「Sleep in sorrow」

 

 

 

 

振り返る視線に。

「もう追えません」

そう言ったのは自分だった。
たとえ追って諭したところで、彼らはその差し出される手を振り払って、再び姿を消すだろうと漠然と思ったのだ。


彼らの心はもうここにはなかったのだから。

 

 

 

 

静かな部屋は、小さなランプの明かりに深い夜の帳を揺らしていた。
静寂だけが支配する闇夜の刻。
眠りを失った身体に時間など必要はなかったが、穏やかな寝息を立てて眠る愛しい主を思うと、その時間に感謝せずにはいられない。
緩やかに何事もなく過ぎればいいとハジは願うばかりだった。

そうして静寂の中、しばらくじっとその愛らしい寝顔を眺めていたが、さすがにずっと居座るわけにもいかず、すっとベッドの傍を離れる。
音を立てないように廊下へ出ると、慎重に主の眠る部屋の扉を閉めて自分に宛がわれた部屋へと足を向ける。

 

暗闇の廊下を難なく渡り自分の部屋へ入ったとき、ハジはふと違和感を感じた。
変わりないようで、何処か違う。
その実態を掴むため、夜目を気にすることのない冴えた眼光でゆるりと視線を振れば、闇に溶け込むような布端をすんなりと見つける。


小さくうずくまった闇色の布地
暗い世界で鈍色に輝くのは紛れもない刃の煌き
途切れて見える柄はその布が覆いかぶさっているからだろう

――――・・・こんなところに・・・

 

部屋を決める際、姿を見せなかった少女。
喪った存在が大きすぎて、暗がりに一人涙落として。
縋るように腕に抱きしめているのは、唯一彼女に残されたもの。
皮肉にもそれは人を傷つけ、命を奪い、抗う術でしかなかったが、彼らには形として残せるものがそれしかなかった。

触れれば切り裂く刃を、柄をぎゅっと抱き、頬を伝う涙の筋がその刃に落ちて鈍く輝く。
時折涙に濡れた震える声で、小さく誰かの名前を呼ぶ姿は、もはや見てはいられなかった。

 

ハジは思いに駆られてゆっくりと足を進め、その傍らに膝をつく。
視界の端に現れた気配にさすがに気付いたのか、少女は赤く腫れた眼を押し開けて視線を上げた。

「・・・ハジ?」

声がかすれて、音になりきっていない。

――――どれほど長い時間涙を流し、嗚咽を堪えていたのだろう

そう思うとハジはたまらなく胸が痛んだ。

 

彼女は唯一無二の拠り所を喪った。

それはまるで・・・

思うと同時に無意識に伸ばした手はその柔らかな髪に触れ、緩やかに梳く。
何度も何度も優しく繰り返されるそれに、最初は驚いていた彼女も、だんだんと穏やかな瞳に変わる。
まだ涙は途切れはしないが、ハジに与えられる単調なリズムに落ち着いてきてはいるのだろう。

「ハジ・・・ごめん、邪魔だね・・・」

かすれた声、しかし懸命に音にしようとしてる健気な声がハジの耳にやんわりと届く。

「構いません」
「・・・ありがと・・・」

下げた視線を緩やかに細めて、口調を出来る限り柔らかいものにして、不安に駆られている彼女にそっと返せば、彼女は表情を和らげて小さく言った。
だが微笑んで見せようとするその動作に、ハジはただ心が軋んだ。

 

いまだ抱きしめたままの金属は冷たいだろうに、それでも手放せないのは、彼らに対する想いの深さがそうさせるから。


たった独り、残されてしまった悲しみ
彼らを深く想うゆえの嘆き


いなくなったという事実と直面するにはあまりにも幼く、すぐに受け入れられるほどこの少女の心は強くない。
泣くことで、昇華し続けなければならないのだろう。
体力全て使い、溢れる感情を全て吐き出さなければ耐え切れないのだ。

 

 

 

