「scherzando」

 

 

 

問題児が編入してきて早3日が過ぎようとしていた。
当初は、あまりに予想外かつ大胆な行動が多くて人目を引くこと数あまた、だったが、よきことかな、人は慣れる生き物だ。
義弥の突飛な行動や、ネクに対する異様なまでの執着さえ慣れてしまえば、大した問題ではないと周囲は慣れ始めた。
しかし、当のネクはというと、助けを求められる人が激減することに項垂れる。
最初でこそ、『匿ってくれ』と言えば、周囲はそれとなくネクを庇ってくれていたが、どうも最近違ってきている。
義弥から逃走している最中、助けてと懇願するような視線を送れば、何ともいえない表情で『ごめん』と叫んで脱兎の如く去っていかれるのだ。

ネクはその真実を知らない。
実は密かに匿っていた連中は、片っ端から義弥の報復を受けているのだ。
それも、とんでもない誤解つきで。
ある者は『僕のネク君の間を裂こうっていうの?』とチンピラよろしく胸倉つかまれ、ある者は『君がネク君を狙ってるのはよくわかったよ!』と見てくれからは想像もつかない力で床に沈められたのだ。

 

こうして確実に協力者を失いつつ、ネクは今日も変わらず義弥から逃げ続けていたが、さすがに授業中は勝手が違う。

「柔軟体操しっかりやっとけー!怪我しても知らんぞー!」

遠くで気合満々の声を張り上げるのは、3時間目の体育を担当している教師だ。
きょろきょろと辺りを見回し、怠け半分でやってる組を見つけては注意を促している。
その2人1組で行う柔軟体操は、大概名簿順に並んだ隣の人と組まされるのがセオリーだが、ネクは義弥が来て以来ずっとご指名つきだった。
これも義弥がたった2日で築き上げた暗黒帝国の産物だろう。
そんな根底の恐怖政治を知らぬネクは、小首を傾げつつも義弥と柔軟体操をしている。
ネクがそうしているだけで周囲が平和そのものだということは、知らない方が幸せなのかもしれない。

 

「ネク君、ほらもっとイけるでしょ?」
「いっ…!そんなにしたら痛いって!!」
「ちょっと我慢して、すぐ良くなるから」
「な、何を根拠に…う、あっ………いってぇぇぇ――――!!」

体重をかけて背中を押され、伸ばした足が痙攣するように痛みを訴える。
あまりの痛さに跳ね起きるように背後の義弥を押しのける。
攣ったような痛みのする膝裏を折り曲げてさすったネクは、怒りの色を滲ませたまま義弥を見やった。

「痛いって言ってるだろ?!」
「フフフ、ゴメンね」
「ゴメンって顔してない」
「うん、だってネク君があんまり可愛い声出すから…ね?」
「……」

意味がわからない、といった態度で義弥から目をそらすと、膝を抱えて痛みに耐える。
一方ニコニコと微笑んでいた義弥は、ネクから視線を外すと、ネクを見つめる男子共にそれこそ穏やかではない視線で牽制と圧迫をけし掛けた。
傍から見れば、不穏な(義弥に至れば不埒な)雰囲気の柔軟体操だったのだ、視線を集めてもおかしくはない。
だが、そこはさすが義弥。
痛みに耐えるネクに見惚れているのだと勘違い炸裂。
どす黒いオーラを纏って、怖いくらい天使のような微笑を湛えている。

 

 

そんな攻防を他所に、俯いて耐えていたネクは、不穏な空気に気付かずに考え込むばかりだった。


――――…なんでコイツは、いつもふざけてるフリなんてするんだろう…


裏づけはないにせよ、この数日でネクには義弥の行動が全て偽りに見え始めていた。
本当の姿はいまだ見えない義弥。
翳るように時折垣間見る刹那の表情が、ネクの脳裏に焼きついてはなれない。
子供っぽいようで大人びている義弥の顔が、視界いっぱいに映し出されてた昨日の出来事。
抱きとめてくれた腕は、確かな暖かさを以って守ってくれた。
射抜くように見つめる視線が熱くて。
鋭利な輝きを秘めた深い蒼がネクの無意識を飲み込んでいく。
見つめられるといたたまれなくなって眼をそらしてしまうけど、本当はもっとずっとその奥を知りたくて。
逃げているフリしながら、実は気にしてて。


――――…俺、どうかしてる…


自分に呆れるように項垂れていれば、視界にそっと影が落ちた。

「まだ痛むかい?」
「っ!!…へ、平気だ!」

突然の出来事に思わず声が裏返る。
とっさに突き飛ばす形で眼の前の人物を押しのけてしまったが、驚くことに数センチ距離ができただけで、思うほどの効力はなかった。
考え事に集中していた余り、義弥に顔を覗き込まれても全く気付かなかったらしい。
慌てふためくネクを他所に、陽に透けるほど涼やかさで『そう?』と微笑まれれば、はっきりと自覚できるほど心臓が跳ねた。
自分の反応を理解しようと真っ白な頭をフル回転させて躍起になれば、掛けるべき言葉は詰まるばかり。
どうしよう、と半ばパニックを引き起こしていると、腕をとられて引き上げられた。

「ほら、集合だってさ」
「あ、うん…」
「どうしたの?さっきからネク君、変な顔してる」
「…別に」

わけのわからない感情に触発されて、義弥の顔を直視できない、なんて言えるはずがない。
腕をとられたまま、引きずられるように集団の中へ引き戻さても、一向にまともな自分に戻れなくて困惑する。
触れてもいないのに義弥と自分の間の空気が熱くさえ感じて。

「ネク君、何かあるなら言ってね」

なんて秘め事を耳打ちするように囁かれれば、顔から火が出るかと思うくらいに熱が駆けてしょうがない。
教師が眼の前で説明やら何やらを話している最中なのだから、声を潜めるのは当然のことなのに。
無駄にコイツの顔が近いせいだと決め付け、いそいそと膝に額を押し当てて顔を隠せば、忍び笑いが鼓膜をくすぐってきた。
どうせまた理解の範疇を超えた見解で、何でも見透かしたように笑っているのだろう。
今日の体育の授業は最悪だ、と呟いて、赤らんだ頬の熱が早く冷めるのをただひたすらに願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/6/21(Sat)  from memo

scherzando:軽く戯れるように

次up予定の『colla voce』と合わせて1つの話です。
今回は、ギャグテイストも入れつつ、軽やかなものにしてみました。遊びすぎた;;
そして、そろそろネクにも変化が。
急速展開しようと必死です(笑)


*新月鏡*