Sweet trap

 

 

 

煌びやかなホール、飾り立てられたディナー。
なんだか落ち着かない気分になるのは、きっとそういった場所に慣れてないから。
気軽に構えてればいい、と言ってくれるけど、そんな余裕があるわけがない。
大好きな人を前にして、格好悪いところなんて見せられない!
ちっぽけな意地だというのならそれでいい。
俺は、ほんの少しでもこの人に近づきたいと願うのだから、そんな周囲の声なんて気にならない。


『貴方に認めてほしい、愛されたい』


そう、がむしゃらに追いかける姿は、傍から見れば滑稽なのかもしれないけれど。
それでもやっぱり、今日は余計に緊張する。
何故って?だって今日は特別。

店内のテーブルを見回せば、街中が色めきたつのにつられて、こんなにも甘い。
向かい合って、親しげに話せば、店の雰囲気に呑まれて溶けてゆく心の距離。
さらに、細部にも目をやれば、デザートもこの日のためにあつらえたのか、繊細なつくりのチョコレート仕立て。
今日は俺のおごりだからと連れ出された夕食で、まさかこんな場所へつれてこられるとは思いもしなかった。
なんたって今日はバレンタインデー。
これはもう、期待しないわけがない。

 

 

 

「どうだ?ここの料理はうまいだろ?」
「え、あぁはい!すっごくおいしいです!こんなに綺麗な料理、食べるのがもったいないですね」

真剣に何処から食べようかとフォークとナイフを彷徨わせていると、小さく笑う声が聞こえる。
慣れてないって事実がモロに出てしまったのが、ちょっとだけ悔しい。
でも、柔らかく笑いながら、好きに崩して食べればいい、と返してくれるヒロさんがとても楽しそうだからさらっと流してしまうけど。
もそもそと口の中で溶けるデザートを楽しみつつ、再び視線を上げると、それはそれは嬉しそうな愛しい微笑が待っていて。
不覚にも硬直してしまうくらい、心臓は跳ねるし、見惚れてしまうしで、俺の思考は真っ白だ。


どうしよう、いますぐここから攫ってしまいたい。

 

「あ、そうだ。食事終わったら、この下にバーがあるから行ってみないか?」
「っ!…えっと、バー…ですか?」
「ん?どうした、お前イヤか?アルコール苦手とか?」
「い、いえ!まさかバーがあるとは思ってもなくて!」

トリップしていた思考を、楽しげなお誘いが呼び戻す。
変な受け答えを慌てて誤魔化せば、ヒロさんは『そうだろ?』とものすごく嬉しそうに笑った。
なるほど、俺を驚かせたかったのか。
俺はヒロさんのその嬉しそうな笑顔の方が、何倍も心臓止まりそうになるんですけどね。

ひっそりと湧き起こる欲を制して、緩やかにフォークとナイフをテーブルに帰せば、緊張を交えた華やかなディナーは終わりを告げる。
楽しみです、と与えられた満面の笑みに応える。
ただそれだけで幸せだった。

 

 

 

 

 

忙しなく行き交うウェイターとウェイトレスの合間を縫って中央扉へ向かい、その脇にある階段を軽やかに下りる。
幾分昂揚感に見舞われて、冒険じみた感覚に陥っている気がする。
バーなんて、数週間だけバイトのために来た程度で、自分から足を運ぶ、なんてことはなかったせいだろう。

先行く背中が早く、と言わんばかりに視線を寄越すから、少し駆け足で傍に寄る。
見えてきた部屋の中はモダンな雰囲気で、カクテルの鮮やかを引き立たせる穏やかさだ。
そんな主役のカクテルたちは、見るものを魅了するように光を浴びてグラスと共に待っている。
落ち着いているのに、煌々としたカウンター。
一瞬の懐かしさを覚えるのは、きっとあの短期間で身につけた術のせい。

 

