act.9 〜思ふなかをば さくるものかは〜

 

 

 

さて、とても困ったことになりました。
どうしてこんな展開になってしまったのか。
そんなの俺が聞きたいです。

 

 

 

「ちょ、目ぇ覚ましてウサギさん!」
「ちゃんと覚めてるから大丈夫」
「絶対嘘だ、目の色違うし!」

ぐぐっと顔を押し退けても、あっさりと腕をとられてしまえば、標本の蝶みたいに床に張りつけられてしまって。
唯一自由になる声を張り上げたところで、綺麗に無視されてしまう始末。
無駄な抵抗と知りつつ喚く口を、冷たい唇で煩わしげに塞がれて、俺のささやかな抵抗が片っ端から殺がれてゆく。

「ぷはっ、ぁ…ホ、ント…マジでやめて、ウサギさん…」
「だったらまず、あっちを止めてみろ」

緩やかに訪れる心地よい兆しに耐えつつ、懇願するように制止を呼びかければ、こんな事態を招いた原因を正せ、と言われてしまった。
くいっと指摘される先、視界の端に映る二つの影を恨めしく眺めやる。

ウサギさんを焚きつけた人たちは、もはや自分たちの世界に閉じこもってしまって、ただ熱烈なキスを繰り返すばかりだ。
冷えた床へ押し倒し、労わるように髪を撫でて。
彷徨う指先は熱を求めて絡み合う。
そんな、傍から見ても明らかすぎるほど、優しくて甘ったるい空気が醸し出されている現状。
ウサギさんには『やめて』とは言ったものの、眼の前で堂々と濃厚なキスシーンなんて見せつけられたら、焚きつけられて当然だと思う。
ましてや、先ほどウサギさんからは胸痛くなるほどの優しい言葉を貰ったのだから、俺としても拒むに拒みきれない。
ぐるぐると葛藤を繰り返し、とりあえず、原因を正さなければと意識を切り替える。

 

元はといえば、先生たちが仲直りした直後の展開がおかしいのだ。
最初は、頬とかに軽く口づけたりと宥めるようなものだったのに、草間さんのキスは、いつの間にかエスカレートしていて。
いったい、草間さんに何が起こったのか。
途中から全く別の意思に身体を全部持っていかれたんじゃないか、と思うくらい、今先生を抱きしめて(襲って?)る草間さんは別人のよう。
うっとり見つめる視線には、もはやこちら側は存在しないみたいだ。
とばっちりを受けている俺に気付いてください!と叫んでも、きっと声は届かないんだろうな。
現に、先生の身体を滑る大きな手が、妖しい意思を持ち始めている気がする。
先生!そのままだと、本気でここで喰われちゃいますよー!

 

「か、上條せんせー!」

気付いてください俺(むしろ俺と先生)の現状に!と、正気に戻れば絶対にこの状況を回避してくれるだろう人へ、慌てて精一杯の声を張り上げる。
今なら神様だろうが、鬼神だろうがいくらでも降臨してくれていい。
先生たちもいるリビングの真っ只中で情事に走るとか、俺マジ耐えられマセン。

「…な、に?」

必死の心からの願いが届いたのか、草間さんに押し倒されていた先生が、俺の声に気付いてくれた。
やはり吹っ飛びかけていた意識の底に、教師としてのプライドみたいなものがあるのだろうか。
キスを中断し身体を捩って、視線をこちらへ向けてくれる。
よかった!これでようやく助けが!と思ったのも束の間。
熱にうかされた瞳の奥、視線を奪われるほど綺麗な眼が、何事かと虚ろげに俺を見つめて。
視線を向けてくれた先生と眼が合ったその瞬間、一気に体の内側から熱が駆け上がってきた。

うわぁ…なんて顔をしてるんですか先生。

 

