六花深雪

 

 

 

何処までも柔らかく

何処までも儚く

冴えるような冷ややかさ

だけど苦しいくらい優しく感じていて…

 

それはきっと…――――

 

 

 

『雪だ…!』

何気なく見やった窓の外、音もなく舞い降りる白雪に、綱吉は寒さも忘れて外へ飛び出していた。
無我夢中というように、ただ惹かれるように次から次へと降って来る雪を追って、ふらりふらりと宛てのない散歩。
一歩一歩踏み出す度にふわりと舞う雪に手を差し伸べ、ひらひらと翻してはステップを踏むように歩いてゆく。

近代化の進むこの最近では雪は珍しく、見慣れぬ景色に思わず微笑んでしまう。
たかが雪だと一蹴されそうなことなのに、どうしてもこの高揚を抑えることが出来なかった。
冷えた闇夜は、閉ざされたように無音の世界で、酷く不気味に思えるかもしれないけれど、何故か今日はそう感じなくて。

 

「…あれ?」

ふと見知った場所にいて驚く。
宛てもなく歩いてきたはずなのに、この足がたどり着いた先は、色々思い入れの在る場所。
もうこんなに遠くまで来ていたとは思わなくて、暫し雪に抱かれて放心してしまう。
無意識に目指した場所は、決して公に馴れ合うことのない彼の人の居場所で。

「こんな夜更けに、何か御用でも?」

空気に溶けるような声が我が身を包めば、酷く心もとなくなってしまう。

 

なかなか逢うことのできない人

それだけに、誰より恋焦がれる人

 

傍にいることすら難しい彼に、どうしても逢いたかったみたいで、気恥ずかしさが急きたてる。
逢いたくて、なんて絶対言えない禁句なんだろうな、と眼の前に立つ長身を見上げて思う。

「雪が、降ってるよ…骸」
「そのようですね」
「綺麗だなぁって思ってたら、どうしてかな……いつの間にかここに来てた」
「……そうですか…」

深みのある溶け込む声色が、緩やかに無音の世界を変えてゆく。
誰もが寝静まった暗闇で、鈍色の銀の雲が真っ黒な空を染め上げる。
身の凍るような冷たさにせめてもの慈悲か、純白の細雪が零れ落ちてくる様は、誰が見ても神秘的で。
そんな中で、とんでもなく薄着なくせに寒さも感じさせない骸は、何を思ったかおもむろに綱吉の頬に手を添えた。

「骸?」

小首を傾げてみても相手に反応はなくて、そんな骸に訝しがっていれば、そっと肩を引き寄せられる。
冷めた身体には身に染みるほどの優しさで、じんわりとした温かさに包み込まれた。
寒さで固まっていた何かが吐息に乗せて解けていく。

「やはり、冷え切ってますね」
「…でも、雪は暖かかった気がする」
「錯覚ですよ」

確認のためだけかと思っていたが、一向に手放される気配のない骸の腕は、噛み締めるほどに暖かなもので。
まさかこの腕が、何人もの命を葬ってきたなどとは思えない。
痛みを訴えるほど冷えた綱吉の身体に、自らの温度を与えようとするように、決して解けることがない腕。
少しは甘えることを許してもらえるのだろうか。
思わぬ展開に、相手の肩に頭を預けて考える。
このままだと調子に乗ってしまいそうで、でもそれすら今なら許されるんじゃないかと思えてしまって。

 

「うぅん…苦しいくらい優しく降る雪だから…やっぱり暖かかったよ」
「雪は寒くなるから降るんです」
「うん…でも、骸のこと考えてたらやっぱり寒くなかった」
「…僕のこと…ですか?」
「雪ってね、別名で『六花』って言うんだって。結晶の形を6枚の花弁に見立てて。数字のせいかな…何だか骸を思い出したんだ」

抱きしめてくれる腕に寄り添って、無音の世界に音を紡ぐ。
きっと、この雪を見て彼を思い出したのは、この雪の儚さのせいだろう。
どんなときだって危うい骸の生き方が、無性にこの雪に酷似しているように感じて。

冷えた場所で静かに降る六花の雪。
優しいほどに柔らかに舞い降りて、捉える前に消えてしまう。
そんな掴みどころのない儚さが、きっと彼によく似てる。
人恋しいと求める自分に彼が見せてくれる束の間の夢のよう。

 

 

 

「甘やかしてくれるなら…夢のままで終わらせないで」

 

「…きっと、多くの人が君を心配してるでしょうに」
「俺のことを想うなら…お願い…」

一拍遅れた声に、離れまいとしがみつく。
凍った指先では上手く絡め取れはしないけれど、それでも必死で訴える。
突き放さないでくれ、と。
冴え渡る夜の静寂に似合う綺麗な双眸が見つめてくれば、不安と昂揚感で胸痛むほどの息苦しさだけが競り上がってくる。
胸の内が熱くなるのに、指先は凍りついて。

「骸…」

ぐいっと温かな腕の中から引き剥がされてしまえば、涙しそうになる自分を押さえつけるのでやっとで。
耐え切れなかった涙が冷えて落ちる。
そっと拭い去ってくれる骸の指先は、同じように冷たくなってしまっていて、骸の体温を覚えたままの綱吉は、余計に自分自身の孤独を感じていた。
離れてしまった温かさに、焦がれて、焦がれて。
手を伸ばせば届くのに、それすら出来ない雰囲気がつらかった。

 

「この雪に思い入れがあるというのなら、今のうちに心に刻んでおくといい」
「え?」
「共に追われる覚悟を決めてください」
「骸!」

踵を返す背中に、追いすがって抱きしめた。
胸に回した腕越しに感じる鼓動が、今まで不安になっていた心を慰めてくれる。
冷えた雫が頬を伝っても、先ほどの孤独さは全く感じなくて、溢れてくるのは暖かな想いと少しの罪悪感だけ。

「別れの言葉は置いてきた」
「準備がいいですね」
「骸が連れて行ってくれなくても、俺が自分で追ってくつもりだったから」

くるりと向き合った骸の頬に手を添えて、涙を拭うのも忘れて口付ける。
お互い寒空の下にいたせいで唇はからからに冷え切ってたけど、分け与えるように何度も交わる熱が愛しくて。

 

心に残る罪悪感は、寝静まったリビングの卓上に置いてきた。
リボーンから、骸が追っ手に気付いて近々この地を去る、と聴いて決行した家出。
まさか雪が降ってるなんて思ってなくて、思い出の残る場所を歩いてみようと散歩に出かけたけれど、やっぱり行き着く先は骸の許しかなくて。
朝になったら、机の上に置いた手紙に誰かが気付いてくれる。
『身勝手でごめん。どうか泣かないで』と綴ったけれど、きっと母は泣いてしまうんだろう。
優しくて暖かな人だからわかってくれる、と甘えてしまう自分がいるのもわかってる。
それでも、それを差し引いてでも、手放せないのはこの腕の中の存在で。

 

「攫っていって」
「…もう後戻りはできませんよ…」

 

 

 

崩れる無音の世界の中で、焦がれるその手を取って

お願い、奪うように攫って

追われるままに逃げていこう

 

足跡は、白銀の世界が消してくれる

『ごめんなさい』と『さよなら』だけを残して

 

 

六花の雪が深く降り積もる

 

 

 

 

 

* * * *

2009/02/20 (Fri)

…何故か、私は雪とか冬に関しては、暖かで甘い話を書けないようです。
うっかり気付いたら愛の逃避行だった(笑)
でも、雪は切なさを想うんだよな…


新月鏡