「焦燥と執着の行き先」
騒動を引き起こした原因は、翌朝何事もなかったかのように現れて、どれだけ睨みつけても平然と受け流していた。 それだけでは飽き足らず、義弥は昨日のことをきっかけにネクに話しかけだしたのだから、シキにしてみれば気が気でない。 突如現れた義弥の存在に、あの時のネクは顔面蒼白になって倒れたのだ。 義弥の何が原因でそうなったのかは定かではないが、用心するに越したことはない。 が、そんなシキの心配をよそに眼の前で繰り広げられる義弥とネクのやり取りは、傍から見ればとんでもなく一方的なもので。 「ねぇ君…えぇっと、桜庭、だっけ?下の名前は?」 「はぁ?何でお前にそんなこと言わなきゃなんないんだよ」 「いいじゃない。僕、君に興味あるんだもの」 「なっ!」 「あ、名前を訊ねるときは自分からだったね。昨日も言ったけど、僕は桐生義弥。で、君は?」 何が好き?ジャンクフードとか好きじゃない?そういえば昨日倒れたけど大丈夫なの?、などなど。 それはもう誰が見ても義弥が一方的に口を挟ませない勢いで喋っているのだった。 本来なら転校してきて間もない義弥の方が訊かれるべき質問すら、ネクに向かって言い募る始末。 周囲は、転校生のその異様なまでの執着っぷりに少々引き気味だったりして、取り巻く空気がさらに異質だった。 「…音繰…」 「ネク、君?ふ〜ん、変な名前」 「へ、変…?!」 「僕のことはパパもママも『ヨシュア』って呼ぶから、ネク君もヨシュアって呼んでいいよ。よろしくね、ネク君」 マイペースを崩さずにっこり微笑んだまま話し続ける義弥に、ネクは思わず頭を抱えた。 自分の名前を変だと言いきられた挙句、こっちの反発を言う前にさくっと流してしまうのだから。 こいつには、何を言っても無駄だ、と早々にそんな決断が脳内に下される。 何を言っても聴きいれてはくれなさそうだし、眼の前の人物に何故か文句を言う気にもならなかったのだから仕方ない。 しかし、ネクは今までの義弥とのやり取りに、少なからず違和感を感じていた。 何気なく振舞われる彼の動作や、言動。 それら全ては注意深く観察しなければ、普通のやり取りに見えるはずのもの。 ――――こいつ、何か焦ってる…? 本当に些細で小さな違和感。 柔らかく微笑んでいても、どこか焦って見える。 楽しげにみせていても、どこか寂しさを禁じえない。 そしてそんな違和感に思考をめぐらせていると、ふわりと身体の主軸を奪われたような浮遊感に苛まれて、くらりと視界が揺らぐ。 「きゃっネク!」 傍で甲高く叫ぶのはシキの声。 そうはっきりとわかるまでにどれほど時間を要しただろう。 そんなことすら考えられるようになるまでに、たっぷり10秒は掛かったはずだ。 シキがそう叫んだと思うより早く、気付けば自分の視界いっぱいに心配げな顔があって。 「…ネク君!」 ――――…なんで、お前がそんな顔するんだ…? 変な気分に駆られて、苦しい。 何処かで感じたことのある気配が頭の隅を過ぎるけど、それをしっかり掴み取る前にするりと薄れて消滅していく。 ただ、眼の前にある切羽詰ったような表情が、酷く自分を追い詰めて。 『演技なんてしなくてもいいだろう!』 『全部、わかってるくせに!』 鮮明に浮かぶのは、初めて逢った人に対して言う言葉じゃなくて、跳ね除けるような自暴自棄な言葉たち。 どうしてそんなセリフが出てくるのかすら、はっきりとわかっていないのに、自分を支えるようにして抱えてくれる腕の温かさにほっとする。 罵る言葉が浮かぶのに、どうしてこの腕を振り解こうとしないのか。 ただ、混乱していれば、痺れを切らしたシキがネクを護るようにして義弥を押しのけ、必死に呼びかけてくるから、慌ててこくりと頷き返す。 安堵するシキの後ろで、強く睨みつけている義弥の姿があったが、見ないふりをしておく。 「もう、心配させないでよ」 「…悪い…」 「僕には、何も言ってくれなかったけど、彼女には素直に返すんだね!」 心配してあげたのに、と語気を強めて吐き捨てる義弥にシキは振り返り、親の仇でも見るかのようにきつく視線を尖らせる。 そんな視線に周囲の男子はたじろいだが、向けられている当人は平然とそれを受けて返していて、そんな態度が余計にシキを苛立たせていた。 