「ジョエル!!」 慌てたように駆け込んでくる小夜に穏やかな老紳士は驚く。 ジョエルがどうしたと訊くより早く小夜は言った。 「どうしよう・・・ハジがっ・・・風邪なの!!」
「VOICE」
それは朝の出来事。 小夜は変わらず毎日の日課のように身だしなみを整えると、迷わずハジのいる部屋へと足を向けた。 小夜が早ければ小夜が、ハジが早ければハジがお互いを迎えに行くことになっており、必ず二人で食卓の場へと向かうのだ。 この日は小夜のほうが早かったらしい。 「ハジ、入るわよ?」 ノックをしながら声をかけ、扉を開ける。 部屋の中に入った小夜を迎えるのはまだどこか幼さの残る少年。 彼はここへ来た時より身長が伸び、今では小夜とそれほど変わらなくなっているため、二人が並べば見事な対に見える。 「いるなら返事くらいしなさいよ」 根っからのお嬢様気質な小夜は傍から見れば強すぎるとも取れる物言いをするのだが、ハジは気にしてはいないようだった。 長らく孤独であった故の言動だと理解しているからだろう。 ハジは手振りのみで小夜に椅子を勧めると、机の上においてあった青い髪紐で長い髪を結い始めた。 促されるまま椅子に座ると、鮮やかに結われるその髪に小夜はしばらく見惚れる。 「ハジって綺麗な手、してるね」 ハジは思いがけない言葉に驚きのまなざしを見せ、気恥ずかしそうにぎこちなく笑った。 ふとそのとき小夜の中に密かな疑問が生じた。 ――――あれ? 思ったことが次の瞬間言葉になる。 「ハジ、今日はどうして話さないの?」 確かに一方的に小夜が話すことは日常のこと。 でも、挨拶くらいは当たり前になされることであるはずなのに、今日はそれを聴いていない。 彼が一言も相槌すら入れないなどということは今まで全くなかったために、小夜は訝しげな顔でハジを見る。 小夜の問いにハジはぎくりと肩を震わせ、目線を素早く逸らした。 痛いところを突かれた、といった表情。 ――――怪しい・・・ 「何を隠してるの?」 椅子から立ち上がり腰に手を当てると、ハジに向かって速いテンポで歩き出し少々声を強めて問いただす。 しかしハジは目線を逸らしたまま、答える気配はない。 無言の相手に苛立った小夜は一気に距離をつめようと跳ぶようにカーペットを蹴りつける。 「ハジ、言いなさ・・・」 「!」 蹴りつけた瞬間、カーペットに出来たわずかなしわに足を捕られて、その蹴りつけた勢いそのままに一気に身体が傾ぐ。 体勢を立て直す暇もなく、小夜は訪れるであろう自身の未来を予想してきつく目を瞑った。 ゴッ!! 「い・・・っ!!!!」 「う゛・・・」 鈍い音と共に小夜とハジは床へと身を沈めていた。 傾いだ小夜の頭に支えようとしたハジの額がぶつかったのだ。 朝っぱらからお互いに衝突した場所を押さえてうずくまっている。 こんなことは初めてだった。 ハジの上に寄り添う形でのっかかっている小夜は、訴える痛みに涙目になりながら耐えつつ、瞬間感じた違和感に思考を巡らせる。 「ハジ、声どうしたの?」 ふと感じた違和感。 先ほど発せられた声がひどく異質な音であると思い当たる。 まだ痛みの引かない額から手を離し、しぶしぶと言った表情で、ハジは身振り手振りで伝えようと試みた。 「ん?・・・のどが・・・痛いの、ハジ?」 ハジは緩やかに首を横に振る。 小夜にはジェスチャーでは通じないと早々に区切りをつけると、上体を起こして机の上のメモ用紙とペンを取って何かを書き始めた。 優雅な手つきペンを操り、記した紙を小夜に渡す。 『声が出なくなっただけ。痛くはないけど、話そうとすると風邪を引いたときみたいになるんだ』 紙に記された文字を読み取った小夜は慌てたようにハジを質問責めにする。 大丈夫なの? 風邪みたいっていうけど、全く声が出ないの? 朝食は食べられそう? 飲み物は平気? あまりに早く責め立てるのでハジは反射的にこくこくと頷くだけだった。 「あ、風邪みたいって言ったわね。熱は?!」 小夜は一番肝心なことを思い出したといわんばかりの慌てた様子で、ハジの頬を両手で包み込む。 その動作にハジも慌てて身を引こうとした次の瞬間。 ゴッ・・・!! 本日二度目の鈍い音と共に、ハジは意識を失い今度こそ地に落ちた。 急にぐったりとして眼を閉じてしまったハジを見て、小夜は全く別の方向へと考えを巡らせていた。 「ハジ!!・・・どうしよう・・・きっとひどい風邪なんだわ!!」 熱はなかったので初期症状だと判断して、手早くハジをベッドへと移動させる。 ハジが意識を失ったのが、熱を測るという目的を持って行われた自分の頭突きのせいだとは露にも思わず、ジョエルに助けを求めようと立ち上がった。 小夜はドレスをたくし上げると跳ぶように床を蹴って走り出す。
