act.4 〜泣くはわれ 涙の主はそなたぞ〜

 

 

 

ウサギさんが消えたリビングで、ひっそりと静まる空間には、俺と先生と鈴木さんJr.。
いきなり2人だけにされてもとても困るのだが、ここは俺が頑張って間を持たせなければ。
ぐっと拳を握り締めて、意を決したように先生に向き直る。

「あ、あの…今更なんですが!」
「ん?」

振り向いた先生の目尻の端には、取り残された涙が光を受けて反射している。
半分意識の落ちかかったような、とろんとした眼差しから、油断してるとすぐにでも眠りの森へ誘われそうだ。
これは早く言ってしまった方がいいだろう。

「えと、う、ウサギさんと、俺の関係…」
「恋人だろ?安心しろ、誰にも言う気ねーから」
「へ?」

ドモりながらも必死に告げようとした言葉は、案外あっさりと、事も無げに受け入れて返されて驚く。
もっと、引かれたり、説教されたり何だかんだ言われると思っていたから余計だ。
そんな俺とは対照的に、大したことでもない、という風に先生は言葉を継ぐ。

「好きなら好きでいいじゃねぇか。色々大変だろうけどさ…なんかあったら相談くらい乗るし」
「引いたり、しないんですか?」
「何で?俺、アイツが幸せならそれでいい…それはもちろん、お前込みで、だ」

若干酔いも程ほどに醒めて来たのか、幾分意志の強さを取り戻した目が俺をじっと見据える。
今のままでいい、とまっすぐな言葉で真摯に告げられた声は、胸の奥底で不安がっていた俺の心を落ち着かせてくれて。
ワイングラスを持ちながら、器用に指差してふんわりと笑ってくれるから、何だかこっちまで泣きたい気分になってくる。
今まで、誰かに相談したり、なんて考えたこともなかったから、『相談に乗ってやる』という一言が強く印象に残って。

 

 

「だから、…美咲」
「…え?」

呼ばれて、弾かれたように面を上げる。
ぼぅっとしていたため、誰に名前を呼ばれたのかはっきりわからなかった。
考えるまでもなく、今ここにいるのは、目の前に座ってらっしゃる先生だけなのに。


「笑ってろ。アイツの迷惑とか、んなの考えずに、甘やかされるだけ甘やかされてろ」


それだけでアイツは幸せだろ、と慈愛に満ちた眼で微笑む先生にドキリとする。
今、目の前にいるのは、間違っても『鬼の上條』なんてあだ名のついていい人じゃない、とさえ思えてきた。
厳しい裏に、こんなに優しい一面があったなんて。

「それ、ウサギさんが…?」
「そう。お前が自分の迷惑になるのがいやだ、って言うって。んで、どうしたらいい?とか訊いて来やがった。アイツ、ただお前に、目一杯甘えてほしいんだよ」

『まだ学生なんだから、甘えてやれ』と、ぐしゃぐしゃに頭を撫でられて、抱きしめられた。
一瞬、何が起こったのかわからなくて硬直する。
無理もない、今日は驚くことが連発しすぎだ。
家に帰ってきたら『鬼の上條』がいて、意外な接点に失神して、ウサギさんとの関係普通に受け入れられて、名前呼ばれて、今なんて抱きしめられてるぞ俺!
一体今日は何の日だ?!と困惑しながら、抵抗するのもおかしい気がして、そのまま抱きしめられておく。
ふんわり漂うアルコールの匂いが、まだ先生が酔っているのだと知らせていて。
酔いのせいで幾分上がった相手の体温に、やんわりと包まれて、肩の力が抜けていった。
慰めるはずなのに、いつの間にか、自分の根底にあった不安を攫われてるなんて、何だか情けない気もするのだが。

 

 

「大人になりゃ、嫌でも周りを気にして、迷惑かけないように気を配らなきゃなんねぇ。お前はまだ、そんな心配することねーよ…焦んな」
「あ、っ…」

ダメだ、俺、耐えられそうにない。
ウサギさん、何処まで先生に話してんだよ!プライバシーの侵害だ!なんて心の中で毒づきながら、ぎゅっと先生の服を掴んでしまう。
慈しむ色と寂しそうな色が視線に交じり合って、じっと俺を優しく見守っていて。
あやすように背中を撫でてくれる手が、ゆっくり体の力を奪ってゆく。
今は、先生の方がきっとつらいのに。
俺とウサギさんのこと、目一杯想ってくれてるという事実が、痛いくらいの嬉しさで伝わってきて。

「早くに親を亡くしてると…どいつもこいつも急ぎ足になるんだな」

ぐっと涙を堪えていれば、切なくなるような声が、苦笑混じりに零れ落ちてきた。
見えてねぇから泣いていいぞ、と肩口に頭を押し付けられて、本格的に限界ぎりぎりになってきた。
両親のことは、ウサギさんにも話してないと思ってたのに、きっと兄ちゃんが言ったんだ。
心配性すぎる兄の気遣いが、まさかこんな形で返って来るとは思わなかった。
予想外すぎる人の優しさが、これほどまでに心地よく思えるなんて。

 

 

 

このままだと本当にこの人の腕の中で泣いてしまいそうで、慌てたように離れようとすれば、がつんと脳天に軽い拳を受けた。

「いっ、先生…」
「うるせー、年相応に甘えてろ」

そろっと見上げてみれば、うっすら赤くなった先生の頬が視界の端に映った。


――――…もしかして、照れ隠し…?


その瞬間、めちゃくちゃ厳しい分、先生はすごく優しい人なのかもしれない、と思った。
不器用ながら一生懸命、自分のことみたいに考えてくれて、想ってくれて。

たぶんきっと、一緒になって泣いてくれる人だ。

何の根拠もないくせに、何となく確信めいた結論が落ちてきた。
今まで会って来た人の中で、一番ウサギさんのことわかってくれてる人で、その上まっすぐに幸せを願ってくれてる。
しかも俺込みで、って言ってくれる。
それって、ウサギさんが俺といることで、ちゃんと幸せなんだって言ってくれてるってことで。
あ、ヤバイ…ホントに嬉しくて、今度こそ本気で泣く。
ごめんね、ウサギさん、俺、頼むって言われたのに、逆に慰められちゃったよ。

 

「よく、頑張ったな」

囁くように、大切なものを包むように。
そんな優しい声色が、泣いてもいいよ、と許してくれて。
頑張ったね、と褒めてくれて。
もう、我慢しなくてもいいんだと、今だけは、全部許されるんだと思えてしまって。
勝手に零れ始めた涙は、今までにないくらい軽やかな色で落ちていった。
広すぎるリビングで、2人。
想いの違う色で、静かに静かに涙を落として。
ウサギさんが帰ってきたら、きっと驚くだろうな、と思いながら、抱きしめてくれるぬくもりに全てを預ける。

 

やんわりと包み込むようなまどろみが訪れるまで、あと数分。

 

 

 

 

 

* * * *

2008/07/08 (Tue)

サブタイトル
『泣くのは私。でも、零れる涙の原因は貴方』

ウサギさんの言えない言葉を、ヒロさんが伝えればいいと思います。
美咲もヒロさんを頼りにすればいいよ!


新月鏡