。 ――――『アルヴィン』 まだ耳に残る声。 最後まで、ジュードは俺を呼び続けた。 期待を散々裏切って、ミラを見殺しにして、レイアを撃ったこの俺を。 正直、嬉しかった。 まだ俺に手を差し伸べてくれるのかと。 その優しさが何を理由に差し出されるのかはわからないが、それでも引き返せない場所まで来てさえ、その手が変わらず俺に向けられていたのは事実。 だが、それがジュードの手を取れなかった理由だった。 人間ってのは、何かしら対価交換で行動する。 掛け値なしに差し出される善意などない。 そう考えて生きてきたため、俺はとっさにジュードの裏に潜むものを読み取れず、理解不能な行動を恐れ、回避した。 ――――俺は、結局誰も信じられなかったんだな 今思い返せば、そんな後ろめたい計算をあのジュードができるはずなかったとわかる。 だが、それでも信じられなかった。 ジュードという存在が、俺の中であまりにも規格外すぎるんだ。 いままでそんなやつに出会ったことがなかったために、混乱に陥った俺は自分を守るために拒絶を示した。 無償の優しさは綺麗な仮面で、その後ろに隠された素顔はほとほと醜いものだとこの世界に教えられてきたんだ。 そうだと信じてきたんだ。 それがどうだ。 誰しも疑い遠ざかるはずの場面ですら、あいつは俺に差し伸べ笑ってさえくれた。 嬉しかった。 その手を取りたかった。 だけど、嬉しさより恐怖が上回ってしまったために拒絶した。 最後に見た甘い夢が潰えることを、俺は無意識に恐れたんだ。 ――――『それが、アルヴィンの本音』 そう言って、自分ですら気づかない俺の本心を見つけてくれた奴だから、俺は最後の最後で甘い夢を見たんだ。 悪夢に飲み込まれながら、それでもと僅かに期待した。 俺を理解しようとしてくれていたジュードに、最低最悪の期待を押しつけた。 引き返せなくなる前に、あの時のように俺を止めてくれるんじゃないかって。 本当の俺はこんなこと望んでないって教えてくれて、もう一度迎えてくれるんじゃないかって。 だから、ハ・ミルで銃口を向けたとき、その期待に添わないジュードに怒り、『お前はそうじゃない』と否定した。 今にして思えば、ずいぶん都合のいい自分勝手な感情だ。 「……最低だ」 あぁ、本当に最低だ。 今になって気づくなんて。 こんなに痛い……こんなにつらい……。 小さな期待ひとつで、これほど悲しく、胸が抉られるように痛むなんて思いもしなかった。 ジュードは、こんな思いを何度もしながら、幾度となく俺を受け入れてくれていたのに、俺はそれを当然のことだと深く考えもしなかった。 今まで俺に切り捨てられてきた奴らだってそうだろう。 プレザがあれほど根強く憎悪するのもやっとわかった。 やっと、わかったのに。 俺は、もう何処にも居場所がない。 誰とも繋がれない。 この世界でたった独りだ。 優しかった手を捨てたのは、ジュードではなく俺だった。 本当に失いたくなかったものを、自分から捨てに行った愚か者だ。 「…………っ」 逆巻く感情に、自然と目蓋が熱くなる。 視界が滲んで、喉の奥から声にならない音だけがかすれるように零れるばかり。 ぽつり、ぽつりと岩肌に染み入る涙が止まらない。 折りたたむように片膝を曲げて、頭を抱えるように伏せる。 故郷を諦めず帰るために足掻き続けること、それが生きている理由だと信じていた。 今までの自分を否定されたくない。 無駄だと思いたくない。 そうやって、必死に故郷へ帰ることにしがみついた。 それを悪いことだとは思わない。 だけど、故郷を選んだ代償は、俺が失ってはいけないものだった。 もう遅い。 何もかも中途半端で手遅れだ。 戻れもしなければ、何処にも行けず、選んだ取引すら破綻した。 ミュゼには何と話そうか。 いっそ全部吐いて殺してもらった方が楽でいいな、なんて自暴自棄な考えすら思いつく。 そこへ、 「あぁ、やっと見つけたわ」 噂をすれば何とやら。 