「colla voce」

 

 

 

些細な変化を伴いながら、それでも時間は留まることを許してくれない。
ぐらぐらと定まらない気持ちを胸に、ネクは無理やり切り替えて授業に集中する。
体育の授業は、やる気満々の教師のおかげで意外にハードな授業なのだ。
集団行動を乱せば、容赦ない教師のお小言が飛んでくるのは眼に見えているので、そっと目立たないように気をつけなければならない。
どうやら今日はバスケットボールらしい。
サッカーもそうだが、この教師はどうしてこうも激しいスポーツをやりたがるのだろう。
そう思っているのはネクだけではないらしく、朗らかに伝えられた内容にクラスメイトがげんなりとしている。

 

最初は肩慣らしに2対2の軽いゲームから。
1チームが攻め、1チームがそれを妨害する。
ボールを奪われるか、ゴールを決めるかで1ゲームが終了する、というものだ。
順々に列が進めば、微妙な緊張感が押し寄せてきて、程よい昂揚感に包まれる。
先にゲームをしているクラスメイトを見れば、先ほどげんなりしていたわりに楽しそうな表情だ。
やるからには勝つ、とその眼が物語っていた。

 

 

「次!」

順番が回ってきて、寄越されたボールを手に持てば、ずっしりと重い。
そんなに得意ではないことが気に病まれて、視線が下がってしまう。
義弥を前にして、酷い醜態は晒したくない。

「ネク君、そんなに力んじゃ逆効果だよ?」
「う、うるさいな!」

不意に義弥が声を発したかと思うと、おもむろにネクの手に触れてきた。
落ち着かせるようにゆっくりと撫でられて、うっかりボールを取り落としそうになる。
慌てて抱え込んで、触れたままの手を跳ね除ければ、義弥は小さな笑い声を零した。
触れられてた手の甲に、まだ義弥の熱が残っている気がして、何だか恥ずかしい。

「僕のことは気にしなくていいよ」
「え?」
「やりたいようにゲームを楽しんでくれれば、僕が合わせてあげる」


『ネク君のお気に召すままに』

 

囁かれた声を理解せぬままに、開始を告げるホイッスルが高らかに鳴り響く。
弾かれたように走り出す足は軽やかに、全身を駆け巡る昂揚感で満たされれば、先ほどの弱気など最初からなかったかのよう。
走ったからには、始めたからには、負けてやるつもりなどネクには毛頭なかった。
口端に笑みすら乗せて、突っ込んでくる人影を、体勢を低くして縫うようにあしらう。
だが、振り切ったと思ったのも束の間、予想軌道上に思わぬ妨害者の出現を見て足が止まる。
まずい、と思う時間すら、距離を詰められるだけ。
どうするか、と瞬時にめぐらせた思考の端、考えるより先に視線さえ向けず後方へボールを投げる。
誰もいないはずの空間。
全ての視線がボールを追って、ネクの存在を消去する。
すかさず妨害者のわきをすり抜け、一目散にゴール下へ走り出す。

「ヨシュア!」

叫べば応えてくれるという確信が胸に広がる。
求めたものを、さも当たり前かのようにアイツは差し出してくれる。
どうして?そんな疑問すら無意味なほどに、今はただ圧倒的な信頼だけで身体が動いていた。
そして、確信は現実となってネクの元へ帰ってくる。
ジャストタイミングと言わざるを得ないほどに計算尽したパスが飛んでくれば、あとはもう地面を蹴り上げるだけでよかった。
ゴールへ向けてショットを決めれば、綺麗な放物線を描いて吸い込まれるようにネットに収まり地面へと落下する。
再び高らかに鳴り響くホイッスルに、歓声の声が重なった。

 

