act.3 〜恋ひ死ねと するわざならし〜

 

 

 

薄っすらと浮上し始める意識の端。
どんちゃん騒ぎのような笑い声と、大好きな心地いい声がさらさらと降って来る。
眩しい光に、小さく呻いて目蓋を押し開けば、綺麗な顔がうんざりしたような顔をしていた。
あれ?またこの顔?などと思いながら、もぞもぞと動けば、視線をこっちへ向けてくれた。

「目が覚めたか?」
「ん…うん、何かゴメン、心配かけて…」
「疲れてたんだろ、気にするな」

やんわりと髪を撫でられて、まどろみの中の俺はうっかり流される。
肩にもたれて頭を預ければ、小さな笑みと大きな手が俺を包んでくれるから、まだこのまま眠っててもいいかな、なんて思えてしまって。
そんな隙だらけだった俺は、瞬きした先の姿に一気に青ざめた。


「ほんっと、お前らラブラブなのな、ムカツク」
「そっちに比べれば負けるよ」
「せ、せん…せ…おは、おはようごじゃいましてござる」
「ひゃっひゃっひゃ、なんらその日本語!高橋、お前日本語イチからやり直せ!」

完全に酔いに呑まれた鬼が、爆笑しながら俺の日本語にダメだししてきた。
酔ってても、そこらへんをしっかり認識できるのがすごいところだ。
そんな崩壊している国文の教師といえば、ワイングラスを片手に、ボトルから直に呑みそうな勢いで、酒をあおっている。
明日、二日酔いで大変な目にあわなければ良いのだが。

 

「あ、そうだ…めちゃくちゃ楽しそうに話してたけど、ウサギさんと先生って何の話してたの?」
「楽しそう…?」

俺の質問に、げんなりとした表情になるウサギさん。
あれ?俺何か間違ったこと言ったっけ?

「コイツの呆れるしかない惚気話の、何処が楽しいものか」
「あぁ?!お前が全部聴いてやるって言うから話ひてんらぞ〜?黙ってききやがれ〜!」

うんざりしたように吐き捨てた一言に、酒呑童子さながらの飲みっぷりを見せ付ける先生が即座に反応する。
びしぃっと指差して、完全に酔った目でウサギさんを睨みつけているが、いつもの威厳が全くない。
呂律が回っていないのか、所々ふらふらしているのが危なっかしくてヒヤヒヤする。

 

「美咲、これが楽しいように見えるか?」
「……見えません…ってか惚気話?!」

思わずスルーしていた言葉に食いつく。
今まで、ウサギさんと先生が幼馴染だって事実に現実逃避していたが、それ以上に驚くべき話まで飛び込んできた。
まぁ、三十路近くの男性なのだから、恋愛話の一つや二つ、あって然るべきなのだろうが、何せ、相手が『鬼の上條』だけに、なかなか想像がつかない。
あんな厳しい人が、酒に呑まれてるとはいえ、延々と惚気るくらいベタ惚れな恋人って…。
もしかしたら、めちゃくちゃ可愛くて美人な恋人で、自慢したくて仕方ないような人なのかも。

「せ、先生の恋人ってどんなっ」
「よせ、美咲!!」
「もがっ」

慌てたように口を手でふさがれ、ウサギさんは、乗り出した俺の身体を勢いよく抱え込んだ。
え?何で?訊いちゃマズかったのかな?
でも、俺の好奇心は止むことなく、『鬼の上條』の素顔なんてそうそう拝めるものじゃない、と怖いもの見たさの意気込みが沸き起こっていた。
押さえ込もうとするウサギさんの手を一生懸命払いのけて、先生の隣の席まで逃げおおせる。
普段なら怖くて絶対ゴメンなはずの場所なのに、全然平気なのは、きっと先生がただの酔っ払いに見えたから。

 

「うひゃひゃ、逃げられてやんの!」
「うるさい」

仏頂面になるウサギさんを他所に、『よーしよし』と上機嫌で頭をぐしゃぐしゃに撫でられて、どきっとする。
叱られることはあっても、褒められたことがなかったからだ。
『鬼の上條』に褒められちゃったよ俺…赤点しか取ったことないのに。
感動に身を震わせつつ、改めて面と向かって質問を投げかける。