「ん…、野分、ちょっと待」
「嫌です、待てません」
「こら、馬鹿!…マジやめっ…、あっ!」
「ヒロさん、今は俺だけ見てください」

しっかり俺を視界に捉えて、耳を傾けようとしてくれるが、それを草間さんが引き止める。
先生の小さな抵抗が気に障ったのか、少し苛立ったように白い肌に唇を寄せて、無防備に晒された喉に甘く噛みつく。
そのあまりの刺激に、正気に戻りかけていた先生の声が、全部嬌声にすり替わってしまって。
誘うように仰け反って、与えられる快感に反応する先生が、めちゃくちゃ色っぽく映ってしまって、直視できない。
しかも追い討ちをかけるように、噛み付いた首筋をねっとりと舐め上げ、これ見よがしにキスマークまで作ってくれる。
挙句、嬉しそうに、『やっぱりヒロさんは、綺麗だ』とのたまう始末。


あぁ、とても眼のやり場に困る…。


他の人の情事を見ることが、コレほどまでに熱を煽るものだなんて知らなかった。
ドクドクと脈打つ心音がうるさいくらい。
あぁ、せっかく現状をひっくり返そうと思ったのに、うっかり煽られまくっている自分自身が情けない。

 

 

 

「どうやら無理そうだな」

ある意味羞恥プレイな視界を両手で覆うように遮っていれば、淡々とした静かな声が頭上から降ってくる。
はっとしたように両手を外し、視線を戻すと、しばらく成り行きを見守っていてくれたウサギさんが、にっこり微笑んでいて。

あ、これはヤバイ。


「諦めなさい」
「んン――っ!」

とっさに感じた嫌な予感に、慌てて抗議の声を上げようとすれば、言うが早いか冷たい唇に遮られた。
味わうように咥内を舐めまわされて、逃げ遅れた舌を捉えられる。
痺れるくらい吸い上げられれば、徐々に、それでも確実に俺の抵抗力が萎えてゆく。
冷たい唇から与えられる熱が、無条件に俺を乱して。

「ふぁ…、あ……んぅ」

見計らって断続的に許される呼吸が浅すぎて、だんだんと意識が朦朧とする。
溺れるように彷徨う指は、誘うようにウサギさんのシャツの裾を引くばかり。
壊れ物を扱うみたいに、時折違ったキスが降ってくるから、抵抗する気など、ほぼ皆無になってゆく。
キスだけで腰砕けになりそうだなんて、俺、どれだけこの人に慣らされてんだよ。

「…ウサギ、さん…」
「…可愛いな、美咲は…」
「ばっ…そんなっ…ン、ふ…」

赤面モノのセリフに反発する言葉すら、全部キスで封じられて。
悔しいけど、やっぱり気持ちよさのほうが勝ってきて、どうにも快楽に流される。
あっという間に捲り上げられた服の隙間から、冷たい指先が滑り込んでくる頃には、もう完全にされるがままだ。
それでも、頭の端に残された理性が口先だけの言い訳を零して。

「やっぱ…や…」
「気になるか?」
「だって」
「お前は、俺だけ見てればいい」
「んぅ、ぁ…」

草間さんと似たようなセリフに、何だかおかしく思えて笑ってしまう。
何だかんだ言いつつ、草間さんとウサギさんは何処か似てるのかもしれない。
そんなことを考えていた矢先、やんわりと理性を攫う愛撫に、なけなしの言い訳が吹っ飛んでゆく。
低く心地よい声が名前を呼ぶから、たまらない。

 

「ウサギさん…」

呟くように吐息混じりに囁けば、嬉しげに微笑んで返してくれて。
それだけで、もういいや、と思えてしまって。
だが、そんな諦めめいた降伏を覚悟したとき、再び理性を叩き起こすようにインターホンが鳴り響いた。

「ふぁ?…何、だろ…」
「さぁな、放っておけ」

居留守を使う気満々のウサギさんは、問答無用で俺の身体をまさぐってくる。
出たほうがいいとか、受け取りだったら後が面倒だとか、俺が一生懸命喚いても、全く聴く耳を持ってくれない。