そんな懐かしさにぼんやりしていると、腕をとられ迷いなくカウンターへ導かれる。
背の高い椅子に腰掛けると、バーテンダーがすかさず傍へやってきた。

「ご注文は、いかがなさいますか?」

バーテンダーの物腰は、控えた印象を受けるが、柔らかで落ち着きのある声が歓迎の温かさを添えている。
とても気安い第一印象のおかげで、僅かに緊張していたのだろう、ふっと力が抜けてしまった。
そんな俺の隣にいるヒロさんはというと、何にしようかとメニューとにらみ合いを繰り広げていた。
可愛いなぁ、なんてうっとりしてしまうのだが、それよりオーダーを通す方が先だろう、と視線を上げる。
未だ決めかねているヒロさんの分まで、食後酒として軽くて口当たりのいいものを選んでおくのも忘れない。

 

 

 

ゆったりしたBGMに、なんでもない会話を挟みながら、創り上げられた綺麗なカクテルを口に含めば、時間なんて忘れてしまいそう。

「あぁ、そういえば、ヒロさん」
「んー?」
「……何か、ありませんか?」
「何が?」

ふと、まだ目的のものを貰っていないと思い出し、それとなく口にしてみるが、返って来たのは本当に何も隠した様子のない表情だけ。
…これはこれで、少しへこみそうです。

「野分?」
「……いいえ、いいんです…」

少し悲しくなってきたが、ヒロさんがそういったことを気にしない男らしい性格だっていうのもよくよく知ってるので、めげていても仕方ない。
気にすれば、これでもかっていうくらい気にしてくれるんだけど、今回はさっぱりダメだったようだ。

ちょっとだけ自棄になりつつ、スタンダードな『スティンガー』を飲み干し、若干酔いの回ってきたヒロさんを盗み見る。
視線の先では、アルコールでテンションの上がったヒロさんが、バーテンダーにあれこれ楽しげに注文している姿。
隣にいるのは俺で、今日は恋人たちには甘い日だっていうのに。
俺がどれだけ嫉妬深いのかって、直接的にではないにせよ、教え込んでるはずなんだけどな。

 

 

「どうぞ」

若干むすっとした表情の俺に、突如差し出されたのは一杯のカクテル。

「え?」
「お隣のお客様から」

そう言って指し示されたのは、嬉しそうに笑ってこっちを見つめているヒロさん。
そっとテーブルの上に佇むカクテルをそのままに、バーテンダーは再び別のカクテルを作成し始めてしまった。
これは、どういうこと?

「…ヒロ、さん?」
「へへ…綺麗だろ?しかも聴いて驚け!そのカクテルの名前は『ハリケーン』って言うんだぞ!」

酔いが適度に回ったヒロさんは、饒舌にそのカクテルの発見秘話を俺に語って聞かせ始めた。
メニュー欄に記載されたその名前に食いつき、思わずどんなものかと詳細を訊ね、これは俺に飲ませるしかない、と作ってもらったという。
なるほど、先ほどバーテンダーとこそこそ話していたのはそのせいか。

 

「さっぱりしてて美味しいって言ってたんだけど……どうだ?」
「………」
「野分?」

あぁ、どうしよう…たったこれだけで、このカクテルが最高のカクテルに見えてきた。
覗き込むようにして不安がるヒロさんに微笑んで、冷たいグラスにくちづける。
舌先に広がる爽やかな後味、喉を下る熱さ、どれをとっても最上級に感じるなんて、俺も結構酔いが回ってるみたいだ。
溶けるような甘さすら感じられて、夢心地に溺れてしまう。

「とても、美味しいです。ありがとうございます、ヒロさん」
「うん、そっか…」

そうにっこり笑って返せば、ほっとしたようにテーブルにしなだれかかり、照れたようにはにかむ。
可愛い、可愛い、可愛いすぎますヒロさん!
これはそろそろ、帰るべきだろう。
こんな可愛いヒロさんの姿、もったいなくて俺以外に見せたくない。
さらに正直に言えば、ここでヒロさんを抱きしめられないのが拷問に近い。

 

 