「よし!」
「ナイスシュート、ネク君」
「さんきゅ…お前も、ナイスアシスト!」
「フフフ、楽しんでもらえたみたいで、よかった」

駆け寄ってきた義弥に、昂揚感と爽快な気分で満面の笑みを向ければ、義弥もつられたように微笑んで返してくれた。
ネクとは違って、さほど息を切らしていない義弥を見ていると、小さな悔しさと同じ男として情けない気持ちもあったが、今はそれより充実した数分間に興奮していた。
すごいだの、何だのと周囲からはやし立てられながら、次の組のためにフィールドから辞退する。
その最中、軽い足取りのままネクは嬉しそうに義弥に言う。

「お前のおかげで、すごくやりやすかった」
「そんなにおだてても、何もあげれないよ?」

そうは言っても、口元の笑みが絶えないのは、満更でもないからだろう。
普段は読めない微笑だが、今は純粋に嬉しそうな笑みが浮かんでいるように見える。
そんな義弥の稀な反応にさらに気をよくしたネクは、言葉を継ぐ。

「さっきので十分だ!あんな気持ちのいいゲーム初めてだった」
「そんなに?」
「おう!思い通りに動けるし、ほしいと思った場所にお前がいるし…お前、すごいな!」
「フフフ…喜んでもらえて嬉しいよ」
「ホントに…お前がパートナーでよかった!」

歓喜の余り素直に感想を述べた瞬間、隣を歩く義弥の表情が強張った。
歩みさえ機械が軋むようにぴたりと止まる。
いい調子で歩いていたネクは、不思議に思いながらも、不意にいなくなった存在を求めて振り返る。
そして、無意識に後悔した。


――――たとえ本心だとしても、言わなければよかった

 

 

振り返った視線の先。
凍りついた義弥の眼は見開かれ、眉根を寄せられた表情は絶望にも似た感覚でネクを突き放す。
どうしてそんな表情をするのかはわからないが、確実にわかることがひとつ。
目の前にいる人物にとって、自分は思う以上に影響力があるらしい、ということ。
近づいたと思っていた距離が、圧倒的な溝を築いて引き離される感覚。
先ほどの昂揚感も今は焦燥にすり替わっていて、そんな感覚に急かされるようにネクは隔てる距離を慌てて引き返した。
まだ時を止めたままの義弥の手をとって、隅の方へ移動する。
このままではいけない気がして、掴んだ手を離せずに義弥を見る。

「ヨシュア…?」
「ははっ…ごめん、ネク君…ちょっと、驚いた」
「お、おい、ヨシュ…!」

全部否定するように顔を背けられて、胸の内で不安が首をもたげてくる。
肩を掴んで視線を合わせようとすれば、逆に義弥の手が伸びてきて、ネクの唇にそっと指先を押し当ててきた。
唇をなぞる指先は困惑するほど優しいのに、やんわりと、それでも確固たる意思を持って全ての言葉を閉ざす。

 

「嬉しい…」
「……」
「でも、……少しだけ、」

消え入りそうな言葉は、きっとコイツの本音。
しかし、義弥はそれ以上の追求を許さず、有無を言わさぬ態度で踵を返して集団の中へ戻っていく。
残されたネクはただ独り、色んな感情に翻弄されて困惑したまま取り残されて。

なんて顔するんだろう。

見てるこっちが苦しくなるような、いつもの義弥からは想像できないほど頼りない表情。
涙の欠片もなかったのに、泣いてるように見えて怖くなった。

 

――――『嬉しい…でも、……少しだけ、つらい…』

 

 

最後の言葉がネクをその場に縛り付けて、試合開始のホイッスルが鳴るまで、ずっと離れられずにいた。
押し隠すように零れた言葉が示す先。
その先を知る覚悟が、今のネクにはまだなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/06/28(Sat)  from memo

colla voce:支えて、伴奏者は独奏者に合わせて奏すること

だいぶ進展しただろうか…。
にしても今回のヨシュアは弱いなwwww
これは…ヨシュアサイドの話を書いたほうが親切だろうか?


*新月鏡*