「…桐生、悪かった…心配してくれてありがとう」 「“ヨシュア”!」 「は?」 波風が酷くなる前に謝ってしまおうと、慌てて義弥に向けて謝罪と感謝を述べれば、相手は不服だとでも言うように腕組をしてそっぽを向いてしまった。 ぽけっとしているネクにちらりと視線を投げやるだけで、機嫌を損ねてます、といった態度は治さない。 思わずすっとんだ思考をフル回転させて、直立不動の理由を考えれば、些細なこと過ぎて項垂れる。 「よ…ヨシュア…悪かった、ありがとう」 「全くだよ!礼儀がなってないなんて、先が思いやられるよ」 深くため息をついて、肩をすくめる義弥にキレなかった自分を、ネクは拍手を贈って褒めてやりたかった。 行き着いた回答はシンプル。 ただ呼び名が気に喰わなかったという、我儘な彼へ言いなおしてみれば、返されたのはとんでもなく身勝手な言い分。 その不遜な言い分に、今度はシキがぶちギレたようで、ネクのささやかな心遣いは無駄になったようだ。
「そもそも、あんたがことの原因じゃない!」 「昨日もそうだけど、言いがかりはやめてほしいね」 「言いがかりですって?!身に覚えがないとは言わせないわ」 ばんっ、と机を割らん限りの勢いで叩き上げ、昨日と寸分狂わぬシキの啖呵の切りように、再び周囲は怯えた。 独り放置されているネクを支えるようにしてくれているエリすら、シキの放つ声に時折びくりと硬直するのだから、よっぽどの剣幕なのだろう。 そしてそれを受けて立っている義弥は、やはり昨日と変わらず涼しげなもので、仄かに笑みすら浮かべているのだから、火に油状態である。 「フフフ…身に覚えがないよ?」 「このっ」 「だったら!…君が説明してくれるかい?」 『僕が、ネク君にどう関係してるのかを…』 シキの怒りを捻じ伏せて、義弥は深く暗く笑った。 子供じみた駄々をこねているかと思えば、こんなときは不思議と大人びていて。 余裕を纏って腕を組みながら佇んでいる彼は、この場にいる誰より優位で、誰より冷静に見えていた。 たった一人、ネクを除いては。 「ヨシュア!もういいよ…お前は潔白、そうだろう?」 「…ネク君がそう言うなら、今日のところは引き下がってあげる」 『良かったね』と不敵な笑みを見せたままシキに微笑めば、行き場を失ったシキの怒りが拳を震わせた。 そっとその手に手を重ねて、柔らかく包み込めば、悔しげな瞳が見上げてくる。 「ごめんな、シキ…」 「どうしてネクが謝るの?」 「別に…何となく」 「どうして、アイツが潔白だなんて…思ったの?」 「それも何となくだ」 謝らなければ、と思ったのは、嘘じゃない。 自分のためにシキが怒ってくれたのに、そんな自分がシキの怒りの矛先を奪ったから。 きっと彼女は苛立ちを抱えて苦しいはずなのだから、謝らずにはいられなかった。 ただ、義弥が潔白だと言ったのは嘘だ。 何処かで義弥が全ての発端だと知ってる気がする。 でも、それでも止めたかったのは、シキが一瞬つらそうな顔をしていたから。 そして、何よりもそう言わせた最大の理由は、きっと言えばシキも怒るだろう。 ――――…微笑んでても、アイツが一番壊れそうだった 誰から見ても不敵な微笑みに見えただろうあの笑顔が、ネクには酷く不安定な微笑みに見えたのだ。 それこそ自暴自棄になった人の、自嘲に似た笑み。 そんな顔をさせたくなくて、思わず止めに入ってしまったけれど、結局うやむやになってしまった今では、止めてよかったのかどうかすらわからない。
そうして向かい合ってしんみりとした居た堪れない空気の中話していれば、がらりと扉の開く音がやけに耳について、視線を振る。 ざわつく人並みの向こう、ドアを開ける義弥の後姿が飛び込んでくる。 焦りにも似た想いで姿を追ってはみたが、凛としたシルエットはものの数秒で視界から消え失せた。 シキの言葉に浮ついた相槌を打ちながら、ネクはチャイムが響くまでずっと義弥のいなくなったドアを見続けていた。
* * * * 2008/5/12(Mon) from memo 『夜想曲〜nocturne〜』閑話休題の続き。 どんどんカオスになってゆくー★ ってか私んトコのシキとヨシュア、どれだけ仲悪いんですかね(苦笑) ネクとの関係が改善されれば、こっちの関係も改善されると…信じてる。 *新月鏡* |