件の死神が、死の宣告を突きつけに来たらしい。 舞うように飛んできたミュゼは、俺の目の前でふわりと止まり、飛空艇で会ったときの綺麗な微笑で問いかける。 「まったく、あちこち探し回ったわ。それで、ジュードたちは殺しました?」 「……」 「どうなんです?」 「…………」 「まぁ……、喋ることすらできないほどショックを受けたの?そんなに悔やまなくてもいいじゃない。あなたは望み通り、死に行く故郷へ帰るのだから」 俯いたまま沈黙を維持し続けていると、ミュゼは俺の態度から勘違いしたらしく、勝手にぺらぺら話し始めた。 慰めに見せかけた軽蔑と同情のような罵りを交えて、軽やかな声音で歌う。 「あなたがどれほど悔やんでも無意味。あなたを信じていたジュードたちは戻らない。あなたがあなたのために彼らを捨てたのだから、一体何を悔やむというんです?」 「……うるさい」 「望みが叶ったと喜べばいいじゃない」 「黙れ……」 「そんなに苦しいなら、今ここで死を選んでもいいんですよ?」 「黙れって言ってんだろ!」 全身で拒絶するように叫び、すばやく左に銃を構えてミュゼを撃つ。 水面を銃声が駆けて、遠くで鳥の羽ばたきが飛んでいく。 ぐっと射殺すような視線で睨みつけるが、弾丸を事もなげに重力波で受け止めたミュゼは楽しそうに笑うばかり。 「あははっ、ごめんなさい。私なりに気を遣ったつもりなんだけど、お気に召さなかったようね」 「消えろ」 「ふふっ、そうね、私の用事が全て済んだ後で迎えに行くわ。巻き込まれて死なないよう、お祈りしながら待ってなさい」 ミュゼは勝ち誇ったように見下して、楽しそうに笑いながらイラート海停へまっすぐ空を駆けていく。 遠ざかる姿を目で追う気にもなれず、抉られた心と連動した激情を鎮めるだけで必死だった。 ミュゼがあっさり引いてくれたから、今は何とか自分を押さえ込んでいられるが、もしあのまま対面し続けていれば止められなかっただろう。 固く握り締めた銃を意識して手放そうとしても、上手く指が動かないのがいい証拠だ。 きっと俺は死を選んででもミュゼを殺そうとした。 それくらい、今の俺には聴きたくもない言葉ばかり、彼女は意図的に口にしていた。 全部自覚してて、何度も自分で自分を責めた言葉だ。 なのに、実際口にして言われると、鎮めていた感情が溢れ出して決壊しそうになる。 湧き起こる憤りとやるせなさに荒れ続ける心を持て余し、何とか落ち着こうと目を閉じたとき、背後に気配を感じて反射的に銃を向けて撃ち放った。 「うわっ!あっぶねーな、何しやがる!」 遅れて視線を振れば、岩陰から出てきた赤い服の少女がじたばたと暴れていて、それを止めるように少女の襟首を掴んだ女が次いで顔を出す。 「……さっきの銃声……やっぱりあなただったのね、アル」 長い髪をなびかせ、艶かしい肢体を惜しげもなく晒した女が、心配げな声音で俺を呼んだ。 だが、その声に俺は視線を逸らすことしかできなかった。 何故彼女たちがここにいるのかはわからないが、俺が考えたところで意味がない。 今は誰とも会いたくないし、話したくもない。 それだけが頭を支配していて、俺は再び穏やかな風景に視線を向ける。 しかし、話すことはないと背中を向けたにも拘らず、プレザはゆっくりと俺に近づいてきた。 「今のはミュゼよね。あなた一体何をしてるの?」 「……」 「だんまり?あなたはいつもそう。都合が悪くなれば取り繕うどころか何も言わない。そんなあなたを勘違いして、いいように解釈してくれるのを待ってるのよね?」 プレザは、わかったような口調で告げ、右手で髪を梳きながらため息をつく。 「それで、ボーヤに愛想でもつかされたのかしら?」 「っ!」 たった一言に、抑えようとしていた枷が吹き飛ぶ。 爆発的に湧き起こる憤怒に任せて、隣に立っていたプレザを引き倒し、細い首に腕を宛がい押し付ける。 