「12・ルール違反」
この世には、『暗黙の了解』というルールが存在する。 何故そんなものができるのか。 それは、人が人と関わり生きる度に、『ルール』が増えてゆくからかもしれない。 人間関係は円滑に 誰からも嫌われず 常に相手の気配を感じ取って 差し障りない距離を保つ それが大人の常識 息苦しくて、なんて面倒な生き方だろう。 しかし、そんな窒息しそうな生き方が、理想の対人関係を描くのだから皮肉なものだ。 そして、さらに皮肉なことに、たいして子供と関わってもいないくせに、くだらない『ルール』はしっかり子供の世界にも根づくばかりで。 そんなルールに縛られた価値観の氾濫するこの世界で、方向を見失って虚ろになってしまうのは仕方ないのかもしれない。 たとえば、全てを投げやりに見守る僕だったり。 たとえば、ゲーム感覚で滅ぼそうとする何処かの誰かさんだったり。 まぁ、それも僕なんだけど。
「なぁ」 珍しく、躊躇いがちに声が振り返る。 最初の頃は不機嫌でモノトーンな声だったが、今は結構多彩な色で色付けされているネク君の声。 少しは僕に心を開いてくれている、と取って良いのだろうか。 いつも僕との距離を測りかねる、といった顔をして、一生懸命探ろうとしている姿が健気そのものだ。 何処まで踏み込んでいい?と何度も何度も測りなおして。 きっと、前のパートナーから学んだ、『関わる勇気』をフル稼働しているに違いない。 そんなネク君に対して、僕は酷い奴だと再確認するしかなくて。 ごめんね、僕は全部知ってるし、全部仕組んでるんだ。 いくら一生懸命に距離を縮めようとしても、その縮まった距離すら嘘にできてしまう。 そんなことも知らず、ただまっすぐに僕を見つめて小首を傾げるネク君。 「俺とお前って、ちゃんとパートナーだよな?」 「パートナーだよ?契約したじゃない」 にっこり微笑んで 「でも、パートナーって言う割に、お前って隠し事多くないか?」 「その方が、色々楽しめて面白いでしょ?」 欲しがる答えははぐらかして 「そんな奴…信用できない…」 「フフフ、本音で話すばかりがパートナーじゃないよ」 さぁ、これ以上は種明かしするつもりはないよ、と視線を逸らしてシャットダウン。 でも、とまだ食い下がろうとするネク君を綺麗に無視して、ケータイのディスプレイを開く。 完璧なまでの拒絶の姿勢。 これ以上話す気はない、と無言の意思表示。 そうすると決まって、ネク君は物言いたげな顔をして視線を落とす。 これ以上は踏み込むなという僕と、言いたくても言えないというネク君。 このやり取りが僕らの『暗黙の了解』。 だから、 「ヨシュア!」 その日に限って違った態度を選択したネク君に驚いた。 ケータイを持った方の手首を掴んで、噛み付くように僕を呼ぶ声は、仄かに寂しい音を伴って。 泣くのを堪えるような瞳に、僕の意識がいとも容易く奪われる。 驚くままに見つめていれば、何かに追い詰められているネク君が、縋るように項垂れて。 「嘘でもいい、俺にお前を信じさせてくれ!」 ――――なんて卑怯なセリフだろう この僕に、君を信じさせろって? 確かに、嘘で誤魔化せばいくらでも方法はあるし、できなくはない。 だけど、一度信じてしまったら、君は何処までも僕を際限なく許して、信じてしまうのだろう。 一言嘘だといえば、裏切られたと傷ついてしまう。 少なからず好意を抱いている相手に、そんな手酷い仕打ちをしろと君は言うのか。 今のつかず離れずの距離が、どれほど君にとって安全なのか、まだわからないなんて! 何処まで僕を追い詰めれば気が済むのだろう。 君のために、と距離を取ってきたのに ずっと無理やり割り切って、自分を押し殺してきたのに 「俺はちゃんと、お前を信じていたいんだ」 「…ネク君、それ……反則だよ…」 手首を掴む指が冷たく震えるから、余計にそれ以上の拒絶は示せなくて。 たっぷり数分かけた沈黙の後、項垂れるように折れた僕に、ネク君がほっと安心したような笑顔で微笑みかけるからたまらない。 「…じゃぁ、手始めに…嘘はつかないことにするよ」 「あぁ、そうしてくれ」 幾分軽やかな声で笑うネク君を見て、自然と笑みが零れる。 盛大なルール違反を犯したパートナーを許してしまえるのは、きっとそれ以上に僕がその関係を望んでいたからかもしれない。 踏み込んだ代償に傷つく可能性が出来てしまったが、それを差し引いても、『信じてよかった』と思ってくれればいい。 いや、そう思わせてあげたい、とその日初めて鮮明な決意を下した。
* * * * 2007/08/15(Fri) from memo 桜庭と桐生で十五題より *新月鏡* |