「Deja vu → 」

 

 

 

気まずい空気のまま突入した午後の授業。
最初は休み時間でのシキと義弥のやり取りを思い出していたけれど、気付けば自分が倒れていたときのことを思い出していた。


傍から見ても明らかな動揺と心配をしているアイツに、一体何を思って否定していたのだろう、と。
いや、どちらかというと悲しかった気さえしてくる。
身体を支えて本気で心配げな様子に、俺は心のどこかで嬉しく思っていた。
それでも、わけのわからない衝動に駆られて、『演技なんて!』と自棄になりそうで。

 

「あぁ〜もぅ…わっかんねぇ…」
「ほぅ、桜庭〜…だったら居残りで特別授業してやろうか?」
「えぇっ?!」

予想外の声が頭上から降ってきて、反射的に顔を上げれば、何だか青筋たった教師がにっこりと微笑んでいる。
とんでもなく嫌な予感がする上に、周囲の視線も同情の色を含んで見える。

あぁ、なんだってこうついてないかな。

がっくりと肩を落とせば、気を良くしたのか、教師は嬉しそうに説教モードに切り替えて言葉を継いでゆく。
しばらくは教室中の視線を浴びたまま、さらし者扱いだろう。
とりあえず、ここは素直に謝り倒してその場しのぎするに限る。

 

「…す、すみません…」
「授業とはかなりズレた考えをしていたようだなぁ〜桜庭ぁ〜、いいご身分だな!」
「先生、それより頭のズレを治した方がいいんじゃない?」
「なっ?!」

思わぬ声に何を思ったか、威張り散らしていた教師は教科書を投げ出して、慌てたように両手で頭部を押さえ込んだ。
そして数秒慌てたように撫で付けたりした後、俺のときとは遥かに違う深い憤怒のオーラを纏って、その声の主を睨みにかかった。
そんな教師の怒りの視線すら軽く流しているのは、言うまでもなく義弥だった。
爽やかともいえる微笑を湛えて、いや、むしろ上から蔑むような色を添えて教師を眺めている。
座っているくせに、この威圧感はどうしたことだろう。
怒りに眼が眩んでいる教師はそんなことにちらっとも気付かず、ただ荒い息のまま拳を握り締めていた。

「フフフッ…曲がりなりにも教える側の者が、いびるだけしか脳がないとか、そんなことありえないよね?」

あぁ、曲がってるのはズラのほうだっけ?と軽やかに笑えば、つられたように教室中がわぁっと湧き上がる。
叱られていたはずの俺は、ただぽかんとしたまま成り行きを見守る観客に成り下がっていた。
笑いのネタにされた教師は、殴るわけにもいかないのだろう、抑え切れない程の怒りを押し込めたまま、落ちた教科書を拾い上げると、投げやりに授業を再開した。

 

「ネク君、大丈夫?」
「え…、あぁ…大丈夫だ」

教師が黒板に向かった直後、不意に義弥が後ろから声を掛けてきた。
先ほどまでの高圧的な音じゃなくて、包み込むような柔らかい声色で囁くから、そのギャップに俺は戸惑う。
大丈夫だと告げれば、瞬間緩むほっとしたような表情に息が詰まった。
やっぱりどこか大人びて見えて、綺麗で、手が届かないみたいに感じるから厄介で。
それを押し隠すようにして、俺なら一人で切り抜けられたと、虚勢を張る。
『ありがとう』より先に皮肉が出てしまい、義弥の表情を少し翳らせたことに、ちょっとした後悔が細波を立てた。

「仕方ないでしょ?ネク君のこと、放っておけないし…ずっと疲れてる顔してるから特に、ね」

そっと、大切なガラス細工を両手で包むように、暖かな音が胸に落ちる。
少し悲しそうな色彩が混ざった微笑で、俺を見る義弥はそう小さく囁いた。
休み時間に見た、脆く壊れそうな微笑。
なぁ、どうしたらそんな風に笑わないでいてくれる?と思わず問いかけそうになる。
形のないもどかしさだけが胸を締め付けて、息苦しい。

「…なんでそんなことわかるんだよ」

苦し紛れで返した声はいびつで、届いたかさえわからないほど掠れていた。
ひそひそと繰り返される密事に、周囲が耳を傾けているなんて気付きもしないで、義弥の眼を見返す。
光に透けるような鮮やかな空色が、悲しげに揺れれば、伏せた睫毛の影に深海の色が加わった。

「わかるよ、だって…」
「え?」


――――『…ずっと、見ていたからね』

 

落ちる音。

瞬間身体のコントロールが消失する。
耳の奥で記憶の声と義弥の声が波紋を広げて。


(((( 今、なんて…? ))))


自分自身の声すら、波紋の中でエコーを繰り返す。
何処かで聴いたような、懐かしくて自信に満ちた声が、頼りなく儚げな声に重なって。
ダブって聴こえるのは義弥の声だけで。

 

「…それ、前にも何処かで…言われた…」
「えっ…」
「…気がする」
「フフフ、それってデジャヴってやつ?」

ぽつりと零した俺に、義弥は『意外にロマンチストなんだ』と興味をなくしたようにそっぽを向く。
少し寂しそうに見えるのは錯覚だろうか。
だが、そんな余韻を感じる間もなく、未だにひそひそと話していた俺たちに、怒り心頭の教師が落雷のような大声で怒鳴り散らした。
一瞬感じた懐かしさも、頭がふわふわするような既視感も、もう俺の手にはなくて。
さっきのアレがなんだったのか、もはや正体を暴く術は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/05/27(Tue)  from memo

『焦燥と執着の行き先』の続きで、『← Jamais vu』と対の話。
ネク視点。
次、『← Jamais vu』ヨシュア視点。


*新月鏡*