「solar midnight -Duty-」

 

 

 

噛み合うような金属音を、もう何度聞いただろう。
気がつけば左手に愛用の銃があって、しきりにシリンダーを開いて装弾数を確認している。
ぼんやり心ここにあらずの状態で、逆さにした弾倉から落ちる弾丸を手のひらに受け止め、またひとつひとつじれったくなるような手つきで填めていく。
そして全て填まったのを確認した後、ゆっくり閉じて祈るように銃を正面に掲げる。
一体何に祈るというのか。
神様もクソ喰らえと罵り、精霊様すら死神同然の状況だというのに。
祈る対象を持たぬまま何度もくり返すこの行為は、徐々に無意識で行えるようにすらなった。

ミュゼと交渉したあの日から早10日。
彼女のご要望の抹殺対象探しは、自分が思うほど捗らなかった。
あらゆる伝手を持つこの俺が、特徴も人物像もはっきりしている特定の人間を探し出すのに10日もかかったのは相当珍しいことだ。
本当なら3日程度で所在をつきとめ、今頃とっくに陥れて葬っている。
らしくないペースの乱れが心を乱し、ついでに祈るという謎の行動まで出始めた。

ふぅっと長く細いため息をついて、高台にある茂みの中からこじんまりしとした家屋を眺めやる。
甘い香りの漂う穏やかな風景は、いつか訪れた記憶を手招く。
あの頃は、女の方が標的で、まさか巻き込まれた不幸な青少年を標的にする日がくるなんて思いもしなかった。
懐かしい記憶を冷徹な感情で押しやり、息を潜めて目的の人物がいる小屋へそっと近づく。
裏手までたどり着いたとき、少し影を帯びたレイアの背中が集落の方へ去っていくのを見て、ひとつ深呼吸をした。
完全に姿が見えなくなったのを確認して、小屋の扉を開き身体を滑り込ませる。
できるかぎり足音を殺して侵入するが、粗捜しするまでもなく標的はあっさり見つかった。
ベッドに項垂れるように座ったまま微動だにしないジュードは、別れ際に見た姿からは想像もつかないほど薄暗い気配を纏っている。
俺を恨んでいるのなら、当然憎い相手にわざわざ反応してやるのも癪なのだろう。
無反応、無関心が一番心に堪えるからな。
自分なりに理由をつけて納得すると、左手に携えていた銃をジュードに向ける。

「……お前たちを殺せば、エレンピオスに帰してもらえる。……ミュゼと取引した」
「……ミュゼ」

俺の存在に気づいていながら反応しないわりに、ジュードはミュゼの名前をおぼろげに口にした。
たったそれだけで少し心がざわめいたが、全て見ないフリをして目を細める。
決めたはずだ。
捨てられないもののために、この絆を切り捨てると。
ぎゅっと唇を引き結んでしばらく相手の反応を待つと、ジュードは全くこちらを見ずにぽつりと返した。

「いいよ。もう、好きにしてよ……」

完全に意思の欠落した諦めの声が、静寂に落ちる。
聞いたことのない、俺の知らないジュードの声。
何かと受け入れる癖があったのは知っている。
それが欠点であり、また彼の柔軟さの表れでもあった。
だが、これは違う。


――――お前は……そうじゃないだろ!


絶望にも似た爆発的に湧き起こる憤怒に、ジュードの胸倉を掴んで引き上げ、銃口を額ぎりぎりに突きつける。

「何でも受け入れて……そういうのがムカつくんだよ!」

俺を見ろ。

ミラを見殺しにした俺を。
お前に死を与えに来たこの俺を。

罵る言葉と睨むように刺す視線に願いのような怒りを込め続けるが、ジュードの視線は虚空を彷徨う。
今にも目蓋の落ちそうな虚無の眼差しがゆらゆらと影を漂わせ、薄く開いた唇からは息苦しさのためにかすれた呼吸音を吐き出すばかりで、反発の意思すら返って来ない。
死ぬほど憎まれることを覚悟していただけに、全く食い違う反応に怒りと戸惑いが交錯する。
動揺に連動した指先が小刻みに触れて、引き金ががちがちと鳴り続ける。
やけに耳障りな音を止めようと、引っ掛けていた指先に力を込めたとき、