「じゃぁヒロさん、俺にもお返しのカクテル選ばせてください」
「んー?野分が俺の?」
「はい」

意を決して、ささやかなお願い。
俺の本心を知らないヒロさんは、ふにゃっと笑って小さく頷く。
あぁ、たまらない!理性が擦り切れそうだ。

さっさと計画を実行するべきだと切り替えて、一つオーダー。
かしこまりました、と静かな了解の声がした後、カウンターの向こう側から涼しげな音が響き合う。
シェイクする音が一定のリズムで行き来を繰り返して。
とくとくと流し込まれるグラスに光が差し込めば、上品な紅が輝きを放つ。
どうぞ、と差し出されたカクテルは、ヒロさんの髪の色によく似たブラウン。

「透き通ってる…綺麗な色だなー」
「ルシアン、って言うんですよ」
「…ルシアン?」

カクテルの名前を告げてみれば、かくん、と小首を傾げて聞き返す。

「飲んでみてください、結構飲みやすいはずですから」
「…ん」

つっとグラスに手をかけて、舌先に転がすように数量含む赤い唇。
こくっと喉を通れば、驚いたようにこちらを見てくる。
どうやらヒロさんがこの色から予想してたものと違ったらしい。

「何か、すごく甘い……この香りとか…」
「それね、チョコレートなんですよ?クレール・ド・カカオを使用してるんで、チョコレート仕立てで甘いカクテルになるんです」
「…!」

バレンタインデーですからね、と零せば、ぼっと燃え上がるように朱に染まる頬。
どうやら本当にこの日が何なのかを忘れていたらしい。
ごめん、と謝って来る唇を指先で制して微笑めば、視線を合わせづらいのか、フラフラと虚空を彷徨い、戻ってきてはそろっと逸らされる。
なんて可愛い反応だろうか。

 

「いいんですよ。バレンタインデーは好きな人に何かを贈る日なんですから、俺がこのカクテルを贈ったってことで成立してます」

ホントは少し期待してた分だけ落胆もしたけど、きっとヒロさんのことだから、こうして俺をディナーに誘うことだけで頭がいっぱいだったに違いない。
一緒に食事なんて久しぶりだし、数々の言動や行動から推測すれば、驚かせたくて色々画策してくれたんだろう。


――――…あぁ、愛しい…

 

「ヒロさん、気に入っていただけましたか?」

うっとりと眼を細めて、微笑んだまま問いかける。
泣きそうなくらい真っ赤になった頬を撫でて、もう一度笑えば、つられたように笑ってくれて。

「うん、好き」

そう返されて、思わず固まった。
仕掛けたのは俺なのに、逆に嵌ってるなんて情けない。
でも…それは、俺がヒロさんを好きだから仕方ないんだろうな。

そうやって自分と戦っていれば、本当にこのカクテルがお気に召したのか、軽やかに飲み干しては同じものをオーダーしている。
あぁ、ヒロさん…本当に俺の計画通りに動いてくれるんですね。
俺の思惑に欠片も気づかない純粋なこの人を陥れるのは、ちょっと気が引けたけど、それも俺の愛なのだと許してほしい。

 

「野分、飲まねーの?」
「いいえ、いただきます」

ほんのりアルコールで心地よい気分を味わいながら、ヒロさんが堕ちるまでの時間を楽しもうと再びオーダーを開始した。
その数十分後、ぐったりと潰されてしまったヒロさんを言葉で誘導して連れ帰り、美味しくいただいたのは言うまでもない。

 

 

 

 

ねぇヒロさん…知ってましたか?

 

 

 

ルシアンは別名、レディキラーと称されてるんですよ?

 

 

 

 

 

* * * *

2009/02/14 (Sat)

そんなバレンタイン小説。

『ルシアン』は、クレール・ド・カカオ(カカオ・リキュール)を使用した甘いカクテル。
グラスに口を近づけるだけで、甘いチョコレートの香りに包まれるほど。
でも、ベースがウォッカとジンなので、実はアルコール度数が高い。
なので、「甘いし、飲みやすい!」と調子よく飲んでいると、すぐに潰されるという。

そして、そんなカクテルについた称号が、『レディキラー』wwww
他にもそう称されるカクテルが数点あるので、知っておくとよいかもです。

お嬢様方、こんなカクテル勧めてくる男性にはお気をつけ下さいませ(笑)


新月鏡