選択肢 -Nowaki side-

 

 

 

いつだって、そう
この人は優しい
しかし気付いているだろうか…

それが、俺を試し続ける選択肢でしかないということに

 

 

 

 

 

久しぶりに一緒に帰れる、そんな夕暮れ時。
ざわめく街並み、行き交う人、様々な声が交じり合ったノイズの中で、ただ一人の声に耳を澄ませて歩く。
なんでもない会話が嬉しくて。
話さない、そんな沈黙すら心地よくて。
しかし、ふと、隣に並んで歩いていたはずの愛しい気配が遠のいて、何事か、と振り返る。
振り返った先、夕日に照らされて佇むヒロさんに、思わず息を呑んだ。

金糸のように輝く柔らかな髪。
紅く染まる憂いを帯びた表情は、現実の背景を霞ませる。
ただ、その空間だけが別世界みたいに、俺の視線を奪い続けて。

「…ヒロさん?」

声が震えた。
手の届かないところいるようで。
あっという間に消えてしまいそうで怖かった。
幻のように、あまりにも幻想的に映るから、『悪い』と返って来た声に、どれほど安堵したことか。
揺らぎそうになる心を誤魔化すように、慌てて表情を引き締めれば、今度はヒロさんがじっと俺を見つめてくる。
和らぐ視線に、ぼんやりと眺めるような危うさも見えて、俺は怖くなる。

時々この人は、俺を置いて何処かへ行ってしまう。
心が、全く別のところを見てる。
何を考えているのかも、今の俺では掴めなくて、早く理解できるようになれればいいのに、と悔しい思いが募るばかり。
しかし、どれだけ足掻いたところで、俺よりずっと思慮深いヒロさんのことを知る術などない。

 

「何を考えているんですか?」
「さぁ、何だろうな?」

情けなくも、訊ねるしかできない俺に、この人はさらに難題を吹っ掛ける。
訊いているのに、『教えられなくても悟れ』、と無言で伝えてくるのだからたまったものではない。
いくら教えてほしいと言い募っても、何処吹く風で、腕を取ろうものなら思いっきり振り払われる。
そんな態度にどうして、と戸惑うのは一瞬のことで、睨むように見上げられてしまえば、その視線に囚われる。


――――…なんて、綺麗…


幾分落ちた日の光ですら、これほどまでに引き立てる。
どんなに乱暴に振舞おうと、それすら魅力に変えてしまえるなんて。
その内に秘めた気高さは宝石のよう。
きっと、ヒロさんは気付いてない。
自分がどれほど周囲の目を奪う奇跡のような存在なのか。
俺一人が独占するには、あまりにも綺麗すぎる。

それでも…

 

「……選ぶなら、俺はもう決まってるって話だ」

ふいに、陽の光を受けて紅く色づくルージュの唇から、掻き消えそうな声が紡がれる。
考え事をしていた俺は、ぽそっと零された答えをとっさに理解できなくて、何度かぱちぱちとしばたくばかり。

選ぶなら…?

何を、と訊こうとして開きかけた口を、再び閉じた。
ヒロさんが、あまりにも儚く、憂うように目を伏せるから。
訊くものも訊けず、また、その意味すら、自分の都合のいいように解釈してしまえて。

 

『選ぶなら、決まってる』

 

その言葉の意味は、いつでも俺に選択肢を与え、自由にする機会を与える言葉。

貴方を殺し、俺を生かす選択肢。

 

あぁ、どうして…恐ろしいほど、この人は俺の想いに気付かない。
ただひたすらに、溢れるほどの愛を注いでくれるばかりで。
ヒロさんのことだから、きっと俺の将来のこととか、人並みの幸せだとか、そんな難しいことをたくさん考えてくれてるんだろう。
それでも、そんな思慮深い貴方ですら、俺の明らかすぎる想いに気づかない。
俺を想って与えてくれるなら、そんな逃げ道は必要ないのだと、どうしてわかってもらえないのだろう。


