「polar night」

 

 

 

その日、僕は金色の蝶を見失った。
迷子の僕を連れ出してくれた綺麗な蝶。
僕はずっと見失わないように追いかけて、それがずっと続くのだと思っていた。

 

 

降り注ぐ瓦礫の雨を避けながら必死に伸ばした手は、大切なものを何ひとつ掴めなかった。
嗄れるほど叫んだ声すら、轟音にまぎれて掻き消える。

嘘だといって。

夢だといって。

あれほど傍にいたんだ。
全部終わったらって話してたんだ。
崩れる戦艦に合わせて、足元の亀裂が口を開けて僕らを呑みこむ。
冷たい海に投げ出され、さらに視界が悪くなる。
同じく沈んでくる瓦礫が邪魔で思うように泳げなかったが、僕は必死に彼女を捜そうとした。
だって、ミラは泳げないんだ。
四大精霊がいるとはいえ、溺れてもがいていた彼女を思い出せば捜さずにいられなかった。
詰まる圧迫感と酸欠に息苦しくなったが、水面に浮上すればもう捜しにいけない気がして足掻く。

諦めたくない。

信じたくない。

失いたくない。

目まぐるしく爆発的に沸き起こる感情に冷静さなんてなかった。
自分がどれだけ危険な場所にいて、どれだけ無謀なことをしているのかすら、僕にはわかっていなかったんだ。
深く、深くと潜るうちに、僕は本当に酸素を失い、水面に浮上することすらできなくなってしまった。
凍えるような冷たさに晒されたまま、霞んでいく意識に指先一つ動かせない。
力強く抱きしめるように触れてくる熱を感じたのを最後に、僕は意識を失った。

 

 

 

遠くで僕を呼ぶ声がする。
応えようにも身体は酷く重く、小刻みに震えた感覚は麻痺に近い。
聴覚のみを頼りに考えて数十秒ほど経った頃、ようやく自分の身体に感覚が戻ってきた。
希薄になった酸素を求めて呼吸をすれば、その反動で咳き込んでしまう。
喉の奥がへばりついたように苦しい。
げほ、げほ、と数回荒く咳をくり返し、何とか気道を確保して呼吸を整える。
ようやく完全に返って来た感覚でぼんやりと状況確認すれば、誰かの手が抱きかかえるように触れていることに気づいた。
ゆっくりともたげるように顔を上げれば、安堵に満ちたため息を吐くアルヴィンが映った。
僕が意識を取り戻したのを確認できたのを区切りに、添えられていた手は離れていく。
遠のく気配に視線で後を追えば、海停の階段を上がりきったところでアルヴィンは空を見上げた。

「断界殻が消えてない……」

ふらふらとアルヴィンにつられるように階段を登って空を見上げれば、そこには変わらない景色が広がっていた。
いつの日だったか、この世界の果てに思いを馳せていた頃のままの茜色の空。
目を焼くほど輝かしく、海上の戦火などなかったかのような静けさに、ただ波音が行き交うだけ。

「なんでだよ……いつまで経っても空は赤いままだ……エレンピオスも見えない」

そういえば、断界殻が消えれば、その外側にあると言われてるエレンピオスも見えるんだっけ。
ぼんやりと思い出していると、アルヴィンは心もとない声音で呟いた。

「これじゃ俺……何のためにミラを見殺しにしたんだ?」

ミラを、見殺し……?
何を言ってるの?
ミラは死んでない。
だって、断界殻がなくなってないって、さっきアルヴィンが言ったじゃない。
断界殻はマクスウェルが死んだら解けるはずで、だったらミラがいなくなったら断界殻はあるはずがない。

「無駄死にだ……」

違う、ミラはまだ生きてるはずだ。
きっと僕たちとはぐれてしまっただけで、どこかの海停に流れついてるに違いない。
四大精霊だっていたんだ、泳げなくても水の大精霊が守ってくれるはず。
少しずつ覚醒する意識を感じながらアルヴィンを見つめれば、振り返った彼は自嘲気味に笑って僕を通り過ぎた。
どうしたのかと思って振り返れば、海停の出口へ迷いなく歩いていく背中。

