心の在り処

 

 

 

それとなく過ごして、差しさわりのない会話。
深入りせず、特定の誰かを作らず、笑っていれば、自然と周囲に人は集まるから、それが正しいのだと思っていた。
優しくしてもらったし、色々世話も焼いてもらった。
話していると楽しかったし、そんな人たちが大好きだった。
だからそれで満足していたし、違和感など何も感じたことがなかった。

 

そんな生き方が、どことなく淡々としているような気がするのは、自分の生い立ちのせいかもしれない。
執着すべき人が最初からいなかったから、どう接しても何処かマニュアルどおり。
育ててくれた園長先生は、そんな他者との接し方をそれとなく心配してくれたことがある。

『そのままで、寂しくないか』、と。

けれど、まだ幼すぎた自分には、何を心配されているのかがわからず、ただいつもどおりにっこりと笑って『はい、寂しくありません』と返した。
その時の園長先生の顔をよく覚えている。
悲しそうに、小さく頷いてくれて。
そして、たまらずといった動作で思いっきり抱きしめられたのも覚えてる。
小首を傾げて、戸惑いがちに抱きしめ返した背中は温かかった…――――

 

 

 

 

 

「…懐かしいなぁ…」

ぽつりと無意識に呟く声は、自分でも驚くほど感慨深く聞こえる。
変わらない景色と、懐かしい佇まい。
風が吹けば、屋根をも越える巨木がざわざわと大きく騒いだ。
見慣れた風景に呼び戻されたセピアの記憶が溢れ出てきて、見上げた先の空に我知らず微笑んでしまって。

「おや、帰ってたのか?」
「あ、…」

ずっと門扉の前で立ち尽くしていると、中からおっとりとした声が飛んできた。
視線を振った先に映るのは、初老の人物で、呆然と佇む俺の姿を認めると、嬉しそうに笑って迎え入れてくれた。

「おかえり、野分」
「…ただいま、です」

門扉を通りながら少し照れ気味で返すと、長身の俺を何度も見上げて頷いてくれて。
やんわりとした空気で『おかえり』と言われると、急に自分がまた子供に逆戻りしてしまう気がする。
この人は、奥さんと一緒に幼い自分を育ててくれた親同然の人だから、無条件でそういう反応になるのかもしれない。
促されるままについてゆく道中、見渡す景色は記憶のままで。
久しぶりに足を踏み入れたというのに、手入れが隅々まで行き届いているから、さらに錯覚してしまいそうになる。


暖かな木漏れ日も

穏やかな雰囲気も

遠くから聞こえる明るい声も


変わらないものが、これほど安心できるなんて知らなかった。
そう、たぶん、あの人に会わなければ、ずっとわからないままだった、ささやかな世界。

 

 

 

「久しぶりだね、元気にしてたかい?」
「はい、毎日変わらずバイト三昧ですけど」
「無茶なことはするんじゃないよ。園へ入れてるお金だって、自分のために貯金しておきなさいと何度も」
「それはちゃんと振り分けてますから、大丈夫ですよ。心配性なんですから…」
「フフフ、子供たちの心配は、いくらしても尽きるものではないよ」

椅子を勧められて座った途端、幾分しわの増えた優しい手が頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。
どうやら最初からその機会を窺っていたようで、念願叶った園長先生の笑顔は子供のそれと変わらないほど嬉しげに映った。
こんな人だから、子供たちも安心してはしゃいでいられるのかもしれない。
そんなくすぐったくなる気持ちに、自然と笑みが零れてしまう。

「いい顔をするようになったな、野分」
「え?」
「誰か、お前の心を拾い上げてくれる人が見つかったかい?」

柔らかく、安堵の滲み出すような声が、やんわりと俺を包み込む。


――――…先生は、何でもお見通しなんですね


久しぶりに顔を合わせたというのに、事も無げに一発で見抜かれてしまったらしい真実。
変わりだした俺の世界。
本当は、もっと驚かせようと思っていたのに、こうもあっさり見抜かれると逆におかしく思えて笑ってしまう。
今回訪れた一番の目的は、それだったのだから。

 

そう、ぽつんと取り残されていた俺の心を拾い上げてくれた人がいる。

最初は俺がただ求めて、手を伸ばして、必死で追いかけていただけ。
でも、振り返って、『俺に気付いて』と動けず叫んでいた心をその手で救い上げてくれたのは、優しいあの人。
抑え切れない嬉しさと、初めて感じる感情への戸惑いに板ばさみになりながら、それでもよかったと安心できる心の在り処。

 

 

 

「…先生、俺…好きな人ができました」
「そうか、それはよかった」

うんうん、とゆっくり何度も頷いて。
優しく撫でてくれる指先が、記憶にあるよりずっと頼りなくなってしまったが、その指から与えられる安心感は変わらなくて。
じんわりと胸にせり上がる想いに、言葉が詰まってしまう。
あの時、園長先生が心配していたことが何なのか、ようやくわかったからだ。

 

心配してくれていたのは、本気で誰かと接していなかった俺への危惧。
いくらたくさんの人に囲まれても、結局俺は独りだった。

それはなんて寂しいことだろう。
だからこそ、先生は『そのままで、寂しくはないか』と訊いたのだ。

愚かだった幼い自分。
変わらないことを選び続けて、ようやく今、あの人の傍で変わっていくことを決めたのだ。

 

遅くなってごめんなさい

心配かけてばかりで、気付こうとしなくてごめんなさい

でも、もう大丈夫…

 

「もう、寂しくありません」
「…野分」
「ありがとう、ございました…」

零れた感謝の言葉は、嗚咽に紛れてしまったので、届いたかどうかはわからない。
けれど、あの日と同じように抱きしめてくれた温かさに、ちゃんと受け取ってくれたのだと思った。

 

 

 

 

見知らぬ父と母へ
今、あなた方に心から感謝します

俺はこんなにも想われていて
こんなにも幸せだと感じられる世界にいます

 

父さん、母さん…

この世に産んでくれてありがとう

 

 

 

俺は、あの人と…ヒロさんと一緒に生きていきます

 

 

 

 

 

 

* * * *

2008/07/28 (Mon)

またもや捏造小説勃発!!
野分が、過去と決着をつける話、みたいな。
草間園の園長さんは、きっと夫婦運営だと信じてる。


新月鏡