「ジョエル、早く!!」 老紳士に対してひどく無理な注文を言いながら、小夜は部屋へと導いてゆく。 使用人とともにジョエルより一足早くハジのいる部屋へたどり着くと、小夜は叫んだ。 「ハジ!!ちゃんと寝てなきゃだめ!!」 扉を開けると昏倒から目覚めたハジがベッドから起き出そうとしていたため、小夜は慌てて駆け寄り肩を押さえ込む。 そんな小夜にハジは困ったように頭を振って目線で訴える。 映るのは自分をとても心配している小夜の瞳。 安心させたくて笑ってみせるけど、全身でベッドへ押し戻す力は緩まない。 仕方なくハジは小夜を抱き込んだ。 突然の抑えていた力に対する反発の消失で、飛び込むようにハジの腕に抱かれた小夜は何が起こったのかわからず思考が真っ白になる。 そんな小夜に構わずハジは小夜ごとベッドから抜け出し、床に降り立つと小夜を解放した。 「っ・・・ハジ!!何で・・・」 小夜が怒ったように訴えようとしたとき、ジョエルが遅れて部屋へ入ってくる。 「ハジ、体調が悪いのかい?」 穏やかにそう訊ねられるとハジはゆるりと横に首を振って否定した。 「気付いてないだけよ。さっきまでぐったりしてたし、声だってすっごくひどいんだから!!」 ぐったりしていたのは小夜のせいなのだが、そんなことはお構いなしに小夜はハジを睨みつけて怒る。 ハジはそんな小夜に困り果てていて、話そうとしても話せないことに悲しげな表情をみせる。 「声が・・・どうしたんだね?」 ジョエルの問いに小夜はハジが書いたメモ紙をジョエルに手渡した。 その書かれた文にすっと眼をとおすとジョエルは小さく笑って小夜に言った。 「小夜、これは風邪ではなく変声期かもしれんよ」 「・・・変声期?」 「ハジの中では大人になるために、新たに身体を作りかえる時期が来ているんだよ。『変声期』というのは声を作りかえる時期のことで、誰だってやってくる。 女性はそんなにはっきりとした症状がでないだけだ」 ゆっくりと無知な小夜にできるかぎり理解できるようにジョエルは話す。 ハジも初めて聴いたらしくその話に驚いているようだった。 「じゃぁ何処も悪くないの?」 不安に揺れる小夜の声にジョエルは穏やかに微笑み頷く。 「ジョエル、それっていつ終わるの?今日には終わる?変声期が終わったらどんな風になるの?」 好奇心に駆られて次々と質問を浴びせかける小夜に、ジョエルは笑って『落ち着きなさい』となだめる。 変声期になっているハジよりよほど小夜のほうが興味津々といった感じだ。 「人によって長さが違うんだ、2・3日もすれば終わっているだろう。どう違うかは、ハジを見ていたらわかることだよ」 「2・3日もハジとは話せないの?!」 小夜は驚いたようにハジを見る。 文句を言われてもこればかりはハジにどうすることも出来ないのはわかっているが、なんとも言えない寂しさが心に残る。 「すぐに終わるよ。別にハジがいなくなるわけじゃないんだ。さぁ、二人とも朝食にしようか」 問題が解決したと区切りをつけてジョエルは二人を食卓の場へと誘い、連れてきた使用人を伴って先に部屋から出て行ってしまう。 残された小夜はひどく悲しげな表情でドレスの裾を掴んで床を見つめたまま佇んでいた。 ――――話ができないなんて、寂しいじゃない ふてくされたように唇を噛み締めているとすっと何かが視界の前方に現れる。 顔を上げればハジが手を差し出して待っていた。 きょとんとした表情の小夜に柔らかく微笑んで、声にはせずに小夜を呼ぶ。 口の動きがそう伝える。 わかった瞬間小夜は駆け出しその手を取っていた。 嬉しくて自然と笑顔がこぼれる。 気持ちが通じないわけじゃないとわかると長いと思っていた2・3日などあっという間に思えた。
朝。 何か予感めいた感覚に朝から気分がわくわくしていた。 いつものように、身だしなみを整えて。 いつものようにハジの部屋へと向かう。 扉をノックして『入るわよ』と一言断って扉を開ける。 小夜を部屋へと迎えいれるのはまだ仕度途中で、長い髪をまとめていないハジ。 穏やかに微笑んで佇む。 「おはよう、ハジ」 柔らかな微笑を返して明るく声をかける。
「おはよう、小夜」
届く声は、低く穏やかに。
* * * * 2006/03/17 (Fri) 過去フランス編。 種のカガリ様からラブレスの我妻草灯(その例えどうなん?)に変化する恐ろしさ。 2・3回は声変わりしてないかい、ハジ? ちょっと今回は明るく小説を書いてみた。 ぶっちゃけ、お嬢様な小夜様に振り回されるハジを書きたかった。 頭突き2回目は小夜様ちっとも痛くありません☆ 自分から仕掛けておいて、ってやつが好きです。 この話にはいろいろ続きがあって・・・。 書きたい!! 頑張ります。もう決めました。 他のサイトさんを見れなくてもいい!! ←引きずられるから。 書ききってみせるわ!! そのあとご褒美としてサイトを延々めぐり続けてやるわ☆!! 新月鏡
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