「アルヴィン……?」

張り付いた喉から久しく零れ出た自分の声は思うほど強くなく、すぐ足元に転がり落ちる。
何故かその背を追うことができなかった。
ただ遠のいていく姿を眺め、去来する心細さに泣きたくなる。
引き止めることすら拒絶されているような気がしたんだ。
そのくせとても寂しげに映るから、どうしたものかと見守るしかなくて。
視界から消えるまでただ見つめることしかできなかった。

「……ジュード」

微動だにせずに誰もいなくなった場所を眺めていると、躊躇いがちにレイアが僕を呼ぶ。
その声にゆっくり振り返ると、心配げな表情をしたレイアと気を失ったエリーゼを抱えたローエンが立っていた。
全員例外なくずぶ濡れで、疲労に染まった顔色をしている。
とりあえず身体を休めなくては動くこともできないと、海停の宿屋で一晩過ごすことに決めた。
温めた身体に温かな食事を摂れば少しは気分も回復し、多少現状把握に思考を割けるようになってくる。
だが、詳細に整理できないまま放り出された現実は、僕たちにはとても冷酷で残酷だった。
ガイアスたちは無事なのか、エレンピオスの軍勢がどうなったのか。
たったそれだけのことも今の状態ではわからない。
手始めに足りない情報を集めることから始めなければならず、また集める有効な手段も何一つ持っていない。

「これから、どうしよっか」

降り続ける沈黙を気まずそうに破ったレイアは、ちらっと横目で僕を見る。
完全に目的を失った僕らは、これからどうするかを考える具体的な指標すらなかったが、どうやら自分の心は譲れない一点を主張してくるようだ。

「……ミラを、捜しに行こうと思う」
「…………ジュードさん」
「ミラは生きてる。断界殻は消えてない……だったらマクスウェルであるミラもどこかで生きてるはずだよ」
「えぇ、そうですね」

縋るような声音に、ローエンは穏やかな表情で力強く頷いてくれた。
ローエンは、僕が今その主張に縋るほど危ない状態だとわかっているのだろう。
自分で自覚していても、こんなにもコントロールが利かない状態は初めてで、しゃんと立って支えてくれるローエンの存在が心底ありがたかった。

「それじゃ、エリーゼが回復したら出発だね。でも、はぐれたときの集合場所とか決めてないし、何処に行けば会えるかな?」
「……たぶん、ニ・アケリアじゃないかと思うんだけど……」
「そっか、そうだよジュード!使命も果たしたんだし、きっと社に戻ってるよね!」
「……うん」

ばしばしと背中を叩くレイアの声は、上ずったように弾む。
無理に明るく振舞う彼女に、僕は少し笑って小さく返した。

 

 

 

エリーゼが完全に回復したのは、それから2日経った後だった。
戦場続きな上に、ジルニトラであれほど強力な重力の精霊術を長時間浴び、加えて冷たい海に放り込まれたのだから無理もなかった。
足踏み状態に逸る気持ちを持て余していれば、その都度ローエンが気を紛らわすようにお茶を差し出し、話し相手になってくれてた。
ローエンだって懸念すべきことが山ほどあるだろうに、表に出すことなく気遣ってくれるのは流石だと思う。
そうして過ごした2日間、情報収拾も抜かりなく行い、少しずつ現状が把握できるようになってきた。
ジルニトラは完全に壊滅し、ジランドという頭を失ったアルクノアは烏合の衆同然で四散しているようだ。
そしてそれを追うようにガイアスたちア・ジュールとラ・シュガル両軍が、残党捜索に当たっているとか。
アルヴィンに関しては未だ有益な情報を掴めず、こちらから呼びかける手段もなければ、完全に消息が途絶えてしまっていた。
たったこれだけのことしかはっきりしなかったものの、情報が更新されるたびに前に進んでいるような気がして冷静になれる。
エリーゼを気遣いながら海停を出発してニ・アケリアへ向かう道中、エレンピオス兵を見かけることもあり、情報の有無は僕らの危機回避に大きく役立った。
回復したとはいえ、根本的な疲労や不安を抱いている今、むやみに戦うのは得策ではない。
それはローエンも思っていたらしく、回避ルートをその度に示してくれた。
途中、村民を失い閑散としたハ・ミルの村へ寄って一日過ごし、翌朝再びニ・アケリアを目指す。
ニ・アケリアに近づくにつれ膨らむ期待に、沈んでいた気持ちは海停の時よりずいぶん軽くなっていた。
だが、そんな僕の期待は、隆起した岩肌の向こうに上がる黒煙を見た瞬間に不穏な気配へすり替わった。
仲間の制止を振り切って駆け出すものの、ニ・アケリアに迫れば迫るほど嫌な汗が伝う。
見慣れた坂を上りきったとき、眼前に広がる光景に思考が停止した。