「いいから黙って抱かれてろ」

暴君さながらにそう言い捨てて、羞恥に真っ赤になる俺の頬にキスを一つ。
去り際に見せる涼やかな微笑みに視線を奪われて。
いたいけな青年を食おうとする変態(ホモ)なのに、格好良く見えるから悔しすぎる。

「んっ…」
「美咲…」

優しい音を紡ぐ唇が、心臓の上を滑って…。

 

 

「先生!原稿戴きに来ました!」

 

 

時が止まった。

 

蹴破るように勢いよくドアを開き、どーん、と効果音さえ引き連れてやってきたのは、活発な瞳の輝く美人。
さらりとなびくロングヘアーに、今日はいつにも増してやる気に溢れた笑顔を湛えている。
宇佐見秋彦の担当にして、秋川弥生のよきアドバイザー。
密かにはびこる腐女子の絶大なる期待の星、丸川書店の相川さんだった。

 

そうでした、この人には居留守も何も関係ないのでしたね。
もはや日常の一環として慣れてしまった展開に、数秒の空白だけを残して、時が再び動き出す。

「うぁ、あああ相川さんっ!」
「こんばんはー、美咲君!今日も相変わらずラブラブね〜」
「……」

悲鳴まがいの俺の声に、和やかに、それも若干嬉しそうに応えて返す相川さん。
ごぉっと沸き起こる羞恥に、頭の中はめいっぱいのパニック状態で、動けぬウサギさんの腕の中で暴れまわる。
そんな俺の抵抗を押さえつけて、尚且つ抱きしめたままのウサギさんはと言うと、それはそれは恐ろしく嫌そうな表情で相川さんを見ていた。
とても怖いが、そんなこと言ってられる状況じゃない。

慌てた俺は、ぺしぺしとウサギさんの腕を叩いて、解放の要求を必死で伝える。
さらにどんよりとした視線を寄越されたが、さすがに相川さんとはいえ、こんな状態でお客様を迎え入れることは出来ない。
というか、俺がそんなの許さない。
しかし、今日は意外としぶとく、ウサギさんはなかなか解放してくれない。
理由は何となく分かるんだけど…。
ウサギさんが俺の解放をものすごく渋っているのは、たぶん、今日の俺が意外に乗り気だったからだろう。
自分でも、今日の流されっぷりはどうかしてると思う。
あぁ、穴があったら入りたい。

 

 

「それにしても…まさか生の濡れ場を目撃できるとは思わなかったわ…」

うっとりと喜色に満ちた相川さんの声が、感慨深げに吐き出される。
濡れ場っていっても、そんなの日常茶飯事で見てるじゃないですか、と思いつつ、頭の端に引っかかる違和感に導かれて、相川さんから視線を外して振る。

 

そして、凍りついた。

 

 

「…野、分…」
「可愛い…ヒロさん…」

 

ノ ン ス ト ッ プ 草 間 さ ん !

 

インターホンが鳴り響いていたにも拘らず。
相川さんがドアを蹴破るが如く現れたにも拘らず。
続行し続けている草間さんに、俺は心底驚いた。


どこまで盲目なんだあんたら!


うっかり敬語がすっ飛んでしまうほど、全く外界を気にする様子もない草間さんに我が目を疑う。
お酒に溺れて、さらに草間さんに流されてしまっている先生には、もう現状など理解する範疇を超えているのだろう。
とんでもない痴態を晒してますよ、先生!と、正気に戻ったときのことを思うと、同情を感じざるを得ない。

 

そんなことを考える一方、その間もエスカレートしてゆく情事から眼が離せないでいるのも事実で。
露になった白い肩から胸元まで、ゆるりと大きな手がなぞれば、その指から与えられる快楽に、艶かしい嬌声が跳ね上がる。
快楽に流されて乱れる先生は、えらく艶やかで。
ゆっくりと素肌を舐め上げる草間さんの視線の色は、欲情にまみれて。
直視するには色の濃すぎる雰囲気が醸し出されている。