――――…貴方はいつも、未来に怯えながら、俺を生かす選択をし続ける…


だったら…

 

 

「俺も、選ぶなら決まってます」
「え?」

ふわり、視線を上げる反動で跳ね上がった透き通る毛先に触れて、そのまま頬に滑らせる。
包むように、そっと頬を撫でて、髪を梳いて。
圧倒的な決意にはじき出された声と、その声に不釣合いな仕草で翻弄する。
戸惑う視線が、俺から逸れないようにするための布石。

 

逃げないで

逃がさないで

俺のためにと手放す、その選択をする前に

 

「もし迷ったら、呼んでください」


――――奪えばいい、何もかも

 

 

 

「…野、分…」
「はい、ヒロさん。…何処にも行かないでくださいね?」

呆然と俺を穴が開くほど見つめるヒロさんに、ゆったり微笑んだまま、迷いなく追い討ちをかける。
その繊細な心を、雁字搦めに絡め取って、揺れることすらないように、言葉で縛って。
不必要な不安を、選択を、思いつく前に全て『俺』で忘れさせてしまえばいい。

 

不安なら、よそ見しないで
怖いなら、何度も呼んで

俺はその度に何度でも告げよう
貴方が忘れるまで
貴方が気づいてくれるまで

 

 

 

「……ムカつく」
「ヒロさんこそ、俺を試さないで下さい」

ぴしゃり、と言い放った俺の言葉に、ふいを突かれたヒロさんが硬直する。
口をぱくぱくとさせて、言葉すら忘れてしまったように俺を凝視するばかり。
幾分上気した頬に手の甲を滑らせて、少し意地の悪い笑みを見せると、さらに朱が走るから可愛くて。

「俺が、気づかなかったとでも?」

気づかないはずがない。
いつだって貴方は優しいから、プライドを盾にして俺ばかりを優先する。
でも、それが俺にとってはとんでもない難関なのだと、どう伝えればいいだろう。

思考の端で、与えられた難問に頭を捻りながら、ヒロさんの見せる愛らしさに、思わず小さく微笑む。
放り出されたままの手を取って、ぎゅっと確かに握り締めて歩き出す。
半ば引きずるように、テンポを速めて歩いていれば、慌てたように追いかける足音。
不規則に交わるその音に乗って、ヒロさんの声が俺を呼ぶ。


『野分』


そう、名前を呼ばれるたびに嬉しくなるのは、この心。

もっと呼んで、もっと俺の名を。

そうすれば…。

 

「はい、ヒロさん」

俺はこうして呼び返せる。
迷っていなくても、不安がっていなくても、何度も逃げ道を塞いで。


――――何を犠牲にしても…

 

 

(俺の傍にいることを選んでくれればいいのに…)

『お前も、俺に囚われてしまえばいいのに…』

 

 

心の内側でシンクロする音。
恋焦がれて、すれ違って、それでもその根底に広がる旋律はユニゾン。
寸分の狂いなく紡がれる愛しい想い。

だからこそ…

「まだ、わからないんですね」

どれほど俺が貴方に囚われていることか、貴方が気づかないことが寂しい。
貴方なしでは意味を成さないほど、染められ、求めているのに、どうしても貴方は手放そうとする。
それが貴方の愛だとわかるから、やはり俺には、『奪う』というやり方で、貴方を追い詰めるしか術がなくて。


――――『早く、気づいてくださいね?』


心の中で呟く願いを、冷たくなった風が攫う。
鼓膜を震わす風音が、まるで泣いているように聞こえた。

 

 

 

 

 

* * * *

2008/11/10 (Mon)

想い合って、すれ違う。
自分が求めてることを、ちゃんと相手は『想って』返してくれてるのに。
それでも、『もっと』と望んでしまうのは、ただのわがままなのだろうか。

意味不明に拍車が掛かりました。
野分sideを望んでくれた沙生様と、突発SSを愛してくれたうな様へ。
『選択肢』の対小説を捧げます。


新月鏡