いつになったら越えられるだろう

そこに引かれた境界線を


いつになったら近づけるだろう

 

この凍りついた体を誰か解き放ってくれ

 

 

 

     「絶対領域」

 

 

 

 

暗くなる気配がする。
近く、日が落ちるのだ。
それを感じるとおぞましく、憎らしく思う反面、心はほっとする。

「クソッ・・・なんだってこんな風に思うんだ?!」

自分の無意識の反応に苛立ちを隠せなくて、わしゃわしゃと髪をかき混ぜながら独りごちる。

 

焦がれる光に身を焼かれるという皮肉な運命に理不尽さを感じるも、今の自分では何もできないことは承知している。
だからこそ積もり続ける行き場のない怒り。
いつもなら穏やかに宥める人物がいるはずなのに、やけに静かな景色がその喪失を突きつける。


望んだものを得ることもなく、立て続けに失った仲間と呼べる存在。


あの日、あの場所から抜け出して『生きるため』に生きることを決めた日から共に行動してきた者たち。
切り札はたった一つ。
皮肉にもこの造られた身体だけだった。
憎むべき場所・キルベドで植え込まれた消し去る知識、そしてそれに伴う技術。
それがこんな形で役に立つ日が来るとは思わなかった。

 

 

「カルマン、モーゼスを知らない?」

不意に柔らかな声が苛立つ雰囲気を包み込む。
顔を上げれば、イレーヌがその声によく似合う暖かな髪色を波打たせて近寄ってくる。

「知るか、どっかそこらへんにいるだろう?」

むしゃくしゃする気持ちが渦巻いてるせいか、発した声は予想以上にぶっきらぼうなものだった。
しかし彼女はそんなことなど気にも留めず、困ったわね、と一言呟いて整った眉を寄せて、手を口元に持ってゆく。
イレーヌは、そんなさりげない動作がとても自然で綺麗だった。
自分のペースを崩さずゆっくりと行動を起こす彼女に、苛立ち怒鳴ることもしばしばあるが、こういったときは別に気になることもなく、素直に綺麗だと思う。

 

「モーゼスったらこれ置いて出て行ったの」

そう言って差し出されたのは、一枚の黒い布。
それとわかった瞬間、カルマンは激昂し、跳ね起きた。

「あいつ!!死にたいのか?!!」

無責任さに嫌気が差す。
あたりは巨大な樹木に覆われた森であり、もうすぐ日が落ちるとはいえまだ油断ならないはずなのに、日光を遮断する役目を果す黒いローブを脱ぎ置いてモーゼスはこの廃屋から外へ出て行ったのだ。
あまりにも軽率すぎる行動に怒りが込み上げ、イレーヌの手にしていたローブをひったくるように奪うと、扉へと向かう。

 

「行ってくれるの?」
「殴りにな」

吐き捨てるように言い置いて、まだ完全に暗くなっていない外界へと躍り出る。
翳っている部分だけを選んで、跳ぶように駆けて行くカルマンの後姿をくすくすと笑いながらイレーヌは見送った。

 

 

 

 

 

刻々と塗り替えられる空。
目的の人物へたどり着くのにそれほど困りはしないが、見つけた頃にはすっかり日が落ちていて、手に持った荷物は届け損ということになった。
それがまた苛立つ心に火をつける。
チッっと舌打ちをひとつして、駆ける速度をさらに上げる。

 

モーゼスの行きそうな場所は何となくわかっていた。

夜の時間しか行動できない自分たち。
その暗闇の中、望むものに一番近い光を放つのは、天空に座した夜の太陽。
陽の下を歩けない代わりに、その光に似たそれをモーゼスも、いなくなったギーも気付けば振り仰いでいた。
ギーに至っては無意識ではなく、惹かれているのだと自覚していた節がある。
そんなギーを失ったことも考えれば行き場所は決まっている。

 

割れた滝川のように深く連なる木々の並
その遥か天上には霞を抱く夜の太陽
そして、木々の中央、佇む影は紛れもなく探していた人物

圧倒される静寂の中に立つモーゼスの姿はやけにか細く、今にも崩れて消えてしまいそうだった。

 

――――まただ・・・

 

前にも一度あった。
ディスマスとゲスタスを失ったあの日。
暇を持て余して気まぐれにふらついていると、偶然にもモーゼスを見かけて立ち止まった。
やはりその日もたった一人、こうして月を眺めていて、同じような印象を受けた覚えがある。
あの後しばらくして、皆が集まり、二人がシュヴァリエに倒されたということを告げられたのだ。


あの日は見事な満月で、ギーが褒め称えたほどだった。
そのときは事実に対しての怒りの方が強くて、ギーに当たったこともはっきり思い出せる。
激昂するカルマンをよそに、『こんなに月が綺麗なんだ』と詠うように言って空に手を差し向ける姿すら、そんなに意識を向けていなかったにも関わらず、鮮やかに眼に浮かぶ。

 

――――もういないんだな、お前も

 

不意にそんな想いが胸に落ちる。
怒りでもなく、悔しさでもなく、苦しいほどに満ちるこの気持ちを何と言うのだろう?
それに囚われるのが嫌で、振り切るようにいつの間にか落ちていた視線を上げれば、そこには相変わらず微動だにしないモーゼスの姿。
十数歩ほど行けばすぐその肩に手が届くだろう距離。

けれど

 

 

 

――――・・・なんでこんなに遠く感じる?