気道を圧迫されたためプレザが苦しげに呻くが、怒りに捕らわれた俺の身体は制御が全く利かない。 ぐ、っとさらに力をかけたとき、横合いから火の精霊術が飛んできてとっさに避ける。 さらに追撃してくる炎の弾丸をすばやく避け、迎撃して相殺する。 俺から解放されたプレザは強く咳き込み、それを庇うようにアグリアが立ちはだかった。 「てめぇ……どういうつもりだ!」 「っ……げほっ……ア、ル」 「余計な詮索はなしだと、お互い決めたルールだろ。破ったのはお前だ」 冷淡に吐き捨てるように言えば、プレザは僅かに目を見開いて視線を落とした。 俺とプレザの間には、過去に決めたひとつのルールが存在している。 お互いの事情を一切聞かず、今あるままを受け入れ、割り切ること。 実際、俺がスパイの真似事してて、プレザも潜入捜査中の身だった頃の話だ。 両者にとって都合がよく、また絶対破ってはならない一線がこのルール。 それは今でもずっと続いている、俺とプレザの盟約みたいなもんだ。 そのルールをわざわざ侵し、土足で踏み込んできた彼女を排除しようとして何が悪い。 構えを一向に解かないアグリアを一瞥し、再びプレザに視線を戻せば、納得したらしい彼女は咳を治めて口を開いた。 「私が悪かったわ、もう訊かない」 「おいババア、何言ってんだよ!こいつ」 「いいの、今のは私のミスよ」 しきりに俺を指差して騒ぎ立てる少女をあしらいながら、プレザはゆっくりと立ち上がり俺を見る。 「何も訊かない。その代わり……私と来なさい」 「はぁ!?何勝手にもがっ」 「悪い話ではないはずよ」 「…………」 アグリアを拘束して口を塞ぐプレザの瞳には、確信めいた輝きが閃く。 どうやら、この女はもう俺の状況を察したらしい。 憎らしいほど的確に予測を立てて判断してくるのは、さすがプレザといったところか。 確かに悪い話ではない。 特に目的も持たない俺は、今何をしようが何をしまいがどうだっていい。 むしろ、動いている方が気がまぎれるかもしれない。 さらに、ミュゼに取引が破綻していると気づかれたときには、こいつらはいい戦力になってくれるだろう。 本格的に危なくなれば、こいつらを囮にしてさっさと逃げてしまえばいい。 そこまで考えて、再び胸の奥底が冷える。 こんな状況と状態になってまで、打算と利益で動くのか、俺は。 利用することしか知らないから失ったんだと、あれほど悔やんだというのに。 「答えは?」 「……いいぜ」 「ふふっ、いいお返事ね」 端的な会話で、全てが決まる。 幾分満足げな顔をしたプレザを見つけたが、今の俺にはなんら影響を与えない。 ずいぶん心が死んでしまったようだ。 ついて来てと促され、俺は脱いだままのブーツに足を通すと、プレザとアグリアの数メートル後を追ってゆっくりと歩き始めた。 納得いかないと苛立たしげに寄こされる視線を完全に無視し、移ろい過ぎる景色をぼんやりと眺める。 どうやら行き先はニ・アケリアらしい。 ――――こんな俺を、ミラはどう思うんだろうな そんなくだらないことを考えながら、俺はキジル海瀑を後にした。
もう、どうしたいなんて望みはしない。 祈ることも、願うことも、たくさんだ。 心が唯一求めた優しい夜は失われた。 それだけが事実。
一番光の届かない暗闇で死に絶える。 凍りついた心に、光が差すことはない。
* * * * 2011/12/02 (Fri) ついにアルヴィンの意思が折れました。 この後、徐々に怒りが沈静化してどん底豆腐メンタルに大変身ですね。 あと、ややアルプレの過去を捏造しました。 きっとこんなやり取りで割り切った関係だったんじゃないかという願望。 予断ですが、ミュゼについて。 実は彼女、アルヴィンたちをエレンピオスに帰した直後に即滅殺する気満々だったとかいう裏設定があったりする。 どっちにせよ死ねってことですね、さすがミュゼ様素敵だwwww 次、レイア視点に地味に続く予定。 *新月鏡* |