「愛されたいんじゃなくて」

 

 

 

何故

…何故…

 

泣き叫ぶように、それでも静かな慟哭が降る
赤く染まる野に独り
笑みとも言えぬ歪んだ表情で、乾いた笑い声が他人事みたいに耳に響く

 

求められたものは、自らでは絶対に生み出せないもので

望まれたのは、己を支える全てだった

 

 

 

約束なんて何もない、ただ当然のようにその扉の前にいて、いつものようにインターホンを押して、何食わぬ顔で再会を果たした。
その再会相手、直哉は、苦虫でも噛み潰したみたいな顔をして俺を見てたけど、そこは気にせず、我知った家とずかずかと乗り込み、ベッドの端に腰掛けてやる。
そこまで堂々とした進入劇を見せ付ければ、呆れ顔とこれ見よがしなため息をついて、いつものようにコーヒーを作ってくれた。
何一つ変わらない。
俺がベルの王になって、直哉が神様の敵側だってわかったこと以外は。
そう、どうってことない。
俺と直哉はいつもこんな感じだったし、これからだってずっとこんな感じなんだと信じて疑わない。

「何しに来た?」
「ちょっと疲れちゃったから、息抜き」
「だから言っただろう?あいつらはご都合主義だ。お前のことなど何一つ考えてはいない」

そう冷たく放たれた声とは裏腹に、やんわりとぬくもりが俺を包む。
肩にかけられたのは、直哉がよく着ている羽織だ。
夏も終わり、日が落ちれば肌の冷える時期にある。
それをわかっているからか、それとも今までそんな外でいたからか、どっちにせよ過保護なことだ。
俺は、もう人ではないのに…。

「…直哉、訊いてもいい?」
「何だ?答えるかどうかは別だが、聴くだけは聴いてやる」

どさっと上半身をベッドに横たえて、ぼんやりしたまま問いかければ、直哉は胡乱な視線を向けつつもそう応えてくれた。
ベッドの脇の壁に片膝を立てて座り込み、背を持たせて俺と視線を合わせる。
どちらも人の話を聴く態度ではないが、俺はどうでもいい日常会話をするような感覚でこの事件の核心を問う。

「あのさ…直哉が神様を恨むのは、カインの扱いが酷かったから?」

この夏の惨劇は、全て創世記時代の因果から成り立っている。
そして、それを成立させたのは、紛れもなくこの目の前に悠然と座っている従兄なのだ。
この世を混沌に落とすほどに募る憎悪は、きっと計り知れない。
直哉だけが知る感情の根源を、俺は何一つ知らないから、直哉が何を思っているのかを知りたかった。
たとえ、抉るような痛みを与えたとしても、同じ空気を求めるように、同じ時間を求めるように、ただ、共有していたかった。

「…俺の……カインの扱いなどどうでもいい」
「でも、直哉は怒ってたじゃない?」
「俺が憎んでいるのは、今も昔もあいつらの傲慢な思考、態度、願望そのものだ」
「…思考と態度と願望…?」

ようは、全部嫌い、と。
でも、俺は『カインの扱いがどうでもいい』と言ってのけたことに驚いた。
あのときの話し振りでは、どうしても差別されたことに対して恨み、妬み、憎んでいたように錯覚させられる。
それでも、本当にどうでもいいと言わんばかりに鼻であしらう態度を見れば、そのことに偽りはないのだろう。
だったら、いったい何が直哉をそこまで駆り立てているのだろうか。
ぼんやりと頭の端で考えながら、ゆったりと身体を起こして向き直ってみれば、深い思念のこもるような赤と視線がかち合う。
射すくめるように、恐ろしいまでの眼光の鋭さ。
今の直哉は、何を思って俺に応えてくれているのか。

「よくわかんないけど…、どういうこと?」

思考の追いつかない俺を眺めると、射すくめる赤が目蓋の裏に消えて、ゆうるりと頭を振られた。
はぁ、とため息を吐いて、仕方ないと言わんばかりに重い唇が気だるそうに動く。
何か、あからさまに呆れられた気がする。

「……神は血肉を求めた、という話はしたな。だから、子羊を供物に選んだお前を、神は愛でたのだと」

最終決戦を目前にした戦いの中で、確かに直哉はそう言った。
いきなり明かされる真実に、ただただ混乱し、憎めと罵られても一向に憎む気になれなかったのは記憶に新しい。
ア・ベルと…ベルの王となった今も、そして神の元にいたとしても、それでもこの従兄は兄同然の大事な存在なのだから、当然といえば当然の感情だったと思う。
そんな俺の想いを汲み取ってくれたのかはどうか知らないが、こうして会話をしてくれているということは、少なからずわかってくれているのではないか、と小さな甘えが出てしまう。
憎むべき相手に組した自分を、彼が許すはずがないと、わかっているのに。