 

感じるのは入り込めない空気と凍りついたように動かない身体。
この一歩先へ進めない

理由はひとつ、それが境界線だから


何となくわかってた
お前はいつも肝心なときに自分の中に閉じこもる
それはお前自身を護るための領域で、俺には絶対踏み込めない場所

 

こんなとき、俺はどうしたらいい?


ただじっと見てるしかできない俺は・・・

 

 

 

 

まるで時が止まったように長く感じる沈黙と静寂。
ただ一定の距離のまま、それでもその間に流れる空気は優しくて。
ざわざわと木々を揺らす風が二人の間をすり抜ける。

 

不意に見つめていた影が揺らめく。
はっとして見る先には振り向く姿。

「・・・どうしたカルマン?」

声も表情も変わったところはなく、先ほどの消え入りそうな印象は掻き消えて、冷静沈着ないつもモーゼスがそこに立っていた。
近づこうとすれば、いとも簡単に踏み出す一歩。


――――?!


あまりのギャップに眼を丸くして自分の足を見つめたまま硬直しているカルマンに、小首を傾げてモーゼスは近づく。

「カルマン?」
「うわっ?!何だお前!!」

眼を覗き込めば、その近さに驚いたカルマンは反り返るほどの勢いで後退る。
そのあまりの反応の大きさに、モーゼスは思わず小さく笑ってしまった。
珍しく笑うモーゼスに呆気に取られつつ、笑われてることにふつふつと苛立ちが込み上げる。

「モーゼス!!いつまで笑ってる!!!」

顔を真っ赤にして怒る姿にさらに刺激されて、耐えようとしても肩が震える。
笑われているカルマンは何か居たたまれないものを感じて、手にしていたローブでモーゼスの視界を防ぐように乱暴に被せた。

 

いきなり奪われた視界にふっと笑いを治めて、ずるりと落ちるローブを手にすると、不思議そうな表情で見る。
瞬間揺れる瞳
その一瞬の変化を見逃せず、気付けば無意識に手を伸ばしていた。
そっぽを向いたまま小さく舌打ちをして、くしゃりと柔らかな髪を撫でる。


「!」

「・・・心配させるな」


自分でも驚くほど落ち着いた声色で、すんなりと言葉が落ちる。
自分らしくないとどこかで思いつつも、今はこれでいい気がしていた。

 

落とされた言葉を聴いたとき、眼を見張るモーゼスの瞳は再び揺れ、何かを伝えたげに見上げてくる。
怯えるように縋るように向けられる視線を受け止めて見つめ返す。
その奥に隠れている真意を読み取りたくて。

けれどすぐさまその眼は伏せられ、逸らされる。
それに伝えることへの諦めに似たものを感じるのは錯覚だろうか?

 

「・・・すまない・・・」

静かに返される声が耳に届いた後、カルマンは乗せたままの手を下ろして踵を返すと、来た道を戻り始めた。
その後ろをモーゼスがついて来るのがわかる。
規則的に、それでも時々不規則に交わる足音。

 

ゆっくりと眼を閉じれば込み上げる想い。

風が運んでくる木々の匂いに撫でられて、誘われるように瞼を押し開けると同じようについて来る月を見上げる。
淡い光を放ち続け、見守るように輝く月。
それは満月ではなく、欠けてしまった月だけれど。

 

「・・・綺麗な月だな」
「・・・あぁ・・・本当に・・・」

 

静寂へ吸い込まれる会話
それでも、互いの想いは繋がっている気がした

 

――――今は、これでいい

 

遠かった存在が今では近くに感じる

 

 

 

 

 

愛しき者たちへの餞として
せめて月よ、誇らしく輝け

 

汝が光を以って
望み儚く、散り逝く我らの道を照らせ

 

 

 

 

 

 

 

願わくば、その先に救いがあらんことを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2006/08/07 (Mon)

 

シフ小説第二段・カルマン編
意外と書きやすいことにびっくりだよ、カルマン!!
ま、書きやすいって言ったって4時間は掛かってるんですが・・・。←おっそ!!!
え〜・・・モーゼス編から3・4ヶ月ですか?
すみません、鈍速な上気まぐれで。
今回は、44話への衝撃で仕上げてみました。
来週怖いよ――――!!!何だあの次回予告――――!!!
で、落ち着きたくて徹夜で書いた次第です。

 

次回予告の別人さ加減に触発されて、妄想してみました。
カルマンは落ち着いて物を考えるときは案外素直で、真正面からきっちり物事みれるんじゃないかな?って。
ただちょっとしたことですぐイライラするから、その考えが吹き飛ぶわけで(笑)
あと、言うタイミングとか逃してそうです。

モゼが笑ってますが、彼は声など出さず耐えながら薄く笑ってそうだ。
声に出すなら小さく漏れる感じで。
そんなモゼゆえに、落ち込むと独りになりそうだな〜と思うのです。
独り考えて、耐えて、叱咤するんです。
だからそんなときは誰も近づけない雰囲気なんじゃないかな〜って。

カルマンが踏み込めない理由は、その理由と、モーゼスが意図的に入れないっていうモーゼス編の理由ですね。
『全ては預けられない』ってやつです。
全身を寄りかかるように預けると、失ったとき倒れてしまう・・・そんな想い込めてたりしてました。
だからあの時の締めの文が『僕はもう〜・・・』なんです。
こんなとこで言うのもどうかと思いますがね(苦笑)

 

さてさて、えらく長くなりましたね。
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
三部作予定ゆえ、また突発的に続きが出るやもしれませんが、気長にお付き合いくださると嬉しく思います。
新月鏡