「ダメ!」

真横から押しやるような衝撃を受けて、引っかかったままの指先が引き金を引いた。
鼓膜を揺さぶる銃声が小さな部屋に響き、ジュードの髪を掠めて壁を穿つ。
続けてもう一度同じ音が重なる中、驚きに呑まれながら妨害してきたレイアを見止めれば、急激に憤りが加速する。

「このっ!」

食い下がるレイアを振り払うと同時に、再度引き金に触れる指は躊躇いなく発砲を促した。
あらぬ方向へ発射された弾丸は、木造を抉り痛々しい弾痕を残して床を削る。
振り払われ突っ伏したレイアが小さく呻いたが、俺は気にもかけずにシリンダーを開いた。
俺の銃は、圧倒する威力を放つ大型な造りのかわりに、装弾可能な3発を撃てばリロードを必要とする。
叔父のショットガンと似た構造なだけに、こういったときはなかなか面倒だ。
小さく舌打ちしながら、右手で弾薬箱から弾丸を取り出す。
無意識のリロード作業すら容易く填まるはずの弾丸が、何故かこのときやけにブレた。
輪胴枠を何度も滑り、小刻みに震える指先に合わせてカチカチと小さな金属音が鳴る。
慣れているはずの動作が上手くいかないことに苛立ちを覚えた瞬間、再びレイアが身体ごと投げるような体当たりをしてきた。
重心を揺らす衝撃に、僅かに手元が弛む。
重々しい音を立てて銃が転がり落ち、次いで弾丸が床へ散らばった。

「来て!」
「レイア!」

銃を追って落としていた視線を戻せば、レイアがジュードをひっぱり裏手の扉から出て行く後姿が映った。
怒り任せに唸るように叫ぶものの俺の声は制止にならず、拒絶するように扉がけたたましい音を立てて閉まった。
冷静さから程遠い感情を持て余しながら、荒い動作で床に転がったままの銃を拾い上げ、シリンダーに改めて弾丸を装填する。
苛立ちを押し込めるようにねじ込んで乱暴にシリンダーを閉じれば、我を忘れるほどの怒りが少しは晴れた気がした。
逃げ去った2人は、おそらくそんな遠くへは逃げられない。
あの状態のジュードを引きずって、女であるレイアが逃げられる範囲は限られている。
子供の逃亡劇の甘っちょろさに口端を歪めて笑い、俺は裏手の扉へ手をかける。
ふと何気なく振り返れば、レイアが持ってきたのだろう、綺麗にカットされたナップルの実が床へ無残に転がっていた。

『いい匂いの正体はナップルの実だ。甘酸っぱくて美味しいんだよね』
『じゅるる……興味深いな』
『盗み食いすんなよ。追われる理由が増えちまうからな』

耳の奥に響く懐かしさが僅かに心を揺さぶったが、俺はゆっくりと目を伏せて外へ足を向けた。
小屋から出た途端、ふわりと髪を煽る風に乗せて涼やかな甘さが鼻腔をくすぐる。
この芳醇な香りはパレンジか。
纏わりつく過去に目を細めて空を見上げた。
忌々しいほどこの地は思い出に溢れている。
何かひとつでも思い出せば、芋づる式に脳裏で再生される温かな記憶。
俺が、これから切り捨てに行くもの。
ぶち壊しに行く過去に未だ捕らわれ続けている自分に、ふつふつと怒りがこみ上げた。
引きずられる思い出を小さく頭を振って追い払うと、見上げていた先にちらちらと移動する人影を見つける。
高いパレンジの木を繋ぐ橋の上、のろのろと移動している2つの影は間違いなくレイアとジュードだろう。
さわさわと鳴る葉ずれの音を追うように果樹の下まで歩き、設置されている梯子を上る。
上りきった先に逃げ惑うレイアと放心状態のジュードを見止めて、俺はためらいなく銃を構えて撃った。
だが、またしても狙いを外れて手前の手すりを弾丸が削る。

