「〜メール 受信…」

 

 

 

何気ない日常は廻り廻って、変わらない。
いや、変わっていないような顔をして徐々に変わってはいるのだろう。
気付こうと思わなければ気付けない変化。
他の人から見れば、きっとささやかすぎて目にも留まらない。
それはいっそ、人の感情によく似ている。
絶えず溢れる感情が表に出るのは極微量。
感じ取って、気付いて、それに応えて返せるかどうかは自分次第。
人との関係は、こういう根底があるから難しいのかもしれない。


特に、彼は。


先ほど、ちょっと買い物をしてくると言って離れたきり、姿も見えない。
ざわめく喧騒の中に僕を独り置き去りにして、君は何処へ行ってしまったんだろうね?
何処か脆く儚い印象を持つ彼が、今どうしているのかと気にかかって。
全てを遮断するようにヘッドフォンは肌身離さず、他人と関わりたくないと目をそらす。
弱くて、強い、君の眼差しはいつだって暗い闇を抱えてた。

疑心暗鬼。

そうさせているのは僕だけど。

 

 

 

「遅いな…ネク君」

オレンジ色のケータイを取り出し、押し開けたディスプレイを眺めやって呟いた。
かれこれ1時間は待っている。
置き去りにして連絡一つ寄越さない彼に、少々苛立ちを覚えながらも、ずっと同じ場所で待っている自分に苦笑する。
彼が向かった先の店は把握してるし、絶対に此処から離れるな、とも言われていない。
律儀に何もせず待っている義理はないはずなのに、どうしても此処から動いてはいけない気がして。

そんな思いから一歩も動けず、流れる人ごみをぼんやりと眺めて、いまだ変わらない現状にため息を一つ。
そんなとき、不意に手の中にあったケータイが小さく震えて鳴り響いた。
はっとしたように面を上げて画面を切り替えれば、『メール1件』の文字が映し出された。
慣れた手つきで指を操れば、受信ボックスには見慣れた名前。
うっかり表示された名前だけで口元が緩んでしまい、慌てて表情を引き締めてメールを開く。
だが、思わぬメール内容に目を見開いた。

 

 

From ネク君
Sub

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思わず呆然としてしまう。
うっかり小首を傾げてしまいそうになって、頭を振る。
吹っ飛びそうになる現実を引き戻して、改めてケータイのディスプレイを見つめるが、どう見ても文字の一つも書かれていない。
本文のみならず、件名すら空白のまま…いわゆる空メールというやつだ。

「…さすがにここまで表に出さないと、気付きようがないよネク君…」

ただでさえ、電子化、情報化する社会のなかでは感情が酷く読み取りづらくなっている現状。
そんな世界に拍車をかけてこのメール、とくれば、彼の気持ちを読み取れる人間はほぼいないに等しいのかもしれない。
『ごめん、ミスで空メール送って!』とでも送られてくれば、それはそれで大変可愛らしいのだが。
人との関係を極端に避ける彼に限って、その可能性はあまりないだろう。

 

小さな期待すら自分の冷静な判断で却下した後、今度は迷わず『返信』ボタンを指で押す。
簡単な動作を数回。
そして、ここぞとばかりに彼の向かった方向へケータイを軽く向けて、仕上げたメールを指先で送り出す。
ぱくん、とケータイを閉じて仕舞いこむと、人の流れに沿うようにゆっくりと足を進める。
ここまでわかってあげられるのも、僕だけなんじゃないかな?なんて淡い自惚れが微笑みを引き出して。
向かう先は決まってる。

「おい、何だよこのメール」

雑踏の中、不機嫌そうな声が前方から投げかけられれば、嬉しさの余りより一層笑ってしまって。
そんな態度が、余計憮然とした顔をさせてしまうのだろうけれど、知っていればさほど気にならない。
不機嫌です、みたいな表情の奥に見え隠れする微かな朱色。
ささやかすぎて、注意深く見ていないとわからないくらい、不器用すぎるまっすぐな感情。
わかりにくいようでわかりやすい、そんな君の感情はいつだって僕を試す。
さっきのメールがその一例。

「それが僕からの答えだよ、ネク君」

そうしてほしかったんでしょう?と囁くように問いかければ、ぐっと息の詰まったような顔をされた。
もちろん図星なんだろうから、おかしくて笑えてしまう。

 

君が何をほしがって、君が何を想っているのか、僕はちゃんとわかっている。
これ見よがしの空メールに乗せて送られてきた本音。
返って来る相手の反応を見て、自分がどう想われていて、何処まで踏み込まれているのか計ってる。
もし、返信が「どうしたの?」や「何かあった?」のような心配事なら、きっと彼は小さな喜びと、少しの寂しさを感じるのだろう。
他の返事をしたところで、まだこれだけじゃわかってもらえない関係なんだと思うだろう。
そして、もし返信がなかったら、それはとても悲しい距離を描くだろう。
でも僕が取った行動はそれのどれにも当てはまらない。
試す彼を逆手にとって、ささやかな仕返しと愛しい本音を込めて。

 

 

From ヨシュア
Sub Re:

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――――だって、君に寂しい想いなんてさせたくないからね


そんな気遣いに、彼が気付くことはないのだろうけど。
ぶつぶつと文句を投げていても、予想外の返信に隠しきれない暖かな感情が彼を彩るから、今はそれで満足しておく。
どうせなら、笑ってほしかったが、それは欲張りというものだろうか。

「もう少し、素直になってくれてもいいと思うけど?」
「う、うるさいな!いいだろ別に…」

かっと頬に朱を走らせて、可愛い反論。
尻すぼみになる声とともに視線を逸らす仕草がたまらなく可愛らしくて、思わず覗き込めば、脱兎の如く逃げられた。
待って、と追いかける先には、ちらりと見えた首まで赤く染まった後姿。
言葉にできなくても、こうしてにじみ出る本音を見れるなら、口にしてくれなくてもいいかもしれない。
覗き込んだときの彼の泣きそうな表情を思い出しながら、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/08/01(Fri)

返信にあるヨシュアの愛しい本音は、『Re:』に込められていたりする。
ちゃんと応えてるよ、って意味だから。


*新月鏡*