 

 

「ヒロさん…この傷、どうしたんですか?」
「や、ぁ…見んな…」

甘やかな行為の最中、ふと、示された部分を見れば、胸元に奔る赤い5本の爪痕。
そっと耳元で甘く問い詰める声は寂しく響いて。
乱れた身体に与える優しい愛撫は続けたまま、ちゅっと音を立ててその赤い痕をなぞってゆく。

「自分で…傷つけたんですか?」
「違っ……ん、ンぁっ…」

泣きそうな顔で、涙を懸命に堪えながら、それでも否定を口にする先生。
わかりきった寂しい孤独の痕。
胸を掻くほど苦しみ、耐え続けた証。

「俺が…全部、忘れさせてあげます」

掻き抱くように抱きしめて囁く声は、後悔に震えて、強く秘められた決意を落とす。
抱きしめあう2人を見ていて、どうしてこんなに切ない気持ちになるんだろう。
無意識に、まだ俺を解放していないウサギさんの手を掴んでしまうくらい。
こんなに誰かを恋しく想うなんて。
ぽけっとそんなことを考えていると、何の前触れもなく、力を込めてぎゅっと抱きしめられる。

「っ…ウサギさん?」
「美咲、俺は離す気はないからな」

俺の心のどこかに潜む不安を感じ取ったのか、包み込むような優しさで抱き寄せられて。
すっぽり収まってしまったウサギさんの腕の中で、そっと見上げれば、額に柔らかなキスが降って来る。


――――ウサギさんは、どうして俺のほしい言葉がわかるんだろう?


ぼんやりと、切なさに泣いてしまいそうになる自分を抑え込む。
どんなに俺様で、自分勝手で、やりたい放題でも、この優しさを知ってるから、やっぱり『好き』でいっぱいになる。
惚れた弱みとか、きっとそんなだ。

 

 

そんなことを想いながら見上げていた視界の向こう、甘ったるい気分とはそぐわない姿を見つけて、一気に現実が舞い戻る。

「はっ!そそそうだ!!相川さん、ウサギさん!仕事の話なら隣の部屋でやるといいよ!」
「ちょっと待って、今すごいイイトコ…」

頬を紅潮させながら、ガッツポーズまで決め込んでいる姿は異様だ。
興奮のあまり目が輝きすぎていて怖い。

「し、仕事しに来たんじゃないんですか?!」
「それもそうなんだけど〜…って、いやぁ〜そんな美咲君〜」
「んな声出してもダメです!」

くっついたままのウサギさんを引きずって、一生懸命相川さんを隣の部屋へ連行する。
こうなってしまっては、先生たちをどうにかするより、ウサギさんたちの隔離を試みるしかない。
これはある意味俺に課せられた義務というか、使命とかそんなだ!

 

勝手に芽生えた使命感に駆り立てられて、言うことを聞かない大人たちを捌いてゆく。
バタン、と勢いよく扉を閉めれば、それだけでどっと疲れた気がした。
2人を別の部屋に追いやった今、今度は先生たちをどうにか正気に戻させなければ、と算段をめぐらせる。
しかし、考える端で、できるのか?と疑問が浮かべば滅入ってしまって。

 

さぁ…どう解決するべきか。

 

全く、とんでもない一日だ。

 

 

 

 

 

* * * *

2008/10/16 (Thu)

サブタイトル
『思い合う二人を裂けはしない』

フル↓
天の原 ふみとどろかし なる神も 思ふなかをば さくるものかは
(天空に大きな音を響かせる雷も、思い合う二人を裂けはしない)

とんだバカップルになりました。
エゴ組は本気になると、見境なくなると思います。
あー…しっかし…雰囲気だけ残して…の描写って難しぃー…。


ついでに、アンケートを2つ!
よかったら答えてやってください、お願いします!
今後の活動に参考にさせてもらいます!

 

   

 



 

ありがとうございました!!!!


新月鏡