「見つけたぞ」

狙いが逸れたことに重なる苛立ちを音に乗せて吐き出せば、思う以上に荒々しい自分の声が耳に届く。

「ジュードは殺させない!わたしが守るの」
「逃がさない。もう無駄だ」
「そんなことない!もう目を覚ましてよ!アルヴィンだって……」
「何もかも無駄なことだったんだよ!」

ジュードを庇うように棍を構えるレイアに、大剣を抜き放って突き進む。
無駄じゃないなんて綺麗事、いい加減反吐が出る。
俺が生きてきた20年も、ミラが賭した命も、全部この取引の前では無駄なことでしかない。
俺の絶望や世界の思惑など何も知らないお子様は、抽象的な綺麗事を謳い続けて夢を見る。
目を覚ませ?
お前の方こそ目を覚ませ。
殺しに来た奴相手に、何をのんきに説得交渉挑んでんだ。
いつも以上に大振りに薙ぎ払い、叩き折るように振り下ろせば、受け流し続けるレイアの表情が歪む。
お仲間ごっこの時以上の威力で振り切ってるんだ、細身の女が扱う棍ごときに重厚な大剣がいつまでも受け流せるはずがないだろう。
ジュードが佇む場所まで押し切ると、レイアはジュードの肩を押してさらに奥へと逃げるように促した。
押された勢いでジュードの背中がふらふらと遠ざかる。

「そんなことない!」

薙いだ剣戟をすれすれでかわし、軽やかに後方へ飛びのいたレイアは叫んだ。
ふわりと欄干に飛び移り軽業のごとく走る。
こうなると、上方に振り回すことに向かない大剣は役に立たない。
仕方なくレイアを追って細い欄干を足場にすれば、ぐらぐらと重心が揺らぐ。
さすがにこういった足場での戦闘は、バランス感覚に富んだレイアの方が優勢か。

「だって!まだみんな生きてる!エリーゼだってローエンだって。それにガイアスたちだってきっと!」

呼吸を乱しながら棍で応戦してくるレイアを、力任せに橋に叩き落す。
その隙を逃さず追って斬りかかるも、棍を盾にレイアは鍔迫り合いを挑んできた。

「わたしたちも生きてるじゃない!」

避けるでもなく挑んでくる辺りが、彼女の真っ直ぐな気性を表しているように思えて苦笑してしまいそうになる。
殺し合いを知らないからできる芸当なんだぜ?
レイアは踏ん張ろうと両足でしっかと踏みとどまるが、少し体重をかけて振り抜けばあっさり後方へ吹き飛んだ。

「……そんで、どうすんだ?」

今までしてきたことが全部無駄だったことと今生きていることに、いったい何の関係があるって言うんだ。

「あいつはもういないんだぜ?」

何の関わり合いもない俺たちを繋いでいた彼女はいない。
狩る者と狩られる者、それを覆すものは何もない。
短い旅路も、過去の記憶も、甘い時間も、お前たちが提示するであろう全てを持ってしても、俺を止める枷には決してならない。
そして、俺がジュードを葬った時、彼女の命と想いが無駄になる。
判りきった結果を言って何が悪い。
何を根拠に『そんなことない』と否定する。
大剣を弄びながら嘲るように問うが、その問いに答えは返って来ない。
返らぬ回答に焦れて再びレイアに向けて大剣を振り下ろしたが、またしてもかわされた。
ならば、と流れを殺さず反転し逆さに斬りつけ振り上げる。
剣にひっかかる感触を感じたと同時に、レイアの手から抜けた棍が弧を描いて地上へ落ちた。
細身の腕を思えば、かなり耐えた方だろう。
武器を失いうろたえた隙に、レイアのこめかみを剣の柄で殴りつける。
崩れ落ちたレイアの向こう、クリアになった視界の先にジュードを捉えると、俺は銃を掲げて狙いを定めた。
だが、やはりジュードは何処ともいえぬ場所を見据えてこちらを見ない。
このトリガーを引き絞るだけでお前は容易く死んでしまうというのに、抗いひとつ見せずに無関心で世界を眺めるばかり。
生きながらえていながら、投げ出し、諦め、その手にあるものをあっさり捨てる。

