「14・微笑みの裏の真実」

 

 

 

涼しげな深海の色をしっかりと見つめ返す。
いつだって秘密主義なその奥を暴いてやりたい。
そんな決心で見てたはずだったが。

 

 

 

「…む、無理…」
「フフフ、まだまだ甘いね、ネク君」

人差し指を唇に当てて、それこそ晴れやか爽快な笑顔を向けてくれるのは、言うまでもなくネクのパートナー・義弥。
一方、根負けして項垂れているのはネクで、決心の弱さにへこんでしまう。
どういう経緯でこんな状況なのかと言うと、ただの気まぐれでしかない。
意味深な言葉をぽろぽろ置き去りにする義弥に、ネクが食って掛かり、『今日こそ洗いざらい吐かせてやる!』と売り言葉を叩きつけたのが始まり。
アレやコレやと作戦を立てては惨敗し、徐々になりふり構っていられなくなりつつある。
そして惨敗回数が増えるたびに、どんどんネクの作戦が目的を失い始めていた。

「いきなり熱い視線で見つめてくるから、ちょっと期待しちゃったじゃない!」
「何だ期待って?!」
「ねぇネク君…僕のことそんなに知りたいの?」
「ちょっと待て、何でそこで脱ぐんだ?!」

ひとつひとつに突っ込みを入れつつ、確実に距離を詰めてくる義弥から後ずさる。
胸元のボタンをゆっくりと外しながら迫られれば、誰だって逃げたくなるだろうが、ネクはどうしても逃げられない理由があった。

 

『お前の隠してることを話せ』


その一言が今のネクを踏みとどまらせている。
どんなに茶化されても、どんなに上手くかわされても、何度も作戦を練っては口八丁手八丁で自分から向かっていく。
意味深過ぎる言葉は、戦いでも支障が生じる。
何より信じきれない奴とパートナーなんてゴメンだと思っているネクにしてみれば、当たり前の行動のはずだった。
でも、『パートナーだから』というだけではない気がしてきたのは、作戦が底を尽き始めた頃のことで。
こうしてがむしゃらに訊き出そうと奮闘していると、知りたいことが何なのか、その目的がどんどんわからなくなっていく。

 

何を知ってる?

お前は誰?

何で俺を選んだ?

 

――――…話してくれないのはどうして…?

 

日増しに増える疑問が導くのは、寂しいくらいの冷たい感情。
眩しいくらい微笑んでるくせに、何一つ真実を明かしてくれない名ばかりのパートナー。
口から出るのは飾り立てた空っぽの言葉だけ。
人間不信者だった自分を変えられそうだったのに、また元通りになってしまいそうでネクは怖かった。

 

 

 

「そんな顔されたら…僕が苛めてるみたいじゃない」
「え?」

そんな顔とはどんな顔だろうか。
思わずきょろきょろと店のウィンドウを見回すが、よく考えれば、店に入らない限り自分の姿が写るわけがない。
一体どんな顔をしてたのかと、ぺたぺた自分の顔を触っていれば、ふわりと優しげな表情で義弥が微笑んだ。
素直に受け止められるほどの穏やかで甘い微笑みに、ネクは半ば放心したように見惚れる。
裏のあるような瞳じゃなくて、もっと純粋なものを見つめる視線。
視界いっぱいに映る義弥の顔を見つめていると、時間すらスローモーションみたいに緩やかで、呼吸さえおかしくなってしまう。
残る意識をめぐらせて、喘ぐように空気を求めれば、柔らかな感触に攫われた。

「…んっ……」

包み込むように頬を撫でられ、空いてた片方の手は硬直した指を解いて絡みつく。
くすぐるような口づけが驚くほど甘ったるくて、突き飛ばすのも忘れて流される。
まどろむように落ち始めた視界には端整な顔だけ。
崩れそうになるのを阻止するために身体を密着させれば、くすりと小さく笑い声が聞こえた。

「ねぇネク君……運命って信じる?」
「…はぁっ、何言って…んんっ…」
「お願い……気付かないフリしてて…」

キスの合間に響くオブラートな音が、ヘッドフォンを通り越して流れてくる。
おぼろげな返答のせいか、義弥は少し困ったような表情でキスを繰り返し、慎重な手つきでヘッドフォンを取り上げた。
『気付かないで』と零した唇の熱をそのまま与えられて、わけがわからなくなる。

「運命だったらいいのにね…君に恋するのも…」
「…運、命…?」
「そう」

空気を求めて離れた唇から、吐息とともに囁かれる睦言。
回らなくなった思考回路から聞き出した二言を零せば、短く吹きかけるように返って来る。
そろっと遠のいていく瞳に潜む寂しい色が閃いて、目の裏に焼きついて眩んでしまいそう。
さっきと少しばかり近づいた形で距離を取れば、義弥は自嘲気味に俯いて目を伏せる。
そんな姿に掻き消えそうな気配が漂ってきて、ネクは思わずその胸倉を掴んで引き寄せた。
驚きに見開かれる瞳は、光を受けて群青に染まって。

「確かに、ある意味運命かもな」
「…ネク君」
「でもそんな答じゃ足りない!もっとお前のこと話せよ!!」

 

あぁ、泣きそうだ。

言いたいこと、伝えたいこと、全部言葉に出来たらどれだけ楽だろう。
告げるための言葉も、問うための言葉も、何もかもが足りなくて悔しい。


胸倉を掴んだままの手は震えてしまって、聡い義弥のことだから、もしかしたら気付かれているかもしれないと思う。

 

 

 

「ゴメンね、でも話せないよ…」
「っどうして?!」
「ただ、コレだけは言える」


――――『信じてる、君を…ネク君を誰より信じてるよ…』


陽に透けるような、微笑みに息を呑む。
たぶん、こいつと出会って初めてみる表情。
愛しむような、悲しいような、胸締め付けられるほど切ない感情を伴って。
きっと、囁かれた言葉に相応しい、最高の甘い笑顔。
攫われてしまいそうなくらい、想われているにも拘らず、本能的にネクは悟る。


――――…なんて綺麗な嘘なんだろう…


確証のない確信が、有無を言わさぬ甘い微笑みの真実を感じ取っていて。

 

先ほどのキスは本当

想いも本当

 

だけど…

 

どうしてコイツは決定的な部分で嘘をつくんだろう…

 

 

 

何より真実であってほしいことが、一番の偽り。
想いが込められてる分、性質の悪い綺麗な嘘。
絶望的で、同時に幸福感で満たしてくれる優しい戯言。

手を離した分だけ空いた隙間の風が、全部吹き飛ばしてくれればいいのに。
息苦しくて、涙しそうになる自分を見られたくなくて背を向ければ、そっと背後から抱きしめられた。

「信じてる…だから、ネク君も信じてて」
「……わかった…」

耳朶をくすぐる声色の裏に垣間見える、義弥の本音。
絞り出した声が、届いたのかは知らない。
だけど、承諾するのが今のネクに出来る精一杯だった。
雑音が行き交う中で、しばらくそうして抱きしめられているだけでも、張り裂けそうなほど苦しい。
崩れぬように身体を預けられる存在がいるのに。

 

 

 

俺は小さく『是』と返す
互いが互いに、脆くて絶対的な嘘を吐く

それはきっとお前のためで
それはきっと俺の願い

仕方がないから
最後の駆け引きまで


気付かないフリをしててやる…

 

だから

 

 

 

その時まで

その手を離さないで…

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/07/17(Thu)  from memo

桜庭と桐生で十五題より


*新月鏡*