「俺、すっげ聴きたいデス!せんせーの恋人の話!どんな人ですか?」
「ん〜…どんな…犬みてぇーな奴?」
「犬?」
「うん、犬。従順なフリ、実はめちゃくちゃ腹黒…」

フフフとおかしそうに笑う先生には悪いが、どんな恋人なのかさっぱりわからない。
犬みたいに従順なのに、腹黒いって?
もしかして、先生、その女の人に嵌められて恋人になったとか?
でも今じゃ惚れた弱みで何されても許せちゃうとか、そんな感じの関係だったらどうしよう。
さっき傷心してるだの何だのと言ってたことを思い出して、若干青ざめる。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、先生はうっとりするような視線であさっての方向を見つめていた。
よく見れば、綺麗な面立ちをしているだけに、その視線がやけに色っぽく見えて、一瞬揺れた光彩が余計儚く影を落とす。
いつもは仏頂面に眉間のしわがあったせいで、そんな感覚など欠片も感じたことがなかったため、何処となく危うい気配に心配にさえなってくる。

 

「…俺には、もったいない…」
「先生…?」
「俺なんかに捉まって…アイツ、可哀想…」

『誰より幸せになる権利があるのに』と小さく吐息に乗せて呟く。
笑っていたと思って油断していれば、いつの間にかその頬には小さな雫がはらはらと伝っていた。
閉じた目蓋からひとつふたつと落ちる雫は、一瞬涙だと気付かないほど綺麗で。
言葉の意味を理解する前に、何とか泣き止ませなければ、と救いを求めるようにウサギさんへ視線を送る。
今まで傍観していたウサギさんは、ため息を一つ落とすと、テーブルに置かれていたケータイをずいっと差し出してきた。
頭に『?』を掲げて見守っていれば、そのケータイはウサギさんの手の中で着信を表示して待っていた。

「弘樹、ほら呼んでるぞ」
「ん…やだ」
「いい加減、向き合ってやれ。これで何コール目だと思ってるんだ?」
「知らない、お前が出ればいいだろ」

先生はそう言うと、ぷいっと子供じみた態度でそっぽを向いて、知らん顔を決め込んでしまった。
ウサギさんに背を向けたかと思うと、近場にあった『鈴木さんJr.』を手にとって、ぎゅっと抱きしめて再び泣き続けている。
まったく、酒の力とは恐ろしいものだ。
もう俺には、この人が鬼神の如き教師として授業をしているとは、到底思えなくなってきた。
そんなことを考えつつ、ウサギさんと先生の不毛な会話の内容を解釈したところ、どうやら着信の相手は先生の恋人らしい。
『何コール目』というからには、何度も何度も電話をかけてきてるのだろう。
そんなに気にかけてもらえているのに、どうして出ようとしないのか。
俺なら間違いなく飛びつく勢いでケータイ取って、気にしてないような態度で出るだろうけどな。

 

「…美咲、俺が出るから、少しの間コイツのこと頼む」
「え?ホントにウサギさんが出るの?」
「本人からのお許しも出たからな」

そう言って、くるりとケータイを手のひらで弄びながら席を立つと、そのままリビングから玄関の方へ姿を消してしまった。
残された俺の課題は、どうやら機嫌を損ねてしまった先生のお相手らしい。
それはそれで難問だな、と思いながら、ゆっくりとうずくまるようにソファーの端で座っている先生に向き直る。
さて、どう攻略するべきか。

 

 

 

 

 

* * * *

2008/07/08 (Tue)

サブタイトル
『恋焦がれて死ねってことか?』

フル↓
恋ひ死ねと するわざならし むばたまの 夜はすがらに 夢に見えつつ
(恋焦がれて死ねってことなのか。毎晩毎晩夢に出てくるのは)

美咲がいると明るくなるね!
ヒロさんは、つらいときは泣き上戸で、惚気るときは笑い上戸だと思う
そして、いい加減野分を出したい(笑)


新月鏡