「ダメ!」

はっと沈んでいた思考を呼び戻せば、レイアが俺の腕を押しのけ銃を取り上げようと必死に縋りつく。


――――あぁ、またお前か……レイア。


さすがにしつこく阻まれれば、健気な少女にすら苛立ちがこみ上げた。
動けないよう足に鉛弾でも撃ち込めば、多少は静かになるだろうか。
うっすら面を上げる暗い感情に任せて、振り払ったレイアの白い足に銃口を向けて発砲した。
反射的に足を縮めて避けたレイアのすぐ隣を弾丸は正確に打ち抜き、その反動で2人分の重さを支えきれなくなった橋板がみしみしと音を立てて崩落する。
木屑を巻き上げながら落下する2人を追って見下ろせば、けたたましい音と共に打ちつけられた地面の上で、なおも起き上がろうとするレイアの姿があった。
綺麗な空言を謳いながら抗うレイア。
だが、圧倒的な力の前では何もできない無力な女の子。

「俺たちはただの人間だ」

そう、何の使命も持たないちっぽけなただの人間だ。
生きる目的を容易く見失い、生きるためとあらば他人を貶めることも厭わず、平気で仲間を見殺しにできる。
無様で残酷で非道な生き物だ。

「あいつのようにはできない」

彼女のような眩しい生き方なんてできないんだよ、俺たちは。
心の中でそう吐き捨て、地上へ戻るために踵を返す。
足音を追うように崩壊する橋板は、俺が遠ざかると同時にぴたりと止んだ。
パレンジの木の元までたどり着くと、途切れた柵を軽々飛び超え地上まで一気に落下する。
内臓を押し上げるような浮遊感は、何度体感しても高揚するものがあってなかなか癖になりそうだ。
散らばる落ち葉をクッション代わりに踏みつけ着地する頃には、先に落下した2人のうちひとりは完全に立ち上がっていた。
こちらに背を向けて立つレイアの後ろでちらつく黒。
またしてもレイアが阻む壁になっていることに、もやもやとくすぶる怒りが止まない。
威嚇射撃のひとつでもかませば、レイアは反射的に振り返るだろうと苛立ち任せの短絡思考で結論付け、俺は白い背に向かって銃口を定めた。
レイアが振り返る、その隙にがら空きになったジュードを撃てばいい。
そう端的に考えて引き金を引く。
だが、撃ち出された弾丸は掠めるどころかピンポイントでレイアの右胸に近い部分を打ち抜いた。

じわりと白い背中に広がる赤。

緩やかに崩れ落ちる華奢な身体。

見開く蜜色の瞳と黒の姿。

 

俺の、望んだ条件。

 

 

「レイア!」

息の詰まるような切羽詰ったジュードの声に、吹き飛んでいた意識が返ってくる。
思惑通りレイアという壁は取り払われた。
そして望んだとおり、ジュードが無防備に目の前にいる。
だが、

「い、今のは……」

がちがちと左手が震える。
狙った場所は右肩すれすれのはずで。
だからレイアは無事でいなくてはいけなくて。
なのに、どうしてレイアは倒れたまま動かない?

俺は……望んでない。

俺は望んでなんかいない!


こんな形で叶えてくれなんて言ってない!