「……そん、な…」
「あら?ジュードじゃないですか」

優雅な口調と動作で振り返るミュゼの下、うめき声ひとつ上げずに転がる人、人、人。
痛々しく破壊された家屋、焦げついた臭い、黒煙を上げて炎上する草木。
美しい精霊紋を描いていた大地はひび割れ、幾重も断層を築き、縦横無尽に亀裂が走る。
清廉としたのどかなニ・アケリアが今は見る影もなく、壮絶な死と嘆きに満ちている。

「……ミュゼ、どうして……こんな!」

驚愕に震える口元を押さえて、上空で穏やかに微笑む精霊を見上げる。
するとミュゼは、至極当然なことだというようにゆっくりと口を開いた。

「だって、私は断界殻を知ってしまった人を殺すのが使命なんですもの」

殺すのが、使命?
一体どういうことだ。
人を守ることを使命としていたミラ。
その姉であるミュゼの使命が、人の命を奪うこと?
困惑に定まらない視線を彷徨わせていると、ミュゼが目線を合わせるように目の前に降りてきた。

「どうしました?驚きのあまり言葉もありませんか?」
「……だって、ミュゼはミラのお姉さんでしょう?ミラの使命が人の命を守ることなのに、どうして」
「彼女の使命?おかしいっ」

壊れたように唐突に笑い出したミュゼに、彼女の考えがわからない僕はただ戸惑い見上げているしかない。
何がおかしいのかと一瞬憤りが湧いたものの、狂ったように笑い続けるミュゼを前にその憤りすら迷子になった。
薄気味悪さまで感じる確信めいた嘲笑は、苦痛に満ちたニ・アケリアに高らかに響き渡る。

「彼女はジランドみたいな連中をおびき寄せるために、用意されたエサ。使命感や正義感なんてミラにはまったく無意味なの。それなのにがんばっちゃって」

抑えられないといわんばかりの笑い声にあわせて、ミュゼの背後で展開される重力波の球体が家屋を呑みこみ、またひとつ瓦礫と化した。
悲鳴と悲嘆が甲高い嘲笑と混じりあって、混沌とした不協和音を奏で続ける。
怖い、と思った。
今目の前にいる存在に近づいてはいけない、降り注ぐ言葉を聴いてはいけない、すぐにこの場を去るべきだと。
そう思っているのに、意思に反してこの足は鉛のように動かない。
誰か、と周囲を探っても、頼るべき仲間はいまだおらず、むしろ救いの手が必要な人達が溢れかえっている。
どうにかしなければ、とめまぐるしく思考に溺れていると、ミュゼは笑みをはいたままさらに距離を詰めてきた。

「……そんな……ミラは……」
「彼女はただの傀儡。死んだ残骸にまだ未練があるのですか?」


――――死んだ……?


「ミラは……マクスウェルだって……」
「相変わらずジュードは面白いですね。エサがマクスウェルなはずないじゃない。その証拠に、断界殻は失われてないでしょう?」
「……!」

ひっ、と喉の奥で悲鳴が起きる。
聴きたくなかったたった一つを、事もなげに美しい微笑で突きつけられた。
よりにもよって、自分を今まで支えてきた理由を絶望に結び付けて。
聞き分けのない子供を宥めるような声音で、ミュゼは僕にとって一番認めたくない現実を歌うように断言した。
断界殻の存在の有無を理由に、ミラの生存を信じていた僕。
そんな僕に、ミュゼは同じ理由でミラの死を確定させ、希望を全てへし折った。
信じたくない。
ミラが、いなくなるなんて……。
焦点を失った視界に映るミュゼは僕の表情を見て満足したのか、柔らかな表情を湛えて僕の頭を優しく撫でる。

「……嘘、だ」
「まだ信じられないというのね。でも、精霊である私があなたに嘘をついても無意味だわ」

子守唄を歌う母のように、驚愕と絶望に揺れる僕に語りかける。
彼女が語る全ては真実で、現実で。
もう、ミラはいない……?

