この年で階段を上るのはつらいねぇ。 でも、今日こそあの人が戻ってくるかもしれん。 灯台の明かりを消したままになんてできないよ。 そうやって、寂しく独りごちた言葉が、唯一の支えなのだと言えば、貴方は帰ってくるだろうか。
「灯台に灯る物語 -出会い-」
寄せては返す波の音。 とある海岸の町に立ち寄った僕は、遠い水平線を眺めつつ商店街へ歩みを進めた。 心地よい潮風と温かな日差しは、さすが港町、と言ったところだろうか。 今日は何処へ買い物に?新鮮な魚はいかが?とにぎやかな声があちらこちらで飛びかう。 そんな中、 「ふぅ、どうにも疲れるねぇ」 ふと、頼りない声が聞こえてきて、反射的にどこからだろうと視線を振った先には、一人の老婆が佇んでいた。 こんなに熱い日差しの中だ、確かに年老いた身体には厳しいのかもしれない。 だが、木陰で休んでいるところを見ると、手を貸す必要もなさそうだと見切りをつけて通りかかる。 「ちょっと!」 「???」 「ちょっと、ここだよ!」 素通りする僕の背に、しゃがれた声が投げかけられた。 「こんな老婆が大変そうにしているのに、見て見ぬフリかい!あ〜ぁ、最近の若い子と来たら、血も涙もありゃしない」 「え?僕のこと?」 『よせ、足を止めるな。こういう手合いは無視が得策であるぞ』 これ見よがしにため息をついて、言いたい放題言い放つ老婆に、うっかり振り向き足を止めてしまった。 そんな僕へ、とっさにシロが注意を飛ばすものの、ここは老婆の行動の方が早かった。 突如腹を抱えて痛い痛いと言い始めてしまったではないか。 そのあまりの名演技っぷりに、僕は慌てて手を差し出してしまった。 「おばあちゃん!?どうしたの?」 「いたた…喋る本なんて奇怪なものを見たせいか、持病が悪化して…」 『我が奇怪だと?失敬であるぞ!』 「何が失敬なものか!気味が悪いから『奇怪』っていったまでだよ!」 『この……言わせておけば……貴様っ!』 「ちょ、ちょっとシロ!」 白熱する老婆と奇怪と称された白い本の口喧嘩に、僕は慌てて止めに入った。 正直、空中にぷかぷか浮かぶ喋る本なんて、『奇怪』以外の何物でもないのだが、そこはシロに黙っておこう。 とりあえず憤慨するシロを宥めすかして、早々に立ち去ろうと踵を返しかけたとき、今までの演技は何処へやら、鋭い制止の声が追いかけてきた。 「ちょっとお待ちよ!かわいそうな老婆を放っておく気かい?」 『かわいそうなものか!』 相変わらずシロはご立腹だ。 だが、どうやら僕たちは完全に捉まってしまったらしい。 話を聞かない限り、解放してもらえそうにもなくて、再び老婆に向き直る。 一応病弱な妹のために早く帰ってやりたいのだが、強気な視線の奥に懇願にも似た色を見て、僕は諦めを示した。 「ふぅ、もうちょっと早く助けてくれてもいいんじゃないのかねぇ」 「ご、ごめんなさい……」 承諾したのにこの言われよう。 だが、なんだか僕の方がいけないことをしてたような口ぶりに、飛び出す言葉は謝罪だった。 そんな僕を横目に、気弱な奴めと治まらぬ怒りを湛えつつ、白の書は忌々しげに口を開く。 『それだけ口が回れば、たいていの用事はこなせそうだが……我らに何を頼みたいのだ』 ぶっきらぼうに言い放つものの、一度やると決めてしまえば、ちゃんと向き合ってくれるあたり、やっぱりシロもお人よしなところがある。 くすぐったくなるようなやり取りに、小さく笑いながら、老婆のたってのお願いとやらに耳を傾ければ。 「郵便局へ行って、あたし宛の手紙をさっさと届けるよう言ってくれないかね?」 とんだお使いだった。 『そのくらい自分で……』 「あいたたたたた…」 「わ、わかった!行く行く行きます!」 困ったときの持病再発に、僕は慌てて宣言した。 このままだと、郵便局へ行くまで延々と愚痴られ罵られ恨み言を言われそうだ。 少しの困惑を抱いたまま、とりあえず僕たちは郵便局へと足を向けたのだった。
老婆と別れて5分ほどのところにその郵便局はあった。 「やぁ、いらっしゃい」 明るい声と共に、郵便局員さんが出迎えてくれる。 こじんまりとした部屋の中には、所狭しと仕分け棚が並び、たくさんの手紙がボックスのあちこちに積み上げられている。 ものめずらしそうに辺りを眺めつつ、僕はカウンターに手をかけて郵便局員さんに訊ねた。 「あの…海岸で会ったおばあちゃんが、自分宛の手紙が来ているはずだって…」 内容が通じるかどうかとひやひやしたが、「あぁ、灯台のばあさんか」と思い当たる節があるらしく、郵便局員さんは、ぽんと手を突き応えてくれた。 『いかにも。あのうるさい老婆に、さっさと手紙を届けよ!』 まだまだ虫の居所の悪いシロは、当り散らすように言い放つ。 変にプライドが高いから、ちょっとしたことで怒るんだよね。 言い過ぎたら言い過ぎたで、へこむくせに。 そんなシロの物言いに、郵便局員は心底困ったように、申し訳なさそうに視線を落とした。 「届けたいのは山々なんですが、ちょっと足を怪我してしまって」 「そっか…それは大変ですね」 肩身狭そうにしている郵便局員さんが、とても気の毒に見えて、僕にはシロのように無理を強いることは出来そうになかった。 小さな町とはいえ、そこそこある人口だ。 こじんまりとした外観から察するに、きっと少数人数で切り盛りしていて、今、代わりに届けてくれる人なんていなんだろう。 「あ、いいこと思いついた!」 『やめろ!口に出すな!【いいこと】なわけがない。絶対違う。我はわかっておるのだぞ!』 自分のアイディアのよさに、きらきらと目を輝かせる僕に、シロは慌てたように声を荒げてまくし立てる。 だが、今の僕には芽生えてしまった『使命』みたいなものしか見えず、シロの言葉は右から左へ流れていくばかりだ。 「僕が配達員さんの代わりに届けます」 『……』 ぱたん、とシロが床に落ちた。 そんなことには目もくれず、「すまないねぇ」と眉を八の字にした郵便局員さんに、いえいえと応えつつ僕は笑った。 これを、と差し出された手紙を受け取り、大事にポケットにしまえば、もはや僕の使命感は誰にも止められない。 満足そうな僕に、郵便局員さんは一言声をかけた。 「気をつけるんだよ。あのばあさん、一筋縄ではいかない性格だから」 『……知っておる』 倒れた床から、地を這うようにカタカタと面を上げる白い本の声に、何処となく諦めと疲れの混じったものを感じたのは、見なかったことにしておく。 ついでに自分の村への配達物も受け取ってしまえば、『配達員に転職した方がいいかもしれんな』とげんなりとした声でシロにぼやかれた。
* * * * 2012/05/09 (Wed) まだまだほのぼのVvv 2012.5.8 日記より加筆修正 *新月鏡* |