 

「アルヴィン!」

久しぶりに呼ばれた声に怒りを含んだ憎しみを垣間見る。
はっとしたようにジュードを見れば、射殺さんばかりに鋭い視線が突き刺さった。
あまりの憎悪に身体がたじろぐ。

最初に浴びせられるはずだった感情。
覚悟していたはずの眼差し。

今まで、俺を見なかったくせに。
初めからそうしていてくれればよかったのに。
何故今になってそんな目で俺を見る!

「ジュード、お前がっ!」

唸るように叫び、我を忘れたように駆け出して、がちがちに震えた左手をグリップごと強く握り締めジュードに叩き込む。
手ごたえを感じたと同時に頬に重い衝撃が打ち込まれるが、足を踏ん張り奥歯を噛んで耐える。
衝撃に耐えたその姿勢を活かして上から体重をかけて拳を降り抜くと、突っ込んできた反動でジュードが地面に衝突した。
転がるように転倒するもジュードはすぐさま地面に手のひらを当て、とん、と身体を軽く押し上げる。
ふわりと空中に飛び上がり軽やかに身を翻して着地すると、口元を乱暴に拭い再び飛ぶように駆け出す。
剣戟の間に銃撃を合わせて翻弄するが、ジュードの回避能力はすさまじく、一閃は身を反らしてかわされ、銃撃は最小限の動きで身を捻って避けられる。
身近で見てきただけにそう簡単に喰らってくれないとわかっていても、ことごとく避けられるのは面白くない。
肉薄してくる拳をぎりぎりで避け、叩き込まれる掌底破をバックステップで回避し距離をとる。
開いた距離を目算で測って銃撃を上空へ向けて放ち、隙なく追撃してくる蹴りを大剣を盾にカバーする。
だが、やはり身体全体を使って流れるように打ち出してくるため、勢いが強く押し切られた。
僅かにバランスを崩した俺に向かって、低く構えたジュードが突きを出す。
猛る獅子のごとき気の塊を受ければ、長身の俺も容易く足元をすくわれ吹き飛んだ。
衝撃に歯噛みしながらとっさに盾にしていた大剣を地面に突き刺し、それを軸に立て直せば、さらなる拳が目前に迫る。
まずい、と直感的に感じたものの、僅差で降り注ぐ鉛弾の鋭い雨に、俺を殴る予定だった拳が遠のいた。
致命傷を完全に回避したジュードだが、無数の弾丸の雨を避け切れなかったらしく、肩や足、ところどころに負った傷から血が滲む。

「なんで……なんでなんだアルヴィン!」
「何を今更!俺はこういう奴だっただろ!」
「わからないよ!」
「わかれよ!」

何が『わからない』だ。
身を持って何度も何度も傷ついてきたくせに。
俺に求めた期待は全部ぶち壊されるって知ってるくせに。

「お前が目障りだったんだよ、ずっと!」

お前の存在は俺の芯を揺さぶる毒だ。
子供だと思えば大人びた態度をとって、割り切れる奴なのかといえばそうでもない。
単純な理想論を謳い、眩しいほどの期待で俺を乱す。
そのくせ、自分の力の届かないことにはあっさり諦めを示して、受け入れて、抗うことを選ばない。
俺が選びたくても選べなかったものを、お前は容易く選び取る。