「ジュードは気づいていました?ミラが断界殻を守るという使命と死へ向かう行動の矛盾に悩んでいたのを」

問われて脳裏に思い浮かぶ黄金色の後ろ姿。
力強くて、凛々しくて、いつも毅然とした態度で前を向いていた美貌。
そんなミラしか見てこなかった僕は、彼女がミュゼの言う矛盾に悩んでいたなんて、ちっとも気づけなかった。
ミラは、使命を胸に立ち向かっていく強い人なんだって。

「答えが出なくて当然ですよね。存在も使命も与えられたウソなんですから」

その使命が、嘘……?
だから、僕が見てきたあのミラも嘘?
使命が嘘で、マクスウェルも嘘で、断界殻は消えてなくて、だから……。

「ミラは……」
「まぁ、可哀想なジュード。そんなにミラが死んだことを認めたくないんですか?あなたがどれだけ心痛めたとしても、全てムダでしかないのに」

そっと頬を撫でるミュゼの憐憫に満ちた眼差しが、意識の宙に飛んだ僕を見つめる。
顔を近づけ、あどけなく笑う彼女はどこまでも美しく恐ろしい。
だが、死神にも似た彼女を前にしても、僕の瞳には虚無のみが行き交い、この目に何も映らない。
それに気づいたミュゼは、そっと抱き込むように背後に回り、僕の肩に手をかけて耳元に囁いた。

「生きていけるだけの価値を与えられたようで幸せでしたか?」

舐めるような声音にびくりと肩を揺らせば、期待通りの行動を返されたミュゼの言葉が弾む。
価値?幸せ?
そうだ、僕は確かに嬉しかった。
僕自身を丸ごと見てくれた初めての人で、迷子の僕を導いてくれる道しるべだったんだ。
ミラの隣にいれば、僕は変わっていけるって信じて疑わなかった。


――――『君が望み続ける限り、君は変わっていけるよ』


そう言って見守ってくれるミラがいたから、僕はミラに倣って前を向き続けてきた。
一緒にいると心地よくて、彼女の在り方に憧れて、少しでも近づきたくて足掻いた。
なのに……。

「これまで一緒にいた時間も、すべてムダ。あなたのその思いももう終わりなのです」

こんな結末を誰が予想するだろう。
僕の気持ちが終わりだって、なくなってしまうって。
『そのときの気持ちを大切にすればいい』ってミラが教えてくれたのに、その心の中もぐちゃぐちゃで、どうすればいいかわからない。
全部信じられない、信じたくない。
痛くて苦しくてつらくて悲しくて、どんなに探しても、どんなに考えても、どんなに想っても。
全部ムダで、全部無意味で、全部……全部……。

「私が、あなたを救ってあげる」

甘く響く声に合わせてマナが蠢く。
上空で緩やかに形成されていく重力波の球体が、ゆっくりと焦らすように膨れ上がる。
死神が鎌をもたげるように迫る死。

「……ミ、ラ……きみ、は……」
「さようなら、ジュード」


――――『さらばだ、ジュード』


 

もう、いない。

 

 

「あぁぁぁあぁぁぁぁ――――っ!!!!」

瞬間、喉から咆哮に似た叫びが迸る。
ただこの苦痛から逃げ出したかった。
全部投げ出して、何も考えず、何も思わず、終わってしまえばいい。
感情に任せて放たれた制御不能のマナが、身体の内側を駆け巡り、収まりきらずに一斉に波のように溢れ出る。
溺れるようにもがき叫び続ける僕はただ、純粋に破壊を望んだ。
その意思に添って働く微精霊の動きはすさまじく、虚をつかれたミュゼが戸惑いに捕らわれていた一瞬の隙に、巨大な力を形成して暴発した。
膨大なエネルギーに呑みこまれ、巻き起こる風圧に吹き飛ばされる。

