「小夜啼鳥〜nightingale〜」

 

 

 

暮れる陽を知らない

月を知らない

星を知らない

 

――――夜を知らない――――

 

 

 

反転したような世界に放り込まれて、もう10日は軽く過ぎたというのに、ネクは未だにこの世界の夜を見たことがなかった。
強制的に日暮れとともに眠らされているらしく、まだ明るい内に意識を失い、目覚めれば朝という悪循環は続いていた。
こうも暗がりを見ていないと、酷く時間間隔を狂わされてたまらない。
しかし、抵抗する術もなく、明るくて騒がしくて、寂しい風の吹く街をただ必死に生きている。

命がけのゲーム
消えてゆく人々
支えてくれるパートナー
守るべきは……?

自問自答を繰り返して、明日になるのを恐れてる。
日暮れを見る前に眠りへ誘う、そんな刻を恐れてる。
明日には我が身と思えば、眠るだなんて絶対にできるわけがないのに、意識を飲み込む闇が口を開いて待っていそうで。

 

「ネク君?」

数歩先、硬直してしまったネクに気遣わしげな声がかかる。
高すぎず、低すぎず、心地よいオブラートな声色の持ち主は、いまだ正体の知れない少年。
日に透ける淡い色の髪が、風になびいて軽やかに舞う。
柔和な面持ちで、けれど決して読むことの叶わない瞳がネクを見つめていた。
いっそ綺麗だとさえ思う。
視線を絡めたまま、ぼぅっと前に佇むヨシュアを見ていれば、何かに気付いたようにヨシュアが口を開いた。

「あれ?もうそんな時間だっけ?」

ミッションを終えた今、いつ急激な闇が訪れるか知れない。
脳裏に過ぎった予想を確認するように、ヨシュアは素早い動きでケータイを取り出した。
ぱちん、と開く音と、数回ボタンを押す微かな機械音。
視線を上げて振り返るヨシュアの目には、少し寂しそうな色が混じって見えて、ネクは息を詰めた。

 

どうしてヨシュアがそんな顔をするのかがわからない。
いつだって眠るときは、瞬きするのと同じくらいの一瞬の闇しか訪れない。
なのにどうしたことだろう。
オレンジのケータイを少しばかり力を込めて握り締めるヨシュアは、酷くその時間を嫌っているように感じる。
しかし、その想いは、ネクが思うような『生き残るためにやりたいことがある』という思いではなく、もっと単純なものだとネクは感じていた。

「……ヨシュア、お前…?」
「そろそろ、明日になる、みたいだね」
「……そうじゃ…なく、て……もっと、…」
「何?」

凍えてしまったような優しい声が問いかける。
けれど、すでに眠りへ手招かれ始めているネクには、徐々に霞んだ音だけが届いて。
返す声も、もはや音にはなりえない。
彼の纏う陽の光に溶けてゆくように、静かにフェードアウトしてゆく声。
雑音だらけだった周囲さえ、今はもう細波一つ立たない水面のようで。

「おやすみ、ネク君」
「…………」

吐息に乗せて零れたネクの最後の言葉は、注意深く聴いていても取り落としそうなくらいか細い声だった。
寝息に掻き消えてしまった言葉。

 

 

ヨシュアは、崩れ落ちたネクを抱き支え、噛み締めるようにしばらくネクを抱きしめていた。
久しく感じたぬくもりが、ささやかな音を脳裏に描く。

「…泣くな、か……言ってくれるね」

ただ佇んで微笑んでいた自分から、ネクは感じ取ってしまったのだろうか。
それとも、ポーカーフェイスには自信のある自分が、その名を返上するほどの表情をしていたとでも言うのだろうか。
パートナーとは名ばかりの、たった数日ともに過ごしただけの相手に?
ありえない、そう結論付けて小さく頭を振る。
自嘲気味に漏れた息が首筋を掠めたせいか、ネクが小さく身じろぐ。
まだあどけない寝顔を晒したネクを見やり、ヨシュアは無意識に微笑みながら言葉を継いだ。

「いや……それがネク君の潜在能力、なのかな?」

期待すべき、秘められた力。
制御するには未発達で不安定なそれで、ヨシュア自身にも捉えれない心境を察したとでもいうのか。

 

「僕が泣くだって?…残念だけど、それはないね……」

泣くことなど、ヨシュアはとうに忘れてしまっていた。
涙すら、どうすれば出るのかわからない。
預けられた身体を縋りつくように抱きしめたまま、ただきつく眼を閉じる。
眼を灼くような陽は沈み、深まる夜の気配がネオンを灯し、取り巻く景色が、がらりと色を変えたとしても、置き去りにされたような空間でヨシュアはただひたすらに瞳を閉じていた。
まるで、見たくないとでも言うように、頑なに閉ざす。
そして時折思い出したように、ケータイに連絡を入れはするものの、再びネクを抱えたまま目蓋を下ろす。
たとえ眼を開いて見続けたところで、流れる人並みだけが、変わらずそこにあるだけなのだから、見ても見なくても代わり映えしない。

「…人なんて、見飽きちゃったのにな…」

人気も少なくなった深夜頃、ヨシュアはやりきれないため息を吐いて呟いた。

 

面白くもなく、まして何のためにもならない。
それでも、実際の参加者ではないヨシュアは、ただ独りで夜明けを待つしかない。
反応を示してくれないネクの髪を梳き、手持ち無沙汰になっていた指を絡める。
見下ろすのは、眠り姫同然の穏やかな寝顔。
参加者に与えられた唯一の静寂。

「……もしかしたら、ネク君の言ってたことって当たってるのかもね?…」

寂しいと思う気持ちは、いまだ解かりかねている。

だが。

 

――――…君が目覚めないと、面白くないね…

 

 

 

 

 

しんみりとした心の変化を感じる。
それはまだ微かな変化でしかないが、密やかな実感を持ってヨシュアを揺り動かす。
硬く眼を閉じて耐える少年の代わりだろうか、深い漆黒の闇に、一筋の軌跡が流れ落ちた。


それは静かな夜のひと時。

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/06/10(Tue)  from memo

独りだけ生きてる参加者だから、きっとこんな夜を過ごしたんだろうな、と


*新月鏡*