「最適糖度」
それはある日のことだった。 「なぁ、それなんだ?」 不意に眼についたのは、ヨシュアが隠すように持っていた小さな箱。 目敏く見つけた俺に、仕方ない、と言わんばかりに肩をすくめると、小さな箱はようやく光の下にさらされる。 上品な外箱に、繊細さと優美さを兼ね備えたリボンが、控えめながらの華やかさを描いている。 「何だと思う?」 食い入るように見つめていると、楽しげに質問を質問で返してくる。 コイツの常套手段とわかっているものの、その重ねられた質問への答えにくさには、毎度手を焼いていた。 「プレゼントか?」 と、とりあえずの回答をしてみれば、「残念、惜しかったね」と興味を失ったように箱に視線を戻すヨシュア。 小さな箱如きに、ヨシュアの視線を奪われたことがちょっと悔しい。 それ以上に、そんなに俺に興味がわかないのか、と思うことすらあって、慌てて頭を振る。 何考えてるんだ俺。 気にしてもらいたい、っておかしいだろ。 自分の気持ちと思考回路が上手く接続できなくて、自分の中のちぐはぐな感情を持て余すばかり。 俺ばっかりこんなのって、ズルい。
「ネク君」 「え?」 フフっと笑う声が不意に耳元で聞こえて、つられるように振り返った瞬間、つっと伸ばされた指先が唇の上を滑る。 ころん、とした何かを口に放り込まれたようだ。 少し硬くて、でも溶ける。 そして、溶けた先から、突如襲う予想外の味覚に、俺は目を見開いた。 悲鳴をも押し殺す、とてつもない苦味。 吐き出したくても、そんなことできないししたくない。 でも、このまま味わうには地獄だ。 なす術のない俺は、ただ口元に手を宛がい、そわそわ身体を揺らして、その苦味が過ぎ去ることを懸命に祈るしかなくて。 何だよこれっ!と文句すら言えない。 うっすらと涙目になる視界に、労わるように伸ばされた指先が、必死に押しとどめる俺の手を引き剥がす。 何で、と僅かに口を開けば、柔らかな感触と優しい甘さがふわりとやってくる。 苦味に支配された口内を塗り替えるように、ゆっくりとした動作で舐め上げられて。 味覚の絶対者である舌を重ねて、何度も何度も、それこそ溶け合ってしまえと言わんばかりに絡められる。 『甘いキス』なんて本の中の言葉だと思ってたけど、このキスを言い表すならそれしかないというほど、甘く支配されていて。 「ふっ…ぁ…」 「はい、口直し完了」 ちゅっと音を立てて離れてゆく唇に、少しの名残惜しさを覚えて、思わずヨシュアの裾を掴んでしまう。 柔らかく微笑む綺麗な顔が、嬉しそうに華やぐから、こっちまで頬が緩みそうになる。 こいつのせいで、とんでもない苦味を味わい、泣きそうになっていたはずなのに。 「ネク君は当たりを引いちゃったみたいだね」 「あ、当たり?」 ふわふわする感覚にまだ夢心地気分だが、聞き捨てならない言葉に反射的に訊き返す。 すると、ぱかっと開けられた小さな箱。 いつの間にリボンを解かれたのか、と思うくらい、ぱっくり封が開いている。 中には、様々な数字の書かれたブロックチョコレートが詰め込まれていて、それぞれ何らかの意味を示す英語が記されていた。 「…チョコレート?」 「そう、ここに書いてある数字は、カカオの割合でね。ネク君が食べたのは、なんとこの箱に一つしか入っていないカカオ99%のチョコレート!」 すごいくじ運だね!なんて楽しそうな笑顔が、とてつもなく胡散臭い。 あたかも俺が引いたみたいなことを言ってるが、コイツ、絶対最初っからそのカカオ99%チョコレートを食わせる気だったに違いない。 そもそも、俺の口にチョコレートを放り込んだのは眼の前のコイツだ。 つまり俺は、またもやいいオモチャにされていたわけだ。 「……最悪…」 「美味しくなかった?」 「あんなの美味しいわけ…」 ない、と言いかけた唇は、再びヨシュアの唇で遮られてしまった。 戯れるような、軽やかなキスを数回繰り返して、そっと離れてゆく甘い熱。 吐息混じりに囁かれる声に、俺の心臓は警告音が鳴りっぱなしだ。 「ちなみに、僕が食べたのは45%」 「っ…甘すぎ」 「ネク君は苦すぎだね」 間近で笑う綺麗な深海色の瞳を見つめると、あぁ、どうして…今まで苛まれていた苦味など、何処かへ飛んでいってしまったよう。 口の中に残るのは、溶け合ったチョコレートの程よい甘さと苦味だけ。
「美味しい?」 「不味くはない」
味わうより先に、ちょうどいい甘さに酔いそうで。 「ヨシュア」
もう一度戯れを、と小さくねだった。
(苦み+甘さ)×キス=最適糖度
* * * * 2009/02/14 (Sat) ものっそ短いヨシュネクでバレンタイン小説。 甘ったるいっ!!!! *新月鏡* |