「ハジの手・・・何だかカルマンみたい・・・」

ルルゥはそう言うと撫でる手に頬を摺り寄せて、安心したように眼を閉じた。
そんな彼女にハジは硬直してしまう。
動作ではなく彼女が発した言葉が、何より禁句に聴こえてならなかった。

 

「・・・カルマンもね、ときどきハジみたいに頭撫でてくれたんだよ。すぐ怒るけど、その分・・・あたいが泣きそうな顔してるとそうやって・・・ずっと、優しく撫でてくれた・・・」

想いを馳せるようにゆっくりと語られる彼女の中の彼ら。
なんと答えてよいものかわからず、ひとつ相槌を打つとハジはただ聞くに任せてそのまま髪を撫で続ける。

「・・・そうだったんですか」
「うん・・・モーゼスもね、そんな時傍にいて優しい顔してるんだよ。手、伸ばしたら抱きしめてくれて・・・すごく温かくて、安心する・・・」

まどろむように語るルルゥがより腕を抱え込むと、かちゃんと音を立てて冷え切った金属音が響いた。

 

思い出す彼らは暖かくとも、今腕に触れ、抱く遺品は冷たくて

 

――――・・・何故彼らは彼女を置き去りにしたのだろう・・・

 

 

断固とした意志を持ち、姿を消した彼ら。
ルルゥの話を聴く限りでは、彼らは特別彼女に強い想いを抱いて接していたように感じられる。

 

とても大切に扱われていたルルゥ。
兄妹のように、親のように、彼女を護ろうとする優しく強い気持ちが、彼らの中にあったはずだ。
それなのに、何故彼女を傷つける道を選んだのか。

 

 

 

「・・・カルマンはね、あたいらがいないと・・・独りになっちゃうんだ・・・」

ポツリと落とされた言葉にハジははっとして視線を向ける。
どうやらハジの考えていたことを見抜いたのだろう、ルルゥは泣きそうな顔をしてハジを見上げて言葉を継ぐ。

「仲間しか・・・いないんだ。・・・だからモーゼスが傍にいてくれたんだと思う」
「・・・そうだとしても、それは貴女を置いて逝く理由にはならない。貴女もまた、彼らしかいないのだから・・・」

真摯な眼でやんわりと答えてくるハジに、ルルゥは小さく笑った。
ハジの優しさに、その想いに、ルルゥは心のわだかまりが何なのかわかった気がした。


ずっと叫んでしまいたかった本当の言葉
誰かに聞いてほしかった本音

最初から答えは出ていた
たとえ還らないのだとわかっていても
無理やり納得しようとしても


どうしようもない感情があるのだと

 

「うん・・・ホントは、ね・・・おいて、いってほしく、なかった・・・」

 

ゆがめられた瞳から堰を切ってあふれ出す大粒の涙。
かしゃんという音を立てて跳ね返る甲高い音が響いて、顔を覆ったルルゥの足元に二つの武器が散らばる。
悲しいくらい耳に残る金属音が、彼女の嗚咽と混ざってさらに嘆きが降り落ちる。


「やだよ・・・独りに、しないでぇっ・・・モーゼス、カルマン、イレーヌ、皆・・・どうして、おいてくの?・・・独りは、やだよぉ・・・」

わあっと泣き出した彼女に、ハジはどうすることも出来ず、ゆっくりと抱き寄せるしかなかった。
腕の中、ぎゅっと衣服を握り締めて泣き、届かぬ想いを叫ぶ少女は、見ているにはあまりにも悲痛で。

ハジは止める術も持たず、嘆きを和らげようと思いつく言葉すら今の彼女には嘘偽りの飾り物にしかならない気がした。

 

ただその身体を抱きしめ、彼女の想いが、嘆きが、涙に乗せて流れてしまえばいいと思った。

涙を雨のように降り注ぎ、心をその荒波で浄化してしまえば、きっと楽になるから・・・と。

 

 

 

 

 

 

それからどれほど時が過ぎただろう。

泣き疲れたように静まる声。
まだ少ししゃくりあげるルルゥに、ハジはそっと声を落として呟いた。

「・・・すみません、やはりあの時彼らを追うべきでした」


少しの可能性すらあの時斬り捨てたのは自分だった。
カイは何とかなると、追えば連れ戻せると思っていたに違いない。
追わなかったために、今こうして一人の少女を嘆かせていると思うとやるせなかった。

