◆まどろむ深夜

 

 

さらさらと流れるような小さな音がする。
風呂から上がり、目蓋もだいぶ重くなってきたので、そろそろ寝ようかと思っていた頃だ。
眠気眼をこすりながら、洗面所から出てくると、まだリビングに明かりがついていた。
そっと覗き込めば、リビングの低いテーブルの上にノートをめいっぱい広げて、何か書いている野分。

「お前、まだ寝ないの?」
「え…あぁ、もうこんな時間なんですか?」

今まで時間を忘れるくらい集中してやってたのだろう、時計を見て慌てたように視線を寄越してきた。
何かを言いかけて、ぎゅっと閉ざす唇。
たぶん明らかに眠そうにしてる俺を見る視線は、少し寂しげに映る。

「これ写し終えたら俺も寝ます。ヒロさんは先に寝ててください」
「それって病院で教わったことか?」
「はい、覚えることって尽きないですね」

くすっと小さく笑って答えてくれた。
どうやら、勤め先でも家庭教師時代の教えが実行されていたらしい。
『覚えることは全部書け』という俺の教育の名残がこんなところにまで出ているとは。
それにしても、膨大な量に思える。
大変だろうなと思いながらテーブルから顔を上げると、ふわり、花咲くような微笑が向けられていて。
不意を突かれて、ちょっとドキッとしたが、眠気に襲われてる俺は、つられたように笑って返した。
やっぱり野分は、笑っていた方が好きだ。

「あ、そうだ」

はた、と思いついて、ぽかんと見上げたままの野分を置いて、くるりと踵を返すとリビングを後にする。
『ヒロさん?』と戸惑い気味に飛んできた声が、少し不安げに聞こえたのは錯覚だろうか。
とりあえず、一度自分の部屋へ戻り、目的のものを片手に戻ってくると、野分はさっきと変わらずこっちを見ていた。

「…ヒロさん…どうし」
「俺のことはどうでもいいから、さっさと終わらせちまえ」

訊ねてこようとした声を遮って、手をひらひらと振れば、さらに困惑した顔になった。
何か、ちょっと困った野分の顔は可愛い。
ペンを片手に小首を傾げる野分の傍へ行くと、クッションを下敷きにしてうつ伏せに寝転ぶ。
あくびを噛み殺して、持ってきた本をぱらりと開いてみれば、さらに戸惑ったような声が降って来た。

「あの…?」
「俺は読書に忙しいんだ、お前が終わったら声かけろ」

眠気のせいで覇気のない声が出てしまったが、数秒の沈黙の後、『はい』と穏やかな返答が耳に届いた。

 

しんと静まった真夜中。

さらさらと流れるペンの音と、時折ページをめくる音だけが紡がれる。

 

たまにはこんな時間も悪くない。

 

 

 

* * * *

2008/10/05 (Sun)

せめて、傍に...


新月鏡