「大人と子供の境界線」
ひっそりと佇む一軒のカフェは、モダンで落ち着いた雰囲気を醸し出し、訪れる客に穏やかなひと時を提供する。 流れてくるのは、日頃の目まぐるしさを忘れさせてくれるBGM。 ただ、問題があるとすれば、この昼下がりに、客一人いないということだろうか。
「さすがだね〜、羽狛さん」 「あぁ?」 「お客さん、ひとりもいないなんて…経営成り立ってないでしょう?」 「余計なお世話だ」 そんな店内の中、ゆるりと時間を過ごしている少年・桐生義弥が、カウンター越しに当店のマスターへ皮肉たっぷりの賛辞を贈る。 そんな皮肉をしっかり受け止め、律儀にも苦いものでも噛み砕くような表情で応えて返すのは、マスターこと羽狛早苗。 羽狛の手元では賑やかにティーカップが音を立て、傍では珈琲がソーサーの中で波紋を描く。 「もう、欠員の補充はいいんですか?」 「何?改まっちゃって…ん〜、まだコレといった人物は現れてくれないからね〜、補充しようにも選ぶことすら出来ない感じかな」 届いた珈琲にフレッシュと砂糖を放り込んで、考えるように明後日の方向を向きながらスプーンでかき混ぜる。 2人が日常会話のように軽く話しているのは、UGでの重要な決め事なのだが、この店内の雰囲気のせいか、微塵にも重要そうには感じない。 そんな中、沈黙が続くこと数分。 独り言のように義弥は言葉を零した。
「ねぇ羽狛さん、ネク君…どうしてる?」 ひっそりと、感情を押し込めるように静かに唇から紡がれるのは、懸念すべきたった一人のこと。 あれから幾日過ぎただろう。 ゲームの終わってしまった世界は、何食わぬ顔で今日も似た日常を繰り返す。 その中に帰った彼もまた、日常のなかで日々を紡ぎ繰り返す。 ――――…僕を忘れて
「ヨシュア」 呼ばれて我に返れば、物言いたげな羽狛の目線とぶつかった。 言われるであろう小言なんて、容易く想像つくはずなのに、無意識に彼を気にして過去に縋っている自分がいる。 「ははっ、ごめんね羽狛さん…でもね、無理だよ」 「…」 笑ってみても、何の感情も伴わない。 傍にいない、ただそれだけで、全部色褪せてしまったみたい。 ゆったり流れるBGMが拍車をかけて、しんみりとした感慨を運んでくる。 「慣れるわけ…ないじゃない」 「いい大人がそんなんじゃ」 「それが?くだらない枠組みで測らないでほしいね」 子供じみたやり場のない怒りを拳に乗せて、勢い任せにカウンターに叩きつける。 殴った振動で揺れたカップから、珈琲が波を立てて零れ落ちる。 黒ずんだその色が、まるで自分の心に渦巻くものと同色に見えて、テーブルの上に滲んで広がる様子が苦々しい。
君への想いと逢えない苦痛が、どれほど自分を蝕んでいるだろう 忘れるわけがない 忘れられるわけがない いつだって君を想ってる 失った悲しさに慣れるなんて、誰が言ったの? 戻ることのない過去に縋って生きる僕を、笑いたければ笑えばいい 「逢いたいよ…」
崩れ落ちるようにカウンターにうつ伏せる。 彼を想えばそれだけで勝手に視界が歪み、止めようのない感情が雫に灯って落ちていく。 声なく泣き続ける義弥に、対処する術のない羽狛はただ見守るしかなく、重く痛い空気が穏やかなメロディーに乗って駆け巡るだけだった。 「…ヨシュア」 「わかってる…願って戻るものじゃないことぐらい」 本当は、自分が願えば、実行すれば、このテリトリーは従ってくれる。 それでもそれをしないのは、唯一想う彼への恋慕が押し留めてるから。 求める心と幸せを願う心が拮抗して、自分をこうして苦しめているとわかっていながら、それでも彼を引き戻せない。 たとえそんな手を使って手に入れたとしても、決して良い結果は生まないだろうと、漠然とした確信が広がるからかもしれない。
「・・・帰る」 しばらくじっとうつ伏せていた義弥は、たっぷり数分かけた後にぐいっと目元を手の甲でひと拭いして、どこかの幽霊みたいにゆらりと立ち上がる。 その動作に心配げな視線を背中に送る羽狛だったが、そうしたところで気休めにもならず、現状が変わるはずもない。 そんな視線に見守られながら、ふらふらと歩いてドアを引き開けると、からん、と涼しげな店のベルが鳴る。 羽狛が、突如店内に降り注ぐ光の眩しさに思わず眼を細めていると、その光の中で義弥が儚げに微笑みながら口にした。 「ひとつ、言っておきたいことがあるんだけど…」 「あ?」 ひらり、ひらり、落とされる言葉。 その言葉に呆気に取られていた羽狛は、開け放たれたままのドアを眺め、そして呆れたように頭を掻いた。 「まったく、子供みたいなことを言う方だ」 誰もいなくなった店内。 珈琲の滲みこんだカウンターを指でなぞって、置き去りにされた言葉を反芻すれば、思わず笑ってしまって。
――――『恋に、大人も子供も関係ないよ』
傍若無人の義弥が紡ぐ純愛に、酷く愛しさが込み上げる。 そして、そんな義弥に感化され、いつか引き合わせてやりたい、などと思ってしまう自分に苦笑した。
* * * * 2007/09/25(Tue) from memo ヨシュアと羽狛さんで、EDから数日後のワイルドキャット。 何気に『セツナ』の続き *新月鏡* |