「ad libitum」

 

 

 

なんで、泣いてくれるのかな?って、最初は不思議に思った。
非は、どう見たって僕にあるのに。
思い出すのも恥ずかしいくらい、とても些細なことで食い違って、勘違いして、勝手に怒って……君を切り捨てたのは僕なのに。

それでも…

 

 

 

最初は、ただいつものように、楽しく日々を過ごしてた。
くだらない会話をしながら、街を歩いて、買い物して、飲み食いして、また話したり。
そんな中で、些細なことが僕の思考を塗りつぶし、びっくりするくらいの被害妄想を発揮してしまっていた。
きっかけは本当にくだらない勘違いで、それでも僕にしてみれば恐ろしいほどの悲しさが押し寄せてきて、押しつぶされる前にそれを憤りへとシフトさせた。
冷静な自分が見れば、ただの子供じみた感情が思考を鈍らせたのだとわかるのに、そのときの僕はそんな考えも及ばなくて、酷く君を傷つけた。

「……なぁ、何怒ってるんだよ…」
「さぁ、何だろうね?」
「はぐらかすなよ!」
「自分の胸に手を当てて訊いてみたら、思い当たるんじゃない?」

僕の異常さに気づいて、慌てたようにそれでも少し伺うように訊ねてきた君を、僕は軽くあしらいながら足を進める。
怒りで頭がおかしくなりそうだった。
ただの嫉妬だったり、拗ねた態度だったりしてるわけだけど、そんなの思い至るはずもなく、僕はただ感情に任せて君を突き放すばかりで。
僕の投げた言葉に、君は必死になって原因を探ろうとしてくれてたけど、僕の勘違いから生まれた誤解の原因を突き止めるなんて無理な話だ。
今ならこんなに冷静に観察できるのに、僕は君の事になると本当に冷静さが欠落するらしい。

「…考えたけど、やっぱりわかんないから訊いてるんだろ!」
「………」
「ヨシュア!」

君に腕をとられて、引き止められれば、僕の足は何処へも行けない。
だからこそ、冷静さの欠落した僕は、君の言葉に少なからずショックを受けたし、憤りは鎮火して寂しさを呼んだ。
僕を見ていなかった君が、楽しげに笑っていた姿を思い起こして、酷く悲しくなった。
これを、『寂しさ』だというのなら、間違いなく僕は君に焦がれてたんだろう。
嫉妬には程遠い、拙い感情に振り回されて、詰まったのどから出た言葉は、錆びついていて。

「…本当に、思い当たらないと言うのかい?」
「え?」
「そぅ、じゃぁおやすみ、ネク君」

掴まれていた腕を振り解いて、呆然と佇む君を残して、僕は一人、夜の闇へと姿を消した。

 

 

そんなことがあってから、僕の態度は1日と保たなかった。
本当に、突き放せるはずがなかった。
思い返せば、傷ついたあの表情ばかり脳裏にちらついて、酷く自分が愚かなことをしたと悔やんだ。
冷静さを取り戻した自分が導き出した答えは、『ただの勘違い』という可能性。
その回答にたどり着いたとき、少しばかり身体が震えた。
それが恐怖からなのか、後悔からなのか、よくわからなかった。
ただ、謝らなければ、とだけ思い至って、どう文章を打って良いかもわからないままケータイを取り出し、『待ってる』とだけメールを残す。
何処で、とも、何時、とも記さぬまま、僕はそのメールどおりに『待つ』しかなかった。
あの、投げやりな言葉に、君が応えて返すのを、僕は甘んじて受け入れるしか思いつかなかったのだ。

 

 

それから数時間後、そのときは来た。
からん、と響く来訪の音と、見知った姿。
驚くことに、僕の姿を見て安堵したかのように頬を緩め、言葉すら失われたかのように小さなうめき声ばかり口から零す。
何かを耐えるように口を一文字に結んで、僕の座っている席まで来ると、ぎゅぅっと手をとってきたから驚いた。
そう、あれだけ一方的に傷つけた僕を、君は俯いたまま小さく首を振って、目の前に変わらず在ることを甘受してる。
まつげで翳った瞳は、雨雫に打たれたように濡れそぼっていて、小さな動作のひとつひとつに連動して、ぽつりぽつりと涙を落とす。
ズボンにしわを作っていたはずの僕の指先は、いつの間にか両手で包み込むように握りしめられていて、逃げるはずのない指先を、必死で留めるような錯覚さえ感じる。
投げやりなこの手を、大事に包み込む君の手。
何とも奇妙な感覚だった。


君との関係が終わることを、怯えるべきは僕なのに。


だが、そんな状況とは裏腹に、君の意に添い、君の望むようにするしか贖えない、と淡々と思っていた。

だから…

「ごめんね、ネク君。君の好きにすればいいよ。僕はそれに従うから」

その言葉は自然と選ばれて、全ての選択権を放棄していた。
自ら選ぶこともせず、結末のシナリオを全て相手に任せるという、見ようによっては立派な逃避を作り上げた言葉だった。
その言葉で傷つけるかもしれないなんて、もはや今更な心配事など気にかける必要性が見えなかった。
本当に、『好きにすればいい』と思ったがために出た、静かな答え。
怯えることもなく、悲しむでもなく、「さぁ、どうしたい?」とただ訊ねる。
簡単な質問。
おそらく、そのとき、僕は穏やかに淡く微笑んでいたに違いない。
異様な空気の中で見せた僕の表情に、見開いた驚愕の瞳は印象深い。
だからこそ、君は慌てたのかもしれない。

「いい…そんなこと言わなくていい!」

なんて、贖罪の色を纏った僕の一言に、必死な言葉が飛んできた。

「ここに……いるだけで…いぃ…」

想いを注ぎ込むようにぎゅっと指先に力を込めて、何かを訴えるような視線が僕を捉えてそう言った。
正直、呆気にとられた。


―――― ……『人は、許す生き物なのかもしれない』


過去に想った言葉がふと甦ってきて、心のうちで反芻される。
そしてその言葉を噛み締めると同時に、『ここにいるだけでいい』と答えて返した姿を認め、自分の予測していた未来の冷酷さを想った。
人ひとり、いくらでも切り捨てられる。
たとえ今までの関係を望んだとしても引き起こした現実は覆らず、歪なものになるだろう。
痛ましい関係を続けて、表面だけの楽しい時間を過ごして、疲れていくんだろうな、と思っていた。
人の関係なんてそんなものだ、とどこかで冷めた思考が囁いていた。
それがどうだ、予想だにしない態度と状況。
どうやら、僕は僕自身が思う以上に必要とされていたらしい。
あぁ、ホント予想外。

「泣かないでよ」

泣かせたのは僕なのに、そう声をかけずにはいられなくて。
嬉しそうに、はにかむように小さく泣いて微笑む君。

「ごめん…」
「まったく……謝るのは僕のはずなんだけど…」

喪わなくてよかったと、そんなこと、欠片も思いはしない。


ただ、この瞬間をどうしようもなく…

 

 

どうしようもなく愛しいのだと、想った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/05/09 (Wed)

日記ログ。
我が身に起こった実話。
酷い人間ですまないね!


*新月鏡*