悲鳴、絶望、この身に迫る危機感 身体を駆け巡る戦慄 退屈しのぎの世界<ゲーム> 気づいたとき、世界はすでにこうだった
「non zerosum game」
その頃の僕は、その他大勢と変わらぬ存在だった。 少し違うとすれば、別のものが見えるか見えないかだけの違い。 可笑しな話で、僕には見えるものが、他者からは見えないらしい。 自分の見ているものと他の誰かが見ているものが違うのだと、そのとき初めて知った。 その決定的な視野の違いを口にすれば、気味悪がられ、蔑まれ、罵られ、他人のくだらない自己防衛の犠牲になったものだ。 どうも、人は同一であることを求めてしまうらしい。 違いなど、列挙していけばキリがないほど溢れているのに。 この世は見るものですら、同一ではありえない。 『みんな』なんて気軽に言葉にできる人間の神経を疑うね。 個々というものが存在していながら、同一であることを求めるなんて、馬鹿げた話だ。
そうして世界に面白みを見失い始めていた頃。 いつからだろうか、不思議な光景を目の当たりにするようになった。 混雑する人ごみの中、周囲の人間に注意を向けることなく、手を繋いで必死に走る2人組み。 急かされるように何度も背後を気にしながら、まるで、追いつかれたら殺されてしまう、と言わんばかりの剣幕で駆けてゆく。 くだらない会話をひとつふたつ話しながら、だらだらと日常を貪る群衆の中を、無心に掻き分けてゆくその2人だけが異質に見えた。 何が彼らをそんなに急かすのだろうか。 何の変哲もないこの地で、とり急ぐことといえば広い意味でビジネスの話ぐらいだろう。 損得勘定、世間体、常識、ありとあらゆる束縛<ルール>に雁字搦めになりながら、自分の世界を創り上げることだけに必死。 でも、こうして逃げるように眼の前を横切る2人には、そのどれもが当てはまらないから、余計に奇妙に見えて。 「…あれ?」 走り去る2人を呆然と見守っていると、不意に視界の端に不穏な空気を感じ取った。 足場が不安定になるような感覚。 空間が歪んで、重心がぐらりと揺らぐ錯覚。 バランスを取り直すのに苦労するほどの歪んだ重圧なんて、初めて感じる。 崩れそうになる身体を支えて、視線を上げると、さらに驚くべき現象を目の当たりにした。 捻れた空間から分離するように生み出されるのは、赤く輝く奇妙なシンボル。 禍々しさを孕んだ黒いラインが描く独特な模様は、その無機質さゆえに、さらに冷たい嫌悪感を与え続ける。 次から次へと空間の捻れから転がり出て来て、ぽつりぽつりと毒々しい明かりが灯って。 辺りを埋め尽くさんばかりに出現したそれは、収縮したり拡散したり、纏う輝きを弄びながら、ふわりふわりと移動し始めた。 ぼんやりと眺めるようにその移動先を見れば、先ほど2人組みが走り去った方向で。 ――――彼らが逃げてた理由はこれかな? なんて完全な他人事を思いながら、傍観を決め込んだ僕は視線を元に戻した。 ふわり、ふわり、漂いながら、それでも確実に彼らを追う赤いシンボル。 しかし、その一つが急に方向を切り返し、吟味するようにしばらく漂った後、ある人物に吸い寄せられた。 笑い合う人の身体に同化するように溶けて、数拍。 さらに現実を疑いたくなるシーンが訪れる。 赤いシンボルに触れたその人物が、あっという間に消え失せてしまったのだ。 その言葉どおり、存在が消えた。 現実の世界では煙のように、赤いシンボルのいる不可視の世界では連れ去られるように、捻れた空間の向こう側へ引きずり込まれていったのだ。 しかも悲鳴一つ上げずに、変わらぬ雑踏を残したまま、綺麗にその人だけが消失した。 傍にいたのは友人たちだろうか、何事もなかったかのように話を続行している。
まるで最初から、その人がいなかったかのように。
「…何、これ…」 こんなもの初めて見た。 変なものがいる、といった気配を感じることが多々あったが、これほど生々しい不可視の現実を見たのは初めてだった。 とても奇妙な絵画を見ているようにさえ感じる。 視界を覆いつくさんばかりの赤いシンボルに、全く気づく様子もない群集。 そうして少しずつ消えてゆく人々。 それすら誰も気づかない。 赤と人とが同じくらいの割合で視界を占め、消失するこの奇妙さ。 思わず笑ってしまう。 面白くない、つまらないと思っていた世界に、まだこんな顔があったなんて! 「ふふっ…少しは楽しめそうだね」 同じ世界の異質さに気づいたその日から、僕の全ては始まった。
* * * * 2008/12/23(Tue) ヨシュアが霊視できたというか…見えてたという話は、本当なんじゃないかと思って。 ちょっとお試しで書いてみた。 *新月鏡* |