「頼むから消えてくれよ優等生……いつもみたいに受け入れろ!」
「消えられるわけないだろ、こんなことで!」

そう叫びながら左腕をやや庇って向かってくるジュードに、応戦の銃撃を連弾でお見舞いする。
だが、突進してくる勢いを殺さず舞うように弾丸をかわされ、気づけば重みのある拳が眼前に迫る。
慌てて頭を下げて体勢を低くしかわすも、ジュードは振り抜いた勢いのまま俺の背中を台にして跳び越え背後に回り、着地した低姿勢のまま足払いをかけてくる。
流れるように無駄のない立ち回りに、俺は小さく舌打ちすると、大剣の柄を強く握り締めた。
突き刺さったままの大剣を軸にしてジュードと同じ方法で大剣を跳び越え、足払いを避けた後、着地と同時に地面を削りながら上空へ斬り上げる。
土くれと砂埃とを巻き上げて旋回するように飛び上がれば、小さなうめき声に合わせて小柄な身体が吹き飛んだ。
ジュードの武身技はすばやさに特化された流麗な技が多い。
小柄な体型で重厚な攻撃を繰り出すには、スピードの付加がかなり重要になってくるからだ。
速さの流れを失い傷を庇いながらとなれば、一撃の重みが激減して当然であり、隙も大いにできる。
そんな弱体化した攻撃でこの俺に致命傷を負わすのは難しい。
目まぐるしく戦略を練りながら、着地して大剣を払い鋭く息を吐く、その瞬間、

「……ぐぁっ!」

俺の視界が急激に反転し、強烈な痛みを伴って背中に衝撃が襲い掛かる。
見えた勝敗に油断したのがまずかった。
間髪いれずに腹部に圧迫感を感じて何事かと目を見開けば、俺に馬乗りになったジュードが拳を振り上げていた。
やばい、と思ったときにはもう遅く、左頬に強烈な打撃を見舞われる。
吹き飛ばされた後、ジュードはすばやく立て直し、着地した俺の足首を掴んで引き上げ、この状況に持ち込んだに違いない。
背中と頬から響く痛みをいなしながら打開策を思案する間も、殴打する拳は止まない。
右に、左にと殴られ、阻止しようと銃と柄から手を放し、ジュードの腕を爪が白くなるほど掴んでも降り注ぐ拳の威力が衰えない。
いっそのこともうさっさと殺してくれ、と一瞬思ったが、こんな微妙な痛みで死ねるはずがない。
このまま殴られ続けるにも中途半端な攻撃に業を煮やして、腹に力を込め一気に起き上がれば、ジュードは予想外の展開に驚き目を見開く。
だが、驚愕の余韻なんて与えてやらない。
身体を折り曲げるように膝をジュードの背中に勢いよく打ち込み、投げ捨てるように掴んだ身体を横へ払う。

「あ……っ、ぅ……」

バランスを崩して俺の力に任せるまま転倒し呻くジュードを確認せず、自由になった身体を転がすように移動させ、すぐさま大剣の柄を握り締め体勢を立て直す。
立ち上がると同時に勢いを殺がずにジュードの首横すれすれに大剣を宛がえば、苦痛に呻く瞳が翳る。

「…………ミ、ラ……」
「コレが現実なんだ、優等生……」

求めるようにか細く呼ぶ声に応えるものはいない。
希望が潰えるように、ジュードの瞳から怒気も覇気も薄れていく。
傷が痛むのか、それとも心が痛むのか、苦しげに歪む表情にこちらまで引きずられそうだ。

「俺はエレンピオスに帰る」
「……」

宛がった大剣の替わりにリロードを済ませた銃で狙いを定めるも、戦意を失ったジュードは微動だにせず項垂れたままだった。

圧倒的な力で押さえつけてくる現実を前に、俺たちができる選択は限られてる。
ジュードは諦めることを、俺は抗うことを強要されてきた。
そんなジュードが力の限り抗ったジルニトラの時でさえ、やはりこの世界は許さなかった。
無駄なことで、無意味なことで、どうしようもない。
ジュードが苦しみ、理不尽さに嘆く気持ちは手に取るようにわかる。
わかっている。
わかってはいるが、

「…………っ!」

行き場のない怒りに任せてジュードを蹴り上げる。
何の抵抗もなく蹴り飛ばされた身体は地面を削り、砂埃を巻き上げて止まった。
先ほどの戦いとは違い、のろのろと億劫そうな動作にさらに苛立ちが湧き起こる。

「お前のそういうところが……ガキのくせに諦めのいいところが気に喰わないんだよ!」

俺には歯向かってきたくせに。
俺を受け入れはしなかったのに。
どうして現実になるとあっさり諦めて受け入れる。
何故お前はこの世界が突きつける絶望の中で抗わない!