「直哉は、『神様が、カインには絶対に差し出せないってわかってた』って言ってたね」
「そうだ。カインが農耕を行う者であることを知りながら、不可能を求めた。作物に血などあるわけがないと知りながら、だ」

表面上の文字並びを見れば、ただの差別や嫌がらせに見えただろう。
片方を可愛がり、片方を蔑むように視界から遮断したのだから。
不可能だとわかっていながら、それでも絶対者であるゆえに求め、道を踏み外すよう仕向けることだって、造作もないことだったのだろう。
その思惑を、聡い直哉が気づかぬはずがない。
現にこうして事の顛末を、そのときの個々の感情を、本人が脚本したのかと思うほどすらすらと述べるのだから。
だがその神の一言には…どうしても眼を逸らしがたい裏があったのだと彼は言う。

「そう……暗に、差し出せと言ったんだ…!」

楽園の穏やかな日々の中、誰より傍らにあった存在を、あれは差し出せと言った
俺の手にあるうちで、血の通うものはただひとつ
隣で無邪気に笑っていた、ただ一人の肉親を
子羊の誕生を喜び、神の子と愛でられ、愛したただ一人の、俺の弟を

「直哉…」
「くれて、やるものか…と思ったさ」

吐き捨てるように、憎悪のかけらが言葉をよぎる。
きつく閉じた瞳の奥、逆流する記憶の中、不愉快な姿で、不愉快な声で、能面じみた笑顔がよく似合った姿を思い起こす。
全てに平等と謳われた、全知全能のそれが口を開く。

神は歌う、可愛いアベルを差し出せと
神は囁く、愛しい傀儡を我が手にと


――――…あぁ、本当に、忌々しい


「クックックッ…あぁそうだ…誰がくれてやるものか!お前は俺の弟だ。神の玩具ではありえない。あっていいはずがない!」
「な、なお…」

いきなり壊れたように、笑い出すから、俺の声がどこかへ飛んでいってしまった。
ひっくり返った声を慌てて治めて、肩を震わせて笑う直哉におずおずと手を伸ばしたが、それは届く前に逆に掴み返された。
指先を包む大きな手のひらが、漠然と懐かしさを呼んできたのは、俺の記憶なのかアベルの記憶なのか。

「そう、だからだ……」
「何?」
「だから、お前を手にかけた」

何度も、何度も、お前の心臓を突き破り、血飛沫を浴びて、絶命する瞬間をこの眼に焼き付けて

楽園の大地に染み込んだその血によって、神に知れるのもわかっていた

だが、そうせずにはいられなかった

 

「それを原罪だというのならば、それでいい。それでも俺は、お前を神などという狂ったものに渡したくはなかった」

ぎゅっと、指先に力がこもった直哉の指を反射的に握り返して、静かに耳を傾ける。
この時代を生きてきた俺には全く身に覚えのない話だったが、それでも直哉の吐露し続ける心中は、何千年もの時間をもってしても昇華できなかった悲しい想い。
直哉の今まで紡いで抱えてきた想いなのだと思えば、憎悪にまみれていようが何であろうが心地よく聞こえるから不思議だ。

「供物として血を求めた神には、無残な亡骸と血で染まった楽園で十分だ」
「そっか」

えらく反逆的な言い分をくすぐったい気分で聴きながら、俯いたままの直哉の頭ごとそっと抱きしめてみる。
抱きしめるといっても、膝立ちの俺が直哉に覆いかぶさってるだけなのかもしれないけど、なんだか今なら、そうしていることで直哉の隠された部分に触れていられるような気がした。
ぽつり、ぽつりと零される原初の記憶は、他人が聞けば本当に不憫でならない話だった。
これがあらかじめ神様の予定調和に組み込まれていたとしたら、神様はとんでもない策士で、恐ろしいほど冷酷なのだろう。
カインとアベルは、とんだ茶番に付き合わされたものだ。
楽園という名の箱庭で、原初の罪を作り上げるために、最愛の弟を手にかけたカイン。
何も知らぬまま、最愛の人の手にかかったアベル。
これが神の思惑だというのなら、なるほど、直哉が憎いと想い続けるのは当然のことかもしれない。
罰という名目で、その記憶を保持し続け、この世でただ独りで在るのならばなおさらか。