 

ハジの思わぬ独白に、ルルゥはおぼろげな瞳を上げる。
赤く腫れた目元がさらにハジの心を軋ませ、深く眼を瞑り奥で歯を食いしばる。

「ハジのせいじゃないよ。・・・どうしようもなかったんだ・・・あたいも、モーゼスも、カルマンも・・・皆、皆そのとき正しいと思ったことしかできなかったんだ」

 

カイの命を狙ったモーゼス。
それがカルマンのためだったと聴かされたときは、本当にどうしようもなかったのだと思った。
それほどまでにソーンの侵食は酷かったのだ。
モーゼスが冷静さを失うほどに、死に瀕していたのだろう。


「・・・カルマンとは、最後の最後まで、ずっと喧嘩してばかりだったな・・・」

記憶を辿れば、酷い別れ方をしたのがカルマンを見た最後の姿。
もっと何かできたはずなのに、どうして現実はこうも残酷なのだろうとルルゥは思う。

 

「ハジ、ずっと傍にいてくれて・・・ありがとう・・・」

ついと見上げてルルゥは言った。
まだ涙に濡れた瞳は、けれど何処か凛とした輝きを秘めて。

「・・・あたいには、やらなきゃならないことがある。皆が出来なかったことを、あたいがしなきゃ・・・だから、立ち止まるのは、今日だけ・・・」

気遣うようなハジの視線に応えるように、また、自分自身に言い聞かせるように、かすれた声ではっきりと音にする。

 

「でも、もし・・・もし、またくじけそうになったら・・・そのときはまた、傍にいてくれる?」

「・・・はい」


「・・・ありがとう」

 

 

ずっと泣き続けていて、一人で泣くより誰かにいてもらえた方が楽だと感じた。
一人で泣くのはとても寒くて凍えてしまいそうだった。
けれどハジが静かに耳を傾けてくれてると思うと暖かくて、その存在にとても救われた気がする。
きっと小夜にとってもハジはそんな存在で、どんなに耐え難い現実も一緒だから耐えてこれたんだと、だからずっと一緒にいるんだとルルゥは思った。

 

まるで自分たち仲間のように、絶対的な絆で繋がった存在。
友のように、家族のように、ずっと続く強い絆が、今でも自分を支えてくれる。


――――皆がいなくなっても、皆がいたことは本当だよね


喪った者は多く、その事実が心に酷く深い嘆きを振りまくけれど。

 

 

「・・・あたいが明日を切り開くんだ」

散らばった武器を手に抱え、ルルゥは白んでゆく窓を見つめる。


その姿にハジはふと自分の主が重なって見えた。
眼を眩しげに細め見つめる先の小さなシルエット。
彼女もまた強く心を持ち、漠然とした未来に立ち向かってゆくのだと思った。

 

 

 

全ての嘆きを強さに変えて

悲しみは眠りの中に

 

 

 

柔らかな色彩をまとう暁

 

 

 

 

 

彼女がいつか笑って迎えられる日が来ればいい

 

未来を描く少女に、ハジはそっと願いを重ねた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2006/09/02 (Sat)


どうしても、悲しい・・・orz
45話ラストのルルゥの嘆きがここに来た。
あの最後の「うん・・・」って言うアレ。
殺人的効果を発揮してくれて、マジ胸鷲掴みにされて痛くて死にそうだったよ。
46話で過去を振り返ってない姿とハジと仲良くやってた辺りにこんな場面が浮かび、書くに至ったのです。
ホントは小夜も出してしまおうかと思ったんですが、長くなりそうだったので割愛。

泣くことはホントに効果がありますね。
自分で立ち上がるために必要な行為なんです、きっと。
行き場のない想いを全部洗い流してくれるんだ。

私の想いはとりあえずこの小説に込めた。
どうか彼女に笑顔を返してやってください・・・(号泣)
新月鏡