「しょうがないじゃないか!ミラ、いないんだ!もうどうしていいか……僕……」
「お前だけだと思ってんのかよ!」

迷子がつらいと泣き喚く。
仕方ない。
どうしていいかわからない。
言い訳めいた言葉で諦め続けて、生きることすら放棄する。
俺だってどうしていいかわかんねーよ。
俺が望んでも得られないものを持ちながら、何のためらいもなく手放すお前が嫌いだ。
ミラを失って悲しいと思う者が自分だけだと、悲観ぶるのもいい加減にしろ。
ジュードだけは手放しで悼んでいいとは思ったが、それは命を投げ捨て諦めることではないはずだ。

「あいつを犠牲にしてまで生き延びたのに……」

どうしてお前は、抗わない。
生きるために、生きようとしない。
優しい人々に囲まれながら、何故それを放棄できる。
俺が焦がれて求め続ける温かさを、どうして簡単に捨ててしまえるんだ。
この世界へ抗い続ける俺が馬鹿みたいじゃねーか。
熱くなる目蓋を押し留め、空を見上げて膝を折る。
情けないほど無様だ。
ミラの意思を無碍にし、誰も待ってなどいない故郷へ帰るためにもがき続ける俺は一体何なんだ。

 

「ミラにもらった命……」

座り込み、空しさに項垂れていると、ぽつりとジュードが呟いた。

「僕たちがしなきゃいけないのは、こんなんじゃないのに……」
「じゃあ……何すりゃいいんだよ!」

わかったようなジュードの口調に、くすぶっていた苛立ちが燃え上がり語気が荒れた。
またしてもジュードは俺の行動を否定する。
俺が生きるために定めた最後の目的、その手段を、なすべきことではないという。
なすべきこと?使命?何だよ、それ……。

「俺には……使命なんてないんだ。あいつみたいには生きられねぇよ」
「ミラはもういないんだ……僕たちが考えなきゃ」
「どうやって!」
「誰も決めてくれないんだって!」

問い詰めるように胸倉を掴み引き寄せるものの、この手は乱暴に振り払われ押しやられた。
それが拒絶にも見えて、俺の心が一瞬にして冷える。
ひやりと強張る指先が震えて、どくどくと心音が鳴り止まない。

「誰も……僕たちのやることに責任なんてとってくれないんだ」

ゆっくりと思い馳せるように、涙に揺れる声が囁く。

「ミラは……偽者の使命に生きたとしても、それでも……自分の命を懸けて責任をとったんだよ」

ミラに関わり巻き込まれた全ての命を、己が命で彼女は守り抜いた。
それは、ミラが生きて果たそうとした道の先で起こった回避不可能な現実。
そして、心に決めた意志を貫くための代償。

「できるできないじゃない……やるかやらないかだよ」
「ジュード、お前……」
「今になってミラの言ってたことが理解るなんて……」

ぎゅっと噛み締めるように唇を引き結び、揺れた瞳に光が差したとき、彼女の面影がジュードに重なった。
ふわりと頬を撫でる風に、亡き人へ想い添うように瞳を閉じる。
彼女が貫き続けた意志を追い、心静かにジュードは俺を見上げた。
その瞳にもう迷いはなく、翳りも見えない。
諦めでもなく、受け入れるでもなく、吹っ切れたように本来の輝きを取り戻した視線が俺を射抜く。

「前に進もう……アルヴィン」

甘く、風に溶けるジュードの声は、柔らかな芯のある音で耳に響く。
ずっと聞きたかったはずで、ずっと待っていたはずなのに、焦がれた声は俺を置き去りにするようだ。
死を受け入れるジュードに苛立ち、抗わない姿に怒り、自分を見ないことに憤った。
こんなジュードは、自分が望んだジュードの姿ではないと否定した。
だが、現実が本来のジュードを返せば、今度はその現実を否定したくなる。