「ジュード!」

ゴム毬みたいに吹き飛んだ僕は、数回地面に打ちつけられ、隆起した地面に衝突した。
背中から肺を抉るように突き刺さす岩の感触。
痛みを実感すると同時に、衝突の反動で口から鉄くさいものが吐き出された。
何かと確認しようにも、投げ出された両手は意思に反してぴくりとも動かない。
ただ、大地に不釣合いな赤は、意外と映えて見えておかしかった。

「ジュード!」

絶え間ない痛みに意識が飛びそうになったとき、再び聴きなれた声が僕を呼んだ。
顔を動かそうとするものの強烈な痛みを伴い、代わりに視線のみで確認を試みる。
だが、この目に映るのは、変わり映えのしない大地と空と人の嘆きばかりで、一向に声の主が見当たらない。
数秒思案したもののそれすら億劫になって瞳を閉じたとき、慌しい足音が間近に聞こえて、初めて声の主を見た。

「なんで、こんな……しっかりしてジュード!」
「レイアさん、動かしてはなりません」
「ジュード……」

自分の血で汚れてしまった地面に膝を突いて、レイアは顔面蒼白で治癒の精霊術を展開する。
合わせるようにエリーゼの精霊術が共鳴し、2対の手のひらが僕に触れた。
涙に濡れた弱々しいエリーゼの声と、僕の意識を引き止めるレイアの声が何度も何度も呼び続けるが、もうその声に応える気力も僕は持ち合わせていなかった。
ただ、温かくて優しい気の流れに包まれて、あぁ、このまま助かるのか、と他人事のように考えていた。

「くっ……精霊術の暴発を引き起こしてくるなんて……」
「ミュゼさん、これは一体……?」
「うるさい!私はこれ以上あなたたちに構っていられるほど暇じゃないの。あなたたちの命はいったん預けておくわ。せいぜい私に怯えて余生を楽しみなさい」

同じく大地に倒れ伏していた上体を起こすと、苛立ちを含んだ声が甲高く叫んだ。
ふらふらと立ち上がったミュゼは、ローエンに庇われ、エリーゼとレイアに全力で治癒術を施されている僕を見やる。
睨みつけるように視線を寄こされたが、目が合った瞬間、ミュゼの瞳に哀れみの色が濃く差した。
きっと酷い有様だから、見ていて気持ちのいい状態ではないのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、徐々に霞み始めた意識を懐かしい感覚が抱きしめる。
諦めて、誰かに自分を委ねる投げやりな感覚は、ル・ロンドに置いてきたと思ったのに、こんなに間近にあったなんて。

「ジュード……あれで終わっていられたら、あなたは苦しまなかったのよ」

立ち去る間際、ミュゼが僕に囁いた言葉を最後に、僕は全てを手放した。

 

 

 

ミラを失い、僕は全部見失った。
守るべきものも、追うべきものも、やることも、目指すことも、僕自身さえも。
僕はちっぽけで、無力で、自分ひとり容易く見失う。


――――『君の感情が君自身だ。見失うはずがない』


……ミラ


今、この胸に止めどなく溢れる悲嘆が全てで、それ以外の感情がよくわからないんだ。
どうしたいのかも、嘆くばかりの心は教えてくれなくて。
ただ、君の名だけが思い浮かぶ。

 

――――……ミラ……

 

彼女は、もういない

 

 

投げ出し、固く閉ざした世界でひとり

静かに心が死んでいく音がする

 

 

 

その日から、この目は何も映さなくなった

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/11/17 (Thu)

諦めて投げ出してしまったジュードの話。
最初あのぶっ壊れ加減は噴いたけどね、改めて想うとつらいよなぁ……と。
『I wish...』での流れを汲んでみると、何か……ジュードが余計悲惨なことになったね、ごめん。
徐々にぶっ壊れるジュードを書いてると、引きずられてこっちまで泣きそうになるから困る。
次のアルヴィン視点『Solar midnight -Dealings-』に地味に続く。


*新月鏡*