「それを、よりにもよって、この絶好の機会にお前を奪われるとはな…」
「……」
「まぁいい…元より諦めるつもりなどない。神はいずれ殺してやるさ」

俺の腕の中で、表情の読めない声が淡々と言葉を紡ぐ。
弱音と本音と、ほんの少しの懺悔。
それが全部俺に向けられていることに、不謹慎にも嬉しいと感じてしまっている自分がいて。
それから、今ある立場に心の中で謝罪をつぶやく。
二律背反なこの心の根底には、全部直哉が関わっているという幸福。
嬉しくて、悲しくて、憎らしくて、切なくて、でもやっぱり愛しくて。

「…よかった」
「ん?」
「俺ね、直哉から話を聴けてよかった」
「いきなりどうした?」

甘えるような声に、自分自身で驚きながらも、ぎゅーっと腕に力を込めて抱きついて体を預ける。
幼い頃から、兄と思い慕ってきたようなものなのだ。
今更、従兄弟だろうが兄弟だろうが、どっちでも構わない。


ただ…その心が知りたかった


「直哉は、愛されたいんじゃなくて、愛する人だったんだね」

ささやくように、吐息に溶ける声は、直哉に届いているだろうか。

 

今、ようやくこの人の本心を、本当の気質を知った気がする。
どうしてここまで眼の敵にするのか。
どうしてここまで執着するのか。
それら全て、この人の本質がそうさせているのだ。
直哉は、きっと、愛する人。
愛されるより、自分が愛していく方を選ぶ人だ。
現に、カインは必死になって最高の供物を作り上げ、努力し、望まれなくても足掻き続けていたんだから。
それは、最後の最後まで、神様を愛そうと努力した結果だろう。
選ばれなかったことを俺が悲しいと言ったとしても、きっと、報われることのなかったその結果には、何の未練もないと告げるだろう。
だって直哉はそういう人だ。
愛されるより、愛する人だ。
ただ、その最たる対象が、絶対の存在ではなく、ただ傍らにあるささやかな存在だったというだけだ。
そう、なかなか会えぬ絶対者より、いつも傍に在った肉親を選んだだけ。
とても人らしい人だったのだ。

 

「ナンセンスだ…どこをどう聞けばそう行き着く」
「うん、わかってる。直哉が俺のこと大好きだっていうことだよね?」
「………お前は俺の手駒に過ぎない、勘違いするな」
「はいはい、わかったわかった。……大好きだよ、直哉」

いつもより弱っている直哉が何を言おうと、今の俺には捻くれた愛情表現にしか映らない。
そんな俺に、対応に困る、と珍しく零すから、胸に暖かな気持ちが沸き起こってくすぐったくなる。
お互いに触れた体温を感じながら、小さく笑ってつかの間の平穏を甘受する。
太陽が昇れば、俺はまたベルの王として動かなければならない。
誰もが俺に王としての振る舞いを求めるため、神の代弁者として気を使わなければならない。
その窮屈さを、きっと直哉は誰よりも理解してくれている。

だからこそ、今の俺を許しはしないし、決定的な部分で拒絶する。

だからこそ、甘やかして、常に俺の心を惑わせる。

あの日の夜のように、『俺のところへ来い』と、いつでもその手を差し出して、静かにただ待ち続けている。
俺が神様に一番近い場所で、その神様を見限るのを待っている。
でも、皮肉にも、そんな直哉こそが、俺の救いであり、戒めでもあり、本当によき理解者なのだ。

 

遠くて近しい俺の理解者は、今も昔もこの人だけだったのかもしれない。

 

 

そんなことを思いながら、抱きしめ返されたぬくもりに瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

* * * *

2012/05/09 (Wed)

まさかのアマネルートED後wwww
兄さん逃げても、絶対自分のアパート戻って普通の生活しながら、虎視眈々と機会を伺ってると思う。
そして主人公も、なんだかんだで人の生活しながら救世主してると思う。
だけど疲れたり、孤独だったり、責任だったりで満身創痍になったりして、無意識に甘やかしてくれる誰かを求めたりすると思う。
アツロウとかでもいいんだけど、何か全身全霊預けて甘えられないから、結局兄さんとこへちょくちょく顔出してると良い!っていう妄想。


*新月鏡*