――――俺はそんな言葉を待っていたわけじゃない


俺を見ているはずの視線は、俺の底を見透かすように前を向き、俺の存在を通り過ぎるほど眩しい。
手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに、どうしてこんなに遠く感じる。
一緒に行動して、探り合って、疑って、騙して、あまりいい思い出のない過去でさえ、あれほど傍にいたというのに。
気づけば、みんな俺から遠ざかる。
どうして……

「何でお前が……何で!そうやって先に行くんだよ!」

認められない

受け入れられない

湧き起こる激情に放り出していた銃を取り上げ構えるが、銃口を前にしたジュードが返してきた強い眼差しにこの行為が無駄なことを思い知る。
それどころか、ジュードがどんどん遠ざかるのだと気づいて、きつく奥歯を噛み締めた。
行き場のない感情だけが暴れまわって俺を翻弄する。
どうして、引き返せなくなったときにお前は俺を見るんだ。
どうして、手遅れになってから現実は俺の望みを叶えるんだ。
もう戻れない。
どれだけ足掻いても、どれだけ望んでも、俺はもうここには戻れない。

「…………っ!」

動揺に惑い、嘆き続ける心を振り切って、俺は一思いに引き金を引いた。
のどかな風景を引き裂くような銃声は、辺り一帯に響き渡って溶けていく。
それは、この世界に対するささやかな報復だったのかもしれない。
だが、祈るように撃ち放った一発は、結局何も貫かずに地面を抉っただけだった。

「アルヴィン」

呆然とする俺に向かって、ジュードはそろっと手を伸ばす。
傷だらけの温かな手のひらは、もう俺を傷つけない。
そうわかっていながら、俺は労わるように伸ばされる腕をとっさに避けた。
無意識の行動だったが続けて半歩後ろへ退くと、ジュードの瞳が僅かに揺らぐ。

「…………ジュード……」

絞り出すように呼んだ声は心もとなく、喉の奥に引っかかるようにかすれた。
音にできたかどうかも怪しいその声に、ジュードは柔らかく微笑み返す。
懐かしさを呼ぶ優しい微笑みは、ジルニトラが沈んだあの日から待ち望んでいたはずのもの。
だが、俺は温かい微笑を前にしていながら、やはり差し出され続ける手を取ることができなかった。
それどころか、恐怖にも似た得体の知れない感覚すら抱き始めている。

お願いだ、やめてくれ。

そんな目で俺を見ないでくれ。

ジュードから視線を逸らせないまま、何度も小さく頭を振り、じりじりと後退する。
遠ざかる俺を見つめるジュードの瞳に悲哀の色が差した時、俺は背中を向けて逃げるようにその場を後にした。
逃げる俺を追うようにジュードが呼んだ気がしたが、この足を止めることはできなかった。

 

 

何もかも遅すぎる。

 

お前が本来の自分を取り戻したのも。
俺が自分を見失い、置き去りにされていると気づくことも。
お前が俺に手を差し伸べたことも。

 

俺はレイアを撃ち、お前にまで剣を向けた。

その時点で俺はもう戻れない。

 

それはわかっていたはずで。

それは覚悟していたはずで。


なのに……

 

 

「……何でこうなるんだよ!」

 

 

ざわめく木々に嘆きが混じる。

 

頬を伝う涙のわけを、俺は理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/11/26 (Sat)

クロスカウンターな中編。
勝ちイベントと負けイベント合わせてみたんですがどうでしょう?
戦闘シーンをもっともりもり書き込みたかった……といえばドン引きされるんだろうか。
楽しいよね、戦闘シーン!
混乱するアルヴィンの心の整理は